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詩仙堂

 京都に4年住んでいた(大学には5年籍を置いていたけれど)時に行った場所で、もう一度行くとしたならどこへ行く?
 そう聞かれたら、私は「詩仙堂」と答える。JR東海・京都キャンペーンポスターの写真と文を集めた「そうだ 京都、行こう」(淡交社)の中で、詩仙堂はこう書かれている。

                「ある日突然、
                戦うのがイヤになりました。
                花や虫たちと、
                暮らすことにしました」
                ・・・と戦国時代の武将、
                石川丈山はこの庭を作ったそうです。



18歳で関が原の戦いに従い、家康の信頼厚かった武将石川丈山が、その後31年間の隠遁生活を送った山荘である詩仙堂の名の由来は、日本の三十六歌仙にちなんで中国の三十六詩人を選び、彼らの肖像画を住まいに掲げたことによるという。私が訪れたのはもう30年も前のことだ。その日は、どういうわけだか訪れる人も少なく、ゆったりと居室の中に座ることができた。開け放された庭をぼんやりと眺めているうちに、私の心はゆっくりと静謐に包まれた。少しの刺激にでも敏感に反応して絶えずさざめいていた当時の私の心が、どうしてあれほどまでに安穏になれたのだろう、今もって不思議だ。瀬戸内寂聴は次のように書いている。

 詩仙堂は参詣者であふれていて、世をすねた人の隠棲の跡にしては静かさが乱されていたが、次第に人々が帰って行き、どこからともなく黄昏が滲みでてくるにつれ、漸く幽邃な世外らしい雰囲気が漂ってきた。さっきまで人々に占領されていた縁側近い座敷に坐ると、さつきの刈りこみの樹々が、低く庭の向こうにつらなり、海に向かっているような感じになる。鹿おどしが、ゆったりと鳴り、秋の終わりという感じがひしひしと黄昏の中からせまってくる。(「京の道」より)

 私が訪れたのはちょうど今頃の季節だったように思う。梅雨の合間のからっと晴れ上がった日に訪れた詩仙堂は、前夜までの雨に洗われた庭の緑が眩しく光り、思わず目を背けるほどだった。誰と行ったんだろう。一人で行くような私ではない。誰と同道したのかさえ判然としないほど時間が経ってしまった。それでもあの日の照り返しだけは、そして明鏡止水とも形容すべき己の心の穏やかさだけは、はっきりと覚えている。「もう一度あの部屋に座って、あの時の心持ちを味わいたい・・」、なぜだか最近よく思う。
 詩仙堂に行き、己の心に浮かび来るものどもがふっと消え去るまでただ端座していたい。時間の経つのも忘れて・・・。そうしたら、

     空を見てゐたら
     心が澄んで
     わいせつになつた
     蝶や蜻蛉も
     同じ按配のやうだ   高見順「扇情的な空」

この詩の心が分かるかもしれない。
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