百合の花は幼い頃からの馴染みの花です。
中学生になった頃から、百合の花を観察し
水彩画で何度も何度も描いて楽しんだのを思い起こします。
こちらはまだ梅雨が明けませんが、
百合の花は、いつも爽やかさを与えてくれます。
今日は百合の花と橙色のバラを紹介致します。
庭に咲いている「百合の花」
姉妹の鉢植えの「バラ」
百合の花は幼い頃からの馴染みの花です。
中学生になった頃から、百合の花を観察し
水彩画で何度も何度も描いて楽しんだのを思い起こします。
こちらはまだ梅雨が明けませんが、
百合の花は、いつも爽やかさを与えてくれます。
今日は百合の花と橙色のバラを紹介致します。
庭に咲いている「百合の花」
姉妹の鉢植えの「バラ」
み言葉・聖書には「詩編」の次に「箴言」が収められています。ある時、家から家の聖書の伝道の時、ご年配のご婦人に「ところで箴言という言葉をご存知ですか?」と、お尋ね致しますと、そのご婦人は、「ハーイ、武田信玄の信玄です!」と、明るくお答えになられました。そのご婦人に「ご年配の方は「しんげん」と聞くと、やはり武田信玄の事を思い起こすかも知れませんね。実は聖書には「箴言」が記され、「箴言」とはこのような字を書きます。聖書からご確認してくださいますか」と、お伝えし、「箴言」の漢字を確認して頂きました。すると、そのご婦人は「この「箴言」の言葉を知りませんでした。「しんげん」と聞くと直ぐに「武田信玄」の名前が浮かびました・・・」と、大笑いをされました。そのことがご縁となり、このご婦人と「聖書レッスン」が始まったのです。「しんげん」と聞いて同じく「武田信玄」を思い浮かべる方は、先日も高校生の方で、同じように答えられた方がいました。その高校生の方も、学校で「箴言」の言葉を学ぶことはなかったと答えられました。では「箴言」とはどのような意味でしょうか。聖書は次のように説明しています。
「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。これは、人が知恵と懲らしめを知り、真理の言葉をわきまえ、洞察力、義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ、経験のない者たちに明敏さを、若者に知識と思考力を与えるためのものである。
賢い者は聴いて、さらに多くの教訓を取り入れ、理解のある者は、巧みな指導を得る人である。これは、箴言と難解なことわざ、賢い者たちの言葉とそのなぞを理解するためである」(箴言1:1~6)。
皆様方は、上の聖句をお読みし、どのようにお感じになられたでしょうか。このみ言葉の箴言の意味するところを熟考し、箴言を読み、適用される方々は幸いです。日本の歴史が何も記されていなかった時代に、み言葉の箴言を読み、偉大な創造者エホバのみ言葉に依り頼み、生活に適用された遥か昔の人々の心の賢さに思いを馳せると、私たちもみ言葉を学び続け、適用することの動機付けが得られます。
爽やかな 装い魅せる 百合の花 今日の一句
裏庭に実った「リンゴ」
普通は桔梗は青と白ですが、淡いピンク色の桔梗が
鉢植えでホームセンターで売られていました♪
爽やかさと温かさを広げています。
桔梗の花期は6月~9月です。
用途は切り花、鉢植え、花壇です。
花言葉は「品行方正」と紹介されています。
今日は淡いピンクの桔梗と赤のエキナセアを紹介致します。
鉢植えで売られていた「桔梗」
鉢植えで売られていた「エキナせア」
私の子供の頃は、み言葉・聖書を学んだことのお無い人たちも、「神様が天から見ているので、決して悪をしてはならず、良いことをするように」と、教えておられたのを覚えています。ところが、現在の多くの人は、神エホバがあたかも、自分たちを見ていない、また気にも留めていないかのように生活をしています。皆様方はどのように感じられますか。詩編14編1節には、分別のない者は、心の中でエホバはいない、と述べ、そのような者の中には、善いことを行う者はいない、と記されています。神エホバがいないかのように振る舞う者は、悪の限りを行っています。本当に神エホバは、人間の言動を見ておられないのでしょうか。神エホバは天からすべての物事を見ておられます。聖書に次の言葉が記されています。
「エホバの目はあらゆる場所にあって、
悪い者と善い者とを見張っておられる」(箴言15:3)。
神エホバは悪い者と善い者とを見張っておられるのです。
聖書を調べると、神エホバは、ひそかに盗みを働く者、誇りと尊大さを表す人間、偽りを語る者たち、粗暴で、不親切、必要なものを出し惜しみする人間、殺人をする者、姦淫・淫行を行う者たち等々を見張り、必ず処罰を与えています。アカンの盗みに対する処罰の執行(ヨシュア7章)、王ウジヤの誇りや尊大さゆえの裁き(歴代第二26:16~21)、エリシャの従者ゲハジの偽りについての裁き(列王第二5:20~27)、アビガイルの夫のナバルの粗暴、不親切、出し惜しみ対する裁き(サムエル第一25章)、人類史上最初の殺人を犯したカインへの裁き(創世記4:5~7、10,11)、エリの二人の息子の性の不道徳に関する裁き(サムエル第一2:12,22;3:11~14)等々、数多くの事例が記されています。神エホバは悪を容認されることはありません。必ず悪を明らかにし、裁きを執行されます(テモテ第一5:24)。エホバ神はそのために悪い者を見張っておられるのです。神エホバは間もなく、この地上から邪悪なものを断ち滅ぼすことを明らかにされています(啓示18章~20:2,10)。
神エホバが善い者を見張っておられるのは、当然のことながら、彼らを正し、助け、祝福を与えるためです。聖書中にその実例が数多く記されています。神エホバは小さな事柄と思えるような、各自の善い行いを見ておられます。貧しいやもめの少額の寄付のことや(ルカ21:1~4)、一人の女性がイエスに行った親切な行為(マタイ26:6~13)。エレミヤの書記官バルクを正しく導き助けられたこと(エレミヤ45:1~5)、ノアとその家族やモーセやヨシュアやヨセフやルツやダビデやアビガイル、み子イエスの謙遜と従順な歩みを祝福されたことや使徒たちの活動(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書、使徒たちの活動)等々、膨大な事実が記録されています。こうした事実を理解するなら、善いことを行いたい、と動機付けが与えられます。皆様方も善いことを行い続けていらっしゃる方々であれば幸いです。神エホバは善いことを行う者たちを義の宿る楽園に導かれます(ペテロ第二3:13)。
真っ二つ まな板の上 スイカかな 今日の一句
鉢植えの「ハイビスカス」