じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

映画「利休にたずねよ」

2018-07-15 22:52:08 | Weblog
☆ 映画「利休にたずねよ」(2013年)を観た。時間がゆったりと流れるような映画だった。

☆ 若い日から切腹までの日を綴った千利休の伝記映画。それに、高麗の娘との恋模様が美しくも悲しく描かれている。

☆ まず市川海老蔵さんの演技に尽きる。所作の静かさ、目の演技、これだけで満足できる。団十郎さんとの親子共演、中谷美紀さんの美しさ、中村嘉津雄さんの僧姿も見どころだ。

☆ 美しいものへの執着。「美は私が決める」というのは傲慢なのか、それとも自負なのか。切腹の理由は諸説あるが、確かにキレ過ぎたのかも知れない。それが秀吉の嫉妬をかったのか。曲げて生を全うするより、己の信念にしたがって死を選んだのかも。利休なりの美学だったのだろう。
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藤沢周平「暗殺の年輪」

2018-07-15 18:52:09 | Weblog
☆ 藤沢周平さんの「暗殺の年輪」(文春文庫)を読んだ。文章のうまい作品は途中で休憩するのも惜しくなる。

☆ 父の切腹、それには何か理由がありそうだが、誰も語らない。語らないが噂は流布し、それが馨之介の耳にも入るようになった。成長するにつれて、友人たちがよそよそしくなり、時には何か自分を嘲笑するような気配を感じるようになった。隠されれば隠されるほど真相を知りたくなる。そして真相を知れば、それは悲劇に終わることを彼も感じていたはずだ。

☆ 藩政をめぐる権力争い。それに巻き込まれた下士の悲劇。生きることよりも名誉を重んじる武家社会ゆえの悲劇だろうか。それとも若さゆえの思慮のなさを責めるか。

☆ わが子を思いつつ、母の無念さを思うと心が痛い。いつの世も本当の悪は表には出ない。ビジネス界もヤクザの世界もそして軍隊も、犠牲になるのは一兵卒か。

☆ 切りあいの迫力、筆のうまさは見事だ。臨場感がひしひしと伝わってくる。
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伸びるGTEC

2018-07-15 17:35:33 | Weblog
☆ 英検協会から案内が来た。「準会場」を更新制とし、その審査が厳しくなるようだ。主催団体について情報の追加や試験会場の写真を送付するなど、負担も増える。私のような個人塾は「準会場」撤退の時期なのかも知れない。

☆ それはともかく、ベネッセが関わるGTECが伸びている。受験者数は100万人規模になってきたし、2020年からの大学入試改革に合わせて、GTECを採用している高校が増えているようだ。

☆ 大学入試改革、英語科の試験は4技能を見るため、民間試験への移行に向けて試行が始まろうとしている。それに合わせて、新英検、GTEC、IELTS、TOEFL、TOEICなどが認定されたが、それぞれ試験目的が異なり評判が悪い。東大では改めて民間試験を「加点せず」という結論に至ったという。

☆ こうした中、どうやら大学入試への対応としては、GTECが主流となりそうだ。
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「資本主義の精神」

2018-07-15 12:48:42 | Weblog
☆ 大澤真幸さんの「考えるということ 知的創造の方法」(河出文庫)から「マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む」を読んだ。

☆ 大澤さんの「プロ倫」に関する論評は他でも読んだが、今回もいろいろと考えさせられた。

☆ なぜ禁欲を旨とするプロテスタントの信仰が資本主義へと向かったのか。特にカルヴァン派の「予定説」との関係について、わかりやすく説明されていた。

☆ 「ヴェーバーの『資本主義の精神』とは『資本』の増加を義務として引き受ける生活態度である。」「営利は、(中略)生きることの目的である」「人は、あらゆる幸福や快楽を放棄して、貨幣の獲得と増殖に勤しまなくてはならない」(117頁)

☆ 「それは、『祈りかつ働け』という修道院での禁欲的生活を日常の中で実践することである」としている。

☆ あらかじめ神の審判は決まっているとする「予定説」。頑張って働こうが、怠けていようが、それは審判には関係がないというのに、なぜ彼らはせっせと資本の蓄積に励んだのか。

☆ 教師と生徒のたとえは面白かった。教師は、勉強しようが怠けようが、合否は既に決まっていると宣言する。果たして生徒はどう反応するかと筆者は問いかける。


☆ 筆者の挑発に思わず考え込む。法華経のように「行道不行動 随応所可度」というならわかりやすいのだが、「行動不行動」にかかわらず、救われる人は救われ「神の国」に受け入れられ、救われない人は永遠の業火に苦しむというのだ。全く神の身勝手としか言いようがない。神はえこひいきをするのだ。それなのに神の覚えめでたきようにせっせと働くのだから、健気としか言いようがない。

☆ 多分、せっせと金を稼いでいるうちに、そのことが楽しくなってしまったのではなかろうか。生徒の例で言うと、勉強が楽しくなりもはや合否などどうでもよくなったのではなかろうか。神が「資本」に姿を変え、知的好奇心が教師の権威に勝ったのだろう。

☆ 信仰心が篤ければ篤いほど、結果的に神を冒涜する。自分自身が神化するという逆説が生じる。そう考えると面白い。

☆ 「近代」の黎明と神なき時代の苦悩が、そこから湧き上がったのかも知れない。


☆ 後半の「ニューカムのパラドクス」は難しかったけれど、頭の体操になった気がした。
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