じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

学力問題

2008-07-14 14:37:50 | 教育
★ ふと、CSで放送大学の番組を見た。教育社会学の講座だろうか。学力問題がテーマとされていた。数分しか見なかったので断片的な内容しかわからないが、いくつか面白い点が指摘されていた。

★ まず第一は、家庭での学習時間の長さと学力テストの成績との間に逆相関があるとのこと。これは目からウロコの結果だ。だからといって家庭学習をしない方が良いなどという暴論にはつながらないが、要は効率性の問題だと思う。

★ 基礎的な素養のある人が学習する際に最も大切なのは集中力だと思う。効率よく学習するテクニックを身につけることも大切だ。

★ ダラダラと時間ばかりをかけている生徒の成績が伸びないのは経験的に理解できる。

★ 第二点目は、日本とフィンランドの比較。何かと学力No.1で注目のフィンランド。国の規模や文化的な背景が違うから一概に比較はできないと思うが、学ぶべき点は学べばよい。かつてアメリカの教育専門誌は「日本をまねろ」と主張していた。

★ その比較でおもしろかったのは2000年と2003年の調査を比べて、日本の中位層が没落し、下位層が急増したことだ。これが平均点低下の背景になっているそうだ。

★ この指摘も経験的に理解できる。ゆとり教育には「落ちこぼれ(落ちこぼし)」をなくすといった側面もあったと思うが、かえって「落ちこぼれ」を生んでしまったようだ。その上、今までなんとか授業についてきていた中間層まで脱落してしまった。

★ 「学力」そのものをめぐる評価はあろうが、1つの尺度で見た場合、こういう傾向があったという事実は理解できる。

★ 社会階層の動向と学力の動向に相関があるようで非常に興味深かった。

★ 学力をあげることを国策とするなら、社会的な改革、つまり社会的下位層、没落しつつある中間層の経済的な復活が不可欠ということになる。下位層が社会的上昇への希望をもてる状況をつくる必要がある。

★ 具体的には幼児期から高等教育に至るまで教育費はすべて無償にするくらいの改革が必要だ。しかしこれでも十分ではない。日々の生活に窮していては教育どころの騒ぎではない。衣食たって礼節を知るというが、家庭の経済状況を改善する必要がある。

★ 難問ばかりだが、越えなければならない課題だ。
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教職の世襲化

2008-07-14 11:12:51 | 教育
★ 世襲は今や代議士や医師や中小企業の経営者だけではなさそうだ。

★ 大分県の教員採用不正事件を見ていて、現役の校長、教頭がわが子の採用をめぐり賄賂を贈っているのには改めて驚いた。教職というのはズルをしてまで就く価値のある美味しい職業なのだろうか。

★ 私が教育大学に通っていた時も結構、教員の子が多かったように記憶している。親が教員の場合、子どもの対応ははっきり二つに分かれると聞いたことがある。親の姿にあこがれて自分も教職を目指すものと親の姿を見ているがゆえに教職だけは避けるもの。

★ 教員の採用枠が増える傾向にあるとは言え、なかなか難関の教員採用試験。今回問題となっている大分県は中でも採用が厳しいと聞く。

★ 歪んだ「親心」とそれをエサに私腹を肥やす面々。不正の構造的カラクリが見えてくる。本当かどうか「組合枠」などといったことも囁かれているが、そうなると教育行政、地方教育界は大きな利権集団に牛耳られていることになる。

★ タテマエとホンネの乖離が大きい教育界だが、「教育」に巣食う小役人達には憤りを禁じえない。

★ 教職の専門職論が言われて久しいが、自律性、自浄作用のない組織、自制、高潔なるモラルの乏しい人々が専門職とは実にお寒い状況だ。

★ 学校の閉鎖性は論議されてきたが、教育行政、教員人事の閉鎖性を何とかしなければ不正の病巣は取り除けないだろう。

★ 職業の世襲を生むのはその社会が安定しているからだが、安定の上にあぐらをかいていると脆弱な組織が生まれることを私たちは歴史から学んでいる。異文化との衝突、絶え間ない変革があってこそ強い組織が形成されるのではないだろうか。

★ 民間校長や臨免教員などパフォーマンスやかけ声は活発だが、教員組織、教育行政の前近代的風土を見直すまでには至っていない。専門職としての教職のあり方を活発に論議して欲しいものだ。
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