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松井に何を?

 私は松井に何を求めているのだろう?このところ、よく考える。開幕前は、右ひざ手術の影響でレギュラーさえ危ぶまれた松井が、今や監督に「なくてはならぬ選手」とまで言われるほどの信頼を得たのだから、ここまでのチームへの貢献度はずば抜けたものなのだろう。しかし、私にはイマイチ物足りない。シーズン当初の状況を考えれば、「良くぞここまで!」と褒めたくもなるが、試合に出ている以上体調のことを云々したくはない。松井が持っているはずだと私が勝手に思い込んでいる能力と比べて、今の彼の成績にはとても満足できない。確かに打率はリーグトップに近い成績を残しているものの、如何せんホームラン数、何よりも打点が低いのが不満だ。主力がケガで戦列を離れていた影響もあるだろうが、松井のプレーを見ていて私に訴えかけて来るものが少ない。数字は残っているが、ただそれだけで、私を熱くさせるまでには至ってない。それは昨シーズン7月に月間MVPを取ったときに感じたのと同じような印象だ。
 私はデータの見方がよく分からない。MLBの試合を見るようになって、選手の好・不調さを判定するためのデータが何種類もあるのを知ったが、そうした数字にはあまり興味がない。そうした数字よりも、「私の心にどれだけ訴えかけたか」を中心に試合を見ている。全くの主観であり、何の裏づけもなく、数値化できるものでもない、そんなあやふやなもので松井を判断しているのだから、私の感想などいい加減な物である。今シーズンはヤンキースの試合のTV中継が減り、思い通りに松井のプレーを見ていないから大したことは言えないが、それでもニュースやネットでの画像は欠かさず見ているから、松井の大体の様子は分かっているつもりだ。序盤戦はかなりの活躍で、私の心も熱くなり、思わずここの記事にもした。それなのに、シーズンが進むに連れて、だんだんと私が欣喜雀躍する回数が減り、松井をここで取り上げたことはあれ以来なかった。だが、シーズンの日程が3分の1を終了した今、今の松井に何が足りないのかを考えてみようと思った。
 私は小さな頃から熱狂的な巨人ファンだった。周りはほとんどが中日ファンという地域の中でずっと巨人が一番だと思っていた。そんな私にとって、王と長嶋は神様だった。誰が何と言おうとあの二人は絶対だった。子供の頃は長嶋よりも王のほうが好きだったのは、プレーに遊びのような雰囲気が垣間見られた長嶋よりも一心にホームランを追い求める求道者的な王の方がより神に近いように思えたからかもしれない。長嶋の人間くささが、ピュアな子供心には少しばかり暑苦しかったのだろうか。そうは言っても、長嶋のすごさは十分分かっていた。そのすごさを一番象徴するものとして次の場面は忘れられない。

 昭和43年9月18日首位巨人に1ゲーム差に迫っていた阪神は、甲子園球場に巨人を迎えて、天下分け目の首位決戦のダブルヘッダーに臨んだ。第1試合は、村山の好投で2-0で巨人を下し、首位に並んだ。第2試合の先発はバッキーだったが、この日は乱調で4失点して、相当イライラしていた。
 4回表の2死2塁、打席には王貞治。初球、頭部付近のボールに王は怒った顔をした。2球目、王の膝元にあわやデッドボールという投球。王はバットを持ってマウンドのバッーキーを威嚇した。バッキーがマウンドを降りかけたときに、両軍から選手がなだれ込んだ。このとき、荒川コーチがバッキーを蹴飛ばして、バッキーは右手の親指を骨折してしまった。バッキーも荒川コーチに顔面パンチを浴びせた。審判は暴力をふるったバッキーと荒川を退場にさせた。場内はこれに抗議し、騒然とした状態が続いていた。
 交代した阪神の権藤投手は、今度は本当に王の頭にデッドボールを見舞ってしまった。またもや、両軍の選手が入り乱れての乱闘劇。次打者の長嶋は、この乱闘に加わらず、担架で運ばれていく王を見ながら、静かに闘志を燃やしていた。そして、権藤からホームラン!!ダイヤモンドを一蹴する長嶋をTVで見ていた小学生の私は胸が熱くなった。野球を見ていて心から感動したのはこれが初めてだった。野球ってすごいな!、それ以来もう一度あの感動を味わいたくてずっと野球を見てきたように思う。
 私が松井に望むのは、こうした見る者を総毛立たせてしまうプレー・・・。
 
 思い返せば、かつて一度だけそうした感覚を松井から味わったことがある。メジャー1年目のALCS、対BOS戦でのあの歓喜のジャンプ!!

 まだまだシーズンはこれからだ。必ずや私の望みをかなえてくれることだろう。
 頑張れ、松井!!
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