詩編22編22節には、地上に遣わされるメシアであるイエス・キリストはエホバのみ名を兄弟たちに告げ知らせることが預言されていました。この預言はヨハネ17章26節に「わたし(イエス)はみ名(エホバ)を彼らに知らせました」と、記されている通り、成就したのです。詩編22編にはメシアが経験する事柄が預言されていましたが、それらはすべてメシアのイエス・キリストに成就しました。今日紹介する詩編23編には、「エホバはわたしの牧者。わたしは何にも不足しません」と記されている通りに、エホバ神は牧者であり、ご自分の民を「導き」、「守り」、「養う」ことが記されています。
詩編23編1節~6節には次のように記されています。
ダビデの調べ。
「エホバはわたしの牧者。
わたしは何にも不足しません。
神は草の多い牧場にわたしを横たわらせ、
水の十分にある休み場に
わたしを導いてくださいます。
神はわたしの魂(命)を爽やかにしてくださいます。
そのみ名のために義の進路に
わたしを導いてくださいます。
たとえ深い陰の谷を歩もうとも、
わたしは何にも悪いものを恐れません。
あなたがわたしと共にいてくださるからです。
あなたのむち棒と杖は、
わたしおも慰めてくれるものなのです。
あなたは、わたしに敵意を示す者たちの前で、
わたしの前に食卓を整えてくださいます。
あなたはわたしの頭に油を塗ってくださいました。
わたしの杯はあふれんばかりです。
確かに、善良さと愛ある親切が、
わたしの命の日の限りわたしを追うことでしょう。
わたしは長い日々にわたって、
エホバの家に住むのです」(詩編23:1~6)。
上の聖句に示されている通り、偉大な創造者エホバ神は、牧者であり、ダビデ王は何にも不足しないことを明らかにしています。なぜエホバ神は牧者であり、何にも不足しない、と言うことができるのかについては、詩編23編2節~5節で「導き」、「守り」、「養う」神であることを明らかにされています。羊飼いが羊を牧するように、草の多い牧場に休ませ、水の十分にある休み場に導いてくださるのです。さらに牧者であるエホバ神は魂(命)を爽やかにし、エホバというみ名のために義の進路に導いてくださるのです。牧者のエホバ神は、「深い影の谷」、つまり困難や試練に遭っても、共にいてくださり、慰めを与えて守ってくださる神であることを明らかにしています。牧者のエホバ神は、「敵意を示す者たちの前で」、「食卓を整え」、加えて、「頭に油を塗る」、つまり霊的に養ってくださる神でもあるのです。それゆえ、ダビデは牧者エホバ神の「善良で愛ある親切」が「命の日の限り」注がれるゆえに、「長い日々にわたって、エホバの家に住む」と、エホバ神と共に歩むことを明らかにしています(詩編23:6.ミカ6:8)。ダビデの模範に見倣って、慎みをもってエホバ神と共に歩む方々は幸いです。
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