★ 朝日新聞、土曜日恒例の「読書」のページ。「古典百名山」平田オリザさん担当の最終回だという。最終回に取り上げられたのが高橋和巳の「悲の器」。担当者との行き違いから連載が1回減って、三島か高橋か、迷った末の選択だったという。
★ 高橋和巳の作品、「邪宗門」や「憂鬱なる党派」は読んだが、「悲の器」は読んだことがなかった。本棚にもなかった。面白そうなので早速注文した。ある人物をモデルとした作品のようだ。
★ 平田さんのコラム、高橋と三島の対比が面白かった。1970年、三島由紀夫は割腹し、翌年、高橋は病で死ぬ。39歳だったという。平田さんは「戦後も、戦後文学も、いや近代日本文学自体がこの時期、一つの大きな峠を越えた」という。
★ 手元に高橋和巳の「人間にとって」(新潮文庫)があったので、その中の「死について」を読む。当時、病床にあった高橋が三島の事件を知って、その直後に書いた文章だ。高橋は三島に対し、思想的には対立しながらも「相互に拮抗しあっている敵手に対してだけ抱く特殊な感情を持っていた」という。
★ 「三島氏がもし自衛隊総監室へ乱入しただけならば、私をも含む何千何万の人間が参加した全共闘運動を、三島由紀夫は彼一人の力でパロディ化しようとしやがったなと思ったに違いない。しかし、乱入のあと割腹自殺したその死によって、私の感じ方は変わらざるを得なかった」(56頁)という。
★ 高橋は三島との対談を回想し、彼の発言を紹介している。東大紛争で、反権力の言論をやった先生が、政府からおかねをもらって生きているという矛盾。戦後社会を否定しながら、本を書いてお金をもらって暮らしている自分自身への罪悪感の自覚。
★ 高橋は文末で「礼記」にある孔子の弟子、子路の最後とその死を知った時の孔子の激情慟哭を紹介し、三島の死を知った自らの感情としている。
★ ここまで知ると先を読まねばならない。本棚から中島敦「李陵・山月記」(新潮文庫)を取り出し、それに収められている「弟子」を読んだ。
★ 今で言う不良少年のような子路が孔子と出会ってその人柄に感服し、弟子となり、成長していく姿が描かれている。温厚にして形や徳を重んじる孔子に対して、子路は直情型。形など糞喰らえで、師匠をも煩わせたが、その敬愛の情は決して失わなかった。孔子もまた子路を好んだ。お互いに足らざるものを相手に見ていたのかも知れない。
★ 子路が最後、義に殉じる場面。切り刻まれたあげく血に染まりながら、落ちた冠をかぶり直し「見よ! 君子は冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」と絶叫する場面は感動する。あれだけ形を否定していた彼をして、最後は師の教えを受け入れたのだ。いや、彼は本来的にそうしたかったのかも知れない。
★ 子路の最後を知った孔子の激情がまた感動的だ。子路が塩漬けの刑にされ、さらし者になったと聞くや、あの温厚な孔子が「家中に塩漬け類をことごとく捨てさせ、爾後、醢は一切食膳に上さなかった」という。
★ 学ぶべきことが多かった。
★ 高橋和巳の作品、「邪宗門」や「憂鬱なる党派」は読んだが、「悲の器」は読んだことがなかった。本棚にもなかった。面白そうなので早速注文した。ある人物をモデルとした作品のようだ。
★ 平田さんのコラム、高橋と三島の対比が面白かった。1970年、三島由紀夫は割腹し、翌年、高橋は病で死ぬ。39歳だったという。平田さんは「戦後も、戦後文学も、いや近代日本文学自体がこの時期、一つの大きな峠を越えた」という。
★ 手元に高橋和巳の「人間にとって」(新潮文庫)があったので、その中の「死について」を読む。当時、病床にあった高橋が三島の事件を知って、その直後に書いた文章だ。高橋は三島に対し、思想的には対立しながらも「相互に拮抗しあっている敵手に対してだけ抱く特殊な感情を持っていた」という。
★ 「三島氏がもし自衛隊総監室へ乱入しただけならば、私をも含む何千何万の人間が参加した全共闘運動を、三島由紀夫は彼一人の力でパロディ化しようとしやがったなと思ったに違いない。しかし、乱入のあと割腹自殺したその死によって、私の感じ方は変わらざるを得なかった」(56頁)という。
★ 高橋は三島との対談を回想し、彼の発言を紹介している。東大紛争で、反権力の言論をやった先生が、政府からおかねをもらって生きているという矛盾。戦後社会を否定しながら、本を書いてお金をもらって暮らしている自分自身への罪悪感の自覚。
★ 高橋は文末で「礼記」にある孔子の弟子、子路の最後とその死を知った時の孔子の激情慟哭を紹介し、三島の死を知った自らの感情としている。
★ ここまで知ると先を読まねばならない。本棚から中島敦「李陵・山月記」(新潮文庫)を取り出し、それに収められている「弟子」を読んだ。
★ 今で言う不良少年のような子路が孔子と出会ってその人柄に感服し、弟子となり、成長していく姿が描かれている。温厚にして形や徳を重んじる孔子に対して、子路は直情型。形など糞喰らえで、師匠をも煩わせたが、その敬愛の情は決して失わなかった。孔子もまた子路を好んだ。お互いに足らざるものを相手に見ていたのかも知れない。
★ 子路が最後、義に殉じる場面。切り刻まれたあげく血に染まりながら、落ちた冠をかぶり直し「見よ! 君子は冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」と絶叫する場面は感動する。あれだけ形を否定していた彼をして、最後は師の教えを受け入れたのだ。いや、彼は本来的にそうしたかったのかも知れない。
★ 子路の最後を知った孔子の激情がまた感動的だ。子路が塩漬けの刑にされ、さらし者になったと聞くや、あの温厚な孔子が「家中に塩漬け類をことごとく捨てさせ、爾後、醢は一切食膳に上さなかった」という。
★ 学ぶべきことが多かった。