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「戦争はなぜ起こるか」

 佐藤忠男「戦争はなぜ起こるか」(ポプラ社)を読んだ。映画評論を専門とする作者が実体験を基にして、なぜ戦争が起こるのかを分かりやすく説くといった内容になっている。2001年9月にアメリカで同時多発テロが起こった直後に脱稿された本書を私はかなり早い時期から知っていた。購入したのはもう6年ほど前になると思うが、最初の30ページほど読んだところで読むのをやめてしまい、ずっと部屋の片隅にほかってあった。存在すらもほとんど忘れた本書を、改めて手にとって読んでみようと思ったのはなぜだろう。30ページほど読んで、過去の戦争の経緯の説明が歴史の教科書を読んでいるようで、これ以上読むのが面倒くさくなってしまったほどだから、何か期することがあって読み直そうと思ったのではない。ただ迷彩柄のカバーの付いた本に気づいて、このままこの本を部屋の片隅に置いておくのも少々気味が悪いので、何とか最後まで読んでどこか見えないところにしまいこみたい、そんな衝動が働いたように思う。


 発売元のポプラ社は「怪傑ゾロリ」シリーズなどが有名な児童書を刊行する会社であるため、本書も若い世代を対象にしているのだろう、分かりやすい言葉で過去に起こった戦争の原因を教えてくれる。歴史の表面は一応理解しているつもりの私には冗長な歴史的事実を述べているだけのように思えて、中途で読むのを止めた原因ともなった記述も、若い世代には目新しいものと映るかもしれない。
 何の専門的知識もない私であるから、「なぜ戦争が起こるのか」とたずねられてもはかばかしい答えを即座に返すことできないが、それでも、「経済」「宗教」「民族」が現代の戦争や紛争を引き起こす3つの大きな要因ではないだろうか、という考えは持っている。もちろんこれら3つの要素が複雑に絡み合っていて、単純に「これが原因だ」などと言えない点に、錯綜した現代の難しさがある。作者もこうした要素を一つ一つ取り上げて解説しているが、それよりも戦争を惹起してしまう人間の心の弱さに焦点を当て、助け合う心を育てることが何よりも肝要だと説く。

 人間は、いま、とうとう、すべての人類が助け合わないかぎり人類は破滅するということが分かるところまできてしまった。地球全体が、ひとつの部族のように共同作業をし、顔見知りになる時代にきてしまった。われわれは、民族と民族、国家と国家の間で、助け合うことなしにはやってゆけない、という感じを少しずつ深めてゆかねばならず、強い者が弱い者を助けるのは当たり前という気持ちを育てて行かねばならない。(中略)
 優秀な人間が劣った人間を支配するのではなく、人がそれぞれ得意な能力によって他の人々を快く助けることができるような社会こそがめざされなければならないのだ。  (P.171)

 これをユートピア幻想といって一笑に付すこともできるだろう。そんな悠長なことを言っている間にも、世界の格差は広がり、弱者はますま追い詰められていき、行き場をなくした怒りや悲しみが爆発して、世界各地で火の手が上がっている・・などとペシミスティックに反駁したくもなる。だが、こうした閉塞した状況だからこそ、作者が説く「理想論」的な考えを若い世代に植えつけていくことでしか人類の未来を救う手立てはない、と言うこともできるだろう。ならば上の一文は『人間は自分で自分の首を絞めるほど愚かではないと思いたいが、そんな愚かさを持っているからこそ、早い段階で己の愚かさに気付けるような教育を与えるべきであり、そうした地道な努力によってしか人間が生き残る術はないのではないだろうか。それは結局人間の賢明さに賭けることであり、人間の可能性を信じることである』などと解釈できるのではないだろうか。
 現代の日本では、老人と呼べる人々のほうが、人間の可能性を信じた言動をしているように思う。かつて理想とは若者の専売特許であり、年長者から「もっと現実的になれ」と叱責されたものだが、当今では若者は理想などを口にせず、現実に押しつぶされそうになっている。そんな疲弊した若者たちに、現実を超越した感のある老人たちが、「未来を見据えた考えを持て」とエールを送っている。大江健三郎しかり、加賀乙彦しかり、そしてこの本の作者しかり・・。
 本来そうした役割は、私たちの世代が引き受けるべきなのであろうが、日々の生活に汲々としていて、とてもそこまで気が回らない。だが、「忙しい・・」を言い訳にしてばかりいてはいけない。後の世代を引っ張っていくくらいの気概を持っていかなければ・・、などと柄にもないことを思ってしまったのが、本書を読んだ一番の感想である。
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