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大道芸

 毎月お稲荷さんへ参拝しに行っていると、それが1ヶ月の起点となってくる。「先月行ったときは・・」と振り返れば、この1ヶ月間自分が何をやってきたかすぐに思い出せてとても便利だ。そうした時間の節目のようなものを持てたことも、毎月参拝することの副次的なご利益といえるだろう。
 などと小難しいことを考えたくなるほど、お千代保稲荷への参拝は私の生活の一部になってしまった。月が変わると、いつ行こうかと考え始める。今月前半は日曜日を休みにできるから、日曜に行こう、それなら8日が都合がいいな、などとあれこれ算段するのも楽しい。「毎月恒例の遠足」、そんな雰囲気になってきた。
 しかし、1年以上通っていると目新しいことはさほどない。境内の賑わいがどうだとか、あの店で買ったものはおいしかったとか、まるで日常会話のようなことしかなく、あえてここで書き出すほどのこともない。スルーしてもいいようなことばかりだが、このブログは自分の暮らしの覚え書きでもあるから、やはりメモ書き程度のことは書き込んでおかねばならない。それにこの頃は、帰り道にフルーツパークに立ち寄って、季節の植物を愛でることも何度か重なったので、その例に倣った昨日のことも書き込んでおこうと思った。

 私の悪い癖で、いらぬ前書きなど書かずに始めからフルーツパークで見た芸人「ココロ」君のパフォーマンスについて記せばよかった。大道芸を披露する者たちがフルーツパークにいるのは4月に訪ねたときに知っていたが、さほど目ぼしい植物の咲いていない昨日に、そんな芸人がいるとは思ってもみなかった。駐車場に車を停めた時に園内放送でパフォーマンスが行われるのを知った私たちは、意外な思いで、両側に紫陽花が咲いている道を進んで行った。

 


 パフォーマンスが行われる場所には三々五々人が集まっていた。無名の大道芸人だけにさほどの期待を誰も持っていないように見えた。事実、右ひざに穴の開いたジャージをはいてモヒカン頭を緑色に染めた芸人「ココロ」君には、少々哀愁が漂っていていた。まずは簡単な風船パフォーマンスから観客の注意を引こうとするも、手際の悪さばかり目立って拍手もまばらだ。得意だというお手玉もミスが目立って少々白ける・・・。

 

 だが、背の高い一輪車に乗ってジャグリングを始める頃になったら、次第に観客の心をつかみ始めて、演技する「ココロ」君ものってきたように思えた。

 

 細かなミスが目立つのはまだまだ未熟な気がした。だが、気温が高く、日差しも強い日で眩しかったのかもしれないし、これが昨日3度目の演技で疲れが出ていたのかもしれない、などと贔屓目に見てしまったのもにじみ出る彼の人柄によるのかもしれない。私も惜しみなく拍手をした。火のついたバーを3本回したり、最後には燃えさかる炎を口の中で消してしまうという危険なパフォーマンスまでして、見ている私たちをハラハラさせてくれた。

  

 彼も見たところ20代半ば、自分の夢に向かって一生懸命努力している姿に声援を送りたくなり、パフォーマンス終了後、彼の帽子に心ばかりのお金を入れてきた。楽しかった。
 

 しかし、その頃に東京では彼と同じ年頃の者による凄惨極まりない事件が起こっていた。「誰でもよかった・・」などと意味不明の犯人の言葉を知った瞬間に、「最初に自分を殺せよ」と何を考えているか分からない犯人を呪った。
 ふざけるな!!
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