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「チェ 28歳の革命」

 チェ・ゲバラについてかつて記事を書いたことがある。と言っても、ほとんどが引用文で、ゲバラの人となりを大まかになぞったに過ぎない。そんな私がゲバラの映画が公開されると知ったのは昨年末のことだった。公開されたら必ず見に行こうとその時決めたのだが、それをやっと昨日果たせた。「チェ 28歳の革命」と題されたその映画は今月末に公開予定の「チェ 39歳別れの手紙」との2部作であり、ドキュメンタリータッチなのだろうが、それだけではない深さを持った映画だった。
 私は「革命」という言葉に酔いしれた世代ではない。その言葉にさほどのシンパシーを感じることのない世代の人間であり、ゲバラが何をどう考えていたか詳しくは知らない。純粋な意味で共産主義国家と呼べるのはキューバくらいしか思い浮かばない現代に生きる一人の人間として、なぜ今武力革命の道を突き進んだゲバラを映画化せねばならないのか、はっきり言って分からなかった。確かに新自由主義により、世界各地で貧富の差が強まり、政治状況が悪化している現代ではあるが、かと言って、武力によって政府を倒さねばならないという理論が広く受け入れられるような政治状況でもないだろう。ゲバラの行動がかつてより理解しやすい状況になった言われればそうかもしれないが、あえて声高にそれを唱える必要もないと思う。なのに、何故・・。
 もちろん、ゲバラの短い生涯をつぶさに知りたいと思ったことがこの映画を見たいと思った一番の動機だが、それと同じくらい、何故今ゲバラなのか、それを実際に映画を見て知りたいと思ったのだ。
 
 「28歳の革命」はキューバ革命が成功するまでの道程を主として描いている。ゲバラが1964年に国連で行った演説の模様も挿入されていて、アルゼンチン人であるゲバラがキューバ革命を通じて、革命家・闘争家として自己を確立していく過程が丹念に描かれている。時々アメリカで行われたインタビューのコメントも流され、まるでゲバラの肉声を聞いているような気さえした。それほど、主演のベニチオ・デル・トロはまるでゲバラだ。いや私の中のゲバラ像とぴったりの人物だと言ったほうがいいのかもしれない。喘息に苦しみながらも多くの部下を率いて山中を行軍するゲバラ、時には厳しく軍の規律を守りながらも若い兵士と真摯に語り合うゲバラ、激しい銃撃戦にもひるむことなく先頭に立って攻撃するゲバラ、歓喜する民衆に応えながら満面笑みをたたえて制圧した都市へ進駐するゲバラ・・、どのシーンを取っても生きたゲバラを目にしているような印象を与えてくれる。それほど見事にゲバラを演じているデル・トロの力量は特筆ものだが、私は時折見せるやさしい顔が本当に素敵な役者だと思った。

 そうした印象深いシーンはいくつもあったが、私がこの映画でもっとも感銘を受けたのはインタビューに答える場面である。「革命家に必要なものは何か?」と尋ねるインタビュアーにゲバラは「愛だ」と答える。「Love?」と聞き返すインタビュアーに「人間への愛、正義への愛、真実への愛だ」と答えるゲバラに、私はこの映画の製作意図が隠されているように感じた。革命家に愛など不釣合いなもののように思えなくもないが、愛に拠らない行動など決して誰の支持も受けられない。人類の歴史を鑑みた時、愛の敷衍していない社会は悲しく辛い。どれだけ甘い男だと謗られようが、愛に貫かれた行動でない限りは決して他者には受け入れられないと私は思っている。憎しみを超克した愛によってしか、平和と幸福は我々に訪れることはないだろう、そんなメッセージを私はこの映画から受け取ったように思う。
 革命など流行らない今の時代、「革命家」を「為政者」と読み直したほうがよりこの言葉の持つ意味がはっきりするかもしれない。「為政者に必要なものは、人間への愛、正義への愛、真実への愛だ」--オバマが第44代アメリカ大統領に就任した日だっただけにより重い意味を私が感じたのかもしれないが、国民の安寧を図るために粉骨砕身する覚悟を表明した彼が、これから決して忘れてならない原則がこの愛ではないのだろうか。

 私はエンドロールを見ながらなぜか涙が止まらなかった。それは愛を心に持ち続けながら常に闘争の中に身をゆだねたゲバラの最期を悼む涙だったようにも感じるが、その理由を知るためにも「チェ38歳 別れの手紙」は必ず見ようと思っている。
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