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鑑定団

 「開運!なんでも鑑定団」というTV番組がある。普段の放送は塾の授業中であるため見られないが、東海地区で日曜正午から放送されている「傑作選」は時々見る。個人が所有する「お宝」を持ち寄っては、その現代的価値をお金に換算して鑑定していくというお馴染みの番組だ。石坂浩二と島田紳介の絶妙な組み合わせも番組を支えているが、やはり最大の関心事は、出場者の「お宝」が専門家によっていくらくらいの価値があるものと鑑定されるのか、だろう。本人評価額と専門家の鑑定額との開き具合によって出場者と一緒になって驚いたり、失笑したり、いつ見てもなかなか楽しい番組である。何でもお金に換算するのはよくない、などと目くじら立てたりしないで、依頼者になった気持ちでドキドキしながら見ているのも一興である。
 だが、そうしたバラエティー的要素ばかりではなく、美術の紹介という役割も担っているように思う。さほど人口に膾炙していない画家の作品が鑑定に出された際には、その画家について簡単にまとめた映像が流されて、美術に関して知識の乏しい私には、ためになることも多く、私にはちょっとした啓蒙番組だ。ちょうど1週間前に見た「傑作選」でも、古茂田守介という画家の作品が鑑定に出されて、彼の生涯・人となりをコンパクトにまとめたものが流された。それまで全く知らない画家だったが、鑑定に出された絵に興味を引かれた私は、思わず最後まで見入ってしまった。
 彼の短くも絵画に捧げた一生を年表にまとめてみた。

 1918年 愛媛県生まれ。
 1936年 画家への道を進む兄の影響で絵を描き始める。
 1937年 上京し、中央大学法科に入学。兄の紹介で猪熊弦一郎に会う。まもなく猪熊の新制作田園純粋美術研究所に通い始める。
 1939年 中央大学を中退。隣人の紹介で大蔵省に勤める。
 1940年 第5回新制作派協会展に「裸婦」が初入選。
 1941年 日本以外の絵を描くために北京大使館に大蔵省外務書記生として赴任。
 1943年 喘息の悪化のために帰国。
 1946年 大蔵省を退職、画業に専念する。第10回新制作派協会展で新作家賞 を受賞。以後制作を重ねる。
 1950年 新制作派協会の会員となる。日本アンデパンダン展秀作美術展、国際具象派美術展などに出品。
 1954年 結核にかかり、生来の喘息の心配もあり、アトリエにベッドを運び込んでの制作となる。
 1960年 東京、目黒区にて42歳で死去。新制作葬が執り行われた。

 病気がちであったため、室内で静物画を描くことが多くなり、ものの存在感を重厚に描いた。「セザンヌのようになりたい」が彼の口ぐせであったというが、鑑定に出された絵以外にも何枚かの作品が番組で紹介された。その中で、私の目を引いたのが、自分の娘・杏子さんを描いた絵だった。一瞬のうちに画面が変わってしまったので、はっきりとしたことは言えないのだが、一風変わった印象深い絵だった。ネット上にその絵がないかと方々探してみたが、どうしても見つからなかった。その代わりといってはなんだが、古茂田が妻を描いた絵なら一枚見つかった。それが私の印象に残った杏子さんの顔つきとよく似ていたから載せておく。


 私が調べた限りでは、決して歴史の中に埋もれた画家ではないようだ。しかし、こうやってTVが取り上げてくれなかったら、私が鑑賞する機会はきっと訪れなかっただろう。NHK・BSにも「迷宮美術館」という親しみやすい美術番組があり、時々見ているが、楽しみながら勉強になるというのは嬉しい。美術館まで出かける時間がなかなか取れない私には、こうした番組が少しでも増えるといいと思っている。
 
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