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「悪魔のささやき」

 作家・加賀乙彦といえば「宣告」。これは大江健三郎の「個人的な体験」と並んで、現代日本文学の2大傑作だと、勝手に思い込んでいる私だが、もう20年以上も前に読んだきりなので、「どうすごいのか」とたずねられても返事に窮してしまう。ならば、偉そうに知ったかぶりするなよと、言いたくもなるが、先日加賀乙彦の新刊「悪魔のささやき」(集英社新書)を読んだものだから、どうしても触れずにいられない。さすがに、小説家の文章は読みやすく、多くの新書を読むときの表現の退屈さはいささかも感じられず(正確には口述筆記らしいのだが)、200ページ余りを一気に読み通すことができた。
 久しぶりに加賀の文章に触れ、この人の考えは「宣告」以来変わっていないんだなと、懐かしい思いも抱いた。それなら、この本を若い人はどう読むのだろうかと、ユリカリさんにお尋ねしたところ、あっという間に読まれてブログにその感想まで書いてくださった。その迅速さには、さすが現役大学院生と舌を巻くばかりであるが、加賀乙彦の思いを的確にまとめてあり、さらに示唆に富む指摘まで書いてくださったのには感服した。お若いながら、「知の旅人」であるユリカリさんの旺盛な知識欲は、日々更新されるブログの記事からも理解していたつもりであったが、こうした文章にまとめられたものを読んで、改めて、敬意を表したいと思う。
 したがって、「悪魔のささやき」の概要はユリカリさんのブログの記事に任せるとして、ここでは私の心にとまった箇所について少し述べてみたい。

 第4章で、近年増加している子供たちによる凶悪犯罪について、安易に殺人まで犯してしまう理由を次の3つあげている。
 ①死というものの本質(恐ろしさ・苦しさ・醜さ)を子供たちが知らなすぎる。
 ②大人たち全体に対する抜きがたい不信の念を子供たちが根底に持っている。
 ③肉体を介したコミュニケーションが減っている。
これはよく目にする論調であるとは思うが、ここからさらに一歩踏み込んで、こうした精神的背景を持った子供たちが、己を抑制できず(キレてしまって)、ほんの些細な理由からいとも簡単に殺人に走ってしまう原因を『社会の刑務所化によって増大したストレス』だと、いかにも加賀乙彦らしい分析をしているが、それをまとめると以下のようになる。
 鉄とコンクリートで作られたマンション・学校・オフィスビルで暮らし、「画一的な大量生産品」の食料を食べ衣類をまとっている現代生活は、徹底的に管理された刑務所の生活と似ている。「毎日決まった時間に起きて職場や学校に行き、決められたスケジュールに従って仕事や勉強をこなす。夜、帰宅すると、テレビ局が提供する決まりきった番組を眺める。休日には、大企業が準備した映画館やテーマパークやデパートを、これまた決まりきったやり方で利用する・・・」われわれの社会は自由に見えながらも、刑務所よりも自由がないのかもしれない。このように刑務所化した社会では、刑務所で起こるのと同じような問題が発生しかねない。
 加賀は刑務所の医師として囚人たちを何人も見てきた経験から、こうした社会で生活するうちに拘禁反応(刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られるノイローゼの一種)が起こって、「心理学で言う爆発反応―ほんの些細な刺激で突然キレて、予想外の行動をとることは大いにあり」、「大人以上に環境の影響を受けやすい子供たちなら、なおさら」だと述べる。
 
 確かに私たちの生きている現代社会はとどまることなく常に動いている。どこに向かっているのか誰も知らないように見えるが、一刻もとどまることがないため、誰もがその流れから振り落とされないよう絶えず緊張している。そうした緊張感を持ち続けていなければ、流れから振り落とされてしまい、一度落ちてしまったら元には戻れない、そうしたプレッシャーを常に感じながら生きているように思われる。そうした状況の下、私も、大きな声を上げたくなることがよくある。未熟だからかもしれないが、一応世間的にはいい大人だと目される私でさえこうなのだから、子供たちが行き場のないストレスを心にもち続け、ふとしたことで爆発してしまう可能性は誰にだってあるように思えてしまう。
 加賀はそうした「悪魔のささやき」に子供たちが負けないようにするには、「子供たちから死を遠ざけるのをやめて、できるだけ本物の死の怖さ、苦しさ、悲しさをリアルに実感するチャンスを増やしてやることが大切だ」と述べる。「死ぬと人はどうなるか、一人の人間の死が周囲の人々にどれほど心理的な影響をおよぼすかを、きちんと教える。子供たちと一緒に死について語り、考えていく」ことが必要だと。
 そのとおりだと思う、まったく異論はない。ただ一言付け加えるなら、もうちょっと「我慢すること」を子供だけでなく、大人も学ばなけりゃいけないだろうとは思う。現代の日本、余りに忍耐力というものが弱くなっているような気がして仕方がない。
 
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