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見つかったけど・・

 財布は昨夜遅くに見つかった。だけど、見つけた所がどうにも解せない・・。
 
 昨夜記事を書き終え、もう一度探してみるべく塾舎を出ようとしたとき、はっと思いついて初詣で引いた御神籤を取り出してみた。
  「失せ物 出る 高い処」
これだけはっきりしたご託宣があるのだから、「高い処」を探せば見つかるに決まっている、そう心を奮い立たせて家に戻った。息子に両替をしてもらったのは、台所の隣の、妻のPCが置いてある六畳ほどの部屋で、風呂への通路でもあり、納戸のような所でもある。PCの他にも日用品が色々置いてあり、その時は娘と息子の手荷物も雑然と置かれていて、さらには私の脱ぎ散らかした衣服も片隅に積み重なっていたりして、正月とはいえ、一番片付いていない部屋であった。そんな所で「高い処」と言えば、妻のPCが置いてある机の棚か、私の部屋に通じる階段くらいしかない。もうその辺りは何度も調べたが、念には念を入れてもう一度確かめてみた。が、やはり見つからない。あの夜はこの部屋と居間と台所をうろちょろしていただけだから、「高い処」が二階を指すとは思えない。じゃあ、と居間の戸棚も調べてみたが、やはりない。台所には「高い処」と呼べる所はないから、調べるまでもない。
 「どうもこの御宣託は残念ながら外れのようだ・・」
と嘆息しながら、今夜は諦めて風呂に入って寝よう、と部屋の隅に置いてあるパジャマを手に取ろうとした。するとその下に隠れていたジーパンまでもパジャマに絡んで一緒に拾い上げてしまった。
 「もうちょっとこのあたりも整理しなくちゃな」
と思って、ジーパンを軽くたたんでおこうと手元に寄せた瞬間、ポケットに何かが入っている感触がした。
 「えっ、まさか?」
と思いながらも慌てて探ってみたら、ビンゴ!!、財布だった!!
 「やったあ、見つかった!」
財布のことが一日中重く心にのしかかっていただけに、全身が安堵感でいっぱいになった。もしこのまま見つからなかったら、面倒なことになるところだった。だって、財布には○○○が入っていて、見つからなかったら○○不携帯のまま、◇◇を△△しなくちゃいけなかったから・・・。(伏字にしておかなくちゃまずい)
 本当によかった、安心した、嬉しかった!!

 でも、次の瞬間自分で自分ことが分からなくなってしまった。どうして財布がジーパンのポケットの中に入っていたんだろう?もちろん私が入れたのだろう、そんな記憶がないのは酔っ払っていた証拠なのだろうが、いくら酔っていたってジーパンに財布を入れるという行動がどうしても理解できない。私は家に戻るとすぐにズボンをジャージに履き替えることにしている。その夜も塾が終わって家に帰るとすぐに履き替えていた。初ゑびすもそのジャージのまま出かけるつもりだったから、ジーパンに履き替える気などまるでなかった。だから財布をジーパンに入れるはずがない。財布を捜していたときも、ジーパンのことなど考えもしなかった。それなのに・・。おかしい。
 いったいどうしたのだろう?無意識の行動といっても己の理解を超えるようなことはするはずもない。無意識だからこそ、余計に己のいつもの枠内で行動するのではないだろうか。だから、無意識に持っていたはずの何かが見当たらなくなっても、少し落ち着けばすぐに見つかるのが通常だ。なのに、今回は意識が飛んでしまった瞬間に、普段の自分なら絶対とらないような行動に出てしまっている。まさしく自分の枠を越えてしまっている。異常だ。これでは素面の自分が見付け出せるはずがないではないか。
 何だか近頃こうしたことが時々ある。大丈夫だろうか、私?
 
 最近父が少し酔っ払うと見るも無残なほどの醜態を晒すようになってきたのに手を焼いているが、私の体たらくぶりも父とさほど変わりがないように思える。父と私は25歳違うから、25年前の父が今の私ほど危なっかしかったかどうかを思い出してみればいいのだが・・。
 どうも私の方が老化が早いような気がする・・。これじゃあ、駄目だ。心せねば!!
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