紫陽花の花は、晴れた日も、梅雨の雨の中でも
実に鮮やかに映えて見えます。
とりわけ紫陽花の花は、梅雨の雨が止んだ直後の、
雨露を花弁に載せた状態は、一際美しく見えます。
新潟の写真家が、そのような紫陽花を見事に映し出し紹介されていました。
今日は青のアジサイと赤と赤紫のダリアを紹介致します。
新潟の写真家の提供の「雨上がりのアジサイ」
切り花で出荷されていた「ダリア」
紫陽花の花は、晴れた日も、梅雨の雨の中でも
実に鮮やかに映えて見えます。
とりわけ紫陽花の花は、梅雨の雨が止んだ直後の、
雨露を花弁に載せた状態は、一際美しく見えます。
新潟の写真家が、そのような紫陽花を見事に映し出し紹介されていました。
今日は青のアジサイと赤と赤紫のダリアを紹介致します。
新潟の写真家の提供の「雨上がりのアジサイ」
切り花で出荷されていた「ダリア」
私は中学生になった時、教師から「人」という漢字について、次のように説明を受けました。「漢字の「人」の文字の左側の「ノ」の部分は男性を表し、その「ノ」の部分を右側で支えているの部分は男性の助け手の女性を表している。これが漢字の「人」で書き表すいわれであり、男性を女性が助ける状態、また互いが助け合うのが「人」なのである。つまり「人間」である」。中学生になったばかりの当時、私はこの説明を聞き、深く印象に残りました。それから遥か後にみ言葉・聖書を学びました。
み言葉・聖書の創世記の記述に、人を神エホバとイエスに似た様に、「神の像(かたち)」に創造し、男性と女性が創造されたことが記されているのを読み、怒涛のごとく光が差し込むのを感じました(創世記1:26,27)。さらに、聖書には、最初の男性アダムを創造した後、「彼(アダム)を補うものとなる助け手」としての女性エバを創造されたことが記されています(創世記2:18、20)。こうした聖書の記述を読んだ時、中学生の時の教師が「人」の漢字のいわれを教えて下さった言葉を明瞭に思い起こしました。その時、きっと中学の時の教師は、聖書の記述をご存じであり、その内容に基づき、教えてくださったのだと思いました。
さらに聖書は、男性と女性を「人」の名で呼ばれるようになったのは神エホバであることを次のように明確に記しています。「男性と女性にこれを創造された。そののち神(エホバ)は彼ら(アダムとエバ)を祝福し、その創造された日に彼ら名をの ”人” と呼ばれた」(創世記5:2)。
このように偉大な創造者エホバは、エデンの園に男性アダムと女性エバを創造し、神自らが「人」と呼ばれ、現在に至るまで、男性と女性を「人」もしくは「人間」と呼んでいるのです(創世記2:8,15;5:2)。「人」という呼称は、人間が付けたものではなく、命の源のお父さんエホバが付けられた呼び名なのです(詩編36:9.啓示4:11)。このことを知ると、お父さんエホバに近づいてみたいと思われるのではないでしょうか。また漢字を考案された人は、恐らく、創世記に記されている偉大な創造者エホバが男性アダムを創造し、女性エバを創造された目的が、男性を補う助け手であることを、よく理解しておられたものと考えられます。
後にイエス・キリストは新しいおきてとして「互いを愛すること」を与えられました(ヨハネ13:34,35)。私たちが「人」であるためには、互いを愛し、助け合う必要があり、また私たちはそのことが出来るように「神の像(かたち)」に創造されているのです(創世記1:26,27)。
蛇の目蝶 雨上がる庭 とまりおり 今日の一句
雨上がりの庭の「蛇の目蝶」