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道具

 私の父は大工である。というか大工であった。いや、73歳の今でもやっぱり自分は大工であると思っているだろうから、「大工である」としておこう。その父が自分の大工小屋(大きな建物であったが、そう父と母は呼んでいた)を半分壊して私の塾舎を建ててくれた。したがって、塾舎の奥の建物には今でも父が使っていた大工道具がおいてあるし、ちょっとした作業ならできるようになっている。
 父はその一角に自分だけがくつろげる一室を作って、寒い冬にはそこで薪を燃やして暖をとりながら、日がな一日株式市場のラジオを聴きながら、のんびり暮らしている。今でこそ、農民だか隠居だかよく分からない呑気な暮らしをしているが、若い頃は朝早くから夜遅くまで本当によく働いた。私もよく仕事の手伝いについていったことがあるが、仕事を始めたら10時とか3時とか決められた休憩時間以外は、一心不乱に仕事をしていた。よくあんなに根気と体力が続くものだといつも感心していた。私のように面倒くさいことが大嫌いな男には到底真似できないような仕事ぶりであった。そんな父も17年前に母が亡くなってからは全く仕事にやる気をなくしてしまい、たまに気の向いたときに頼まれた仕事をするくらいになってしまったが、それまで人の2倍も3倍も働いてきたのを家族誰もが知っていたので、何も言わずに父のやりたいようにさせてきた。
 それでも、ちょっとした仕事くらいなら今でも引き受ける。先日も床を直して欲しいという近所の人の頼みを聞いて3、4日かけて直してきた。その間はいつになく充実した顔をしていて、久しぶりに父の職人顔を見たような気がして私は密かにうれしかった。表立ってうれしそうな顔をすると、他の仕事も引き受けてしまい、体がふらふらになるまで頑張ってしまうから、決してそんな顔はできない。「しんどくない?」と私が聞いても、「これぐらいなんともない」などと元気そうなことを言っていたが、そう言えるだけ幸せなのかもしれない。
 そのときに、いつかこのブログで父が長年使ってきた道具の写真を載せて記念に残しておきたいと思いついた。すぐに取り掛かればよかったものを生来の怠け者ゆえ、今日まで延ばし伸ばしになってしまった。昨日やっと写真を撮ったのでいくつか載せてみる。

  

      金槌(かなづち)      鋸(のこぎり)          鑿(のみ)
  

      鉋(かんな)        差金(さしがね)         墨壷(すみつぼ)
  

        釘箱(くぎばこ)    梯子(はしご)          工具(こうぐ)

ここまで載せてきて、こんな手入れのしていない道具の写真を載せたと父が知ったならさぞや怒るだろうと思った。道具を大事にしていた父が、鉋の刃や鑿を砥石で研ぐ音が私は好きだった。父が丹念に何度も何度も研いでいるのを一心に見つめていた。鉋で木を削る音も好きだった。しゃー、しゃーと削られてくる鉋くずが何mも長くなるのを見て、すごいなと感心したものだった。そんな父にとっては錆びた道具の写真など己の恥とするものであろうが、これも現状を正直に物語る記念である。
 父はこれらの道具を使っていったい何軒の家を建ててきたのだろう。一度尋ねたことがあるが自分でも正確な数字は分からないようだった。それほどまでに多くの家を建ててきた父と苦楽をともにしてきた道具たち。よく考えれば、この道具たちは家だけではなく、私や妹・弟を育ててきた糧を生み出してくれたものたちだ。
 感謝せずにはいられない。 

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