この時期になるとあちこちでボタンの花が咲いているのを
見るようになります。
ボタンの花は「立てばシャクヤク、座ればボタン」と、日本女性の
美しい立ち振る舞いに例えられている花です。
ボタンは中国名「牡丹」の和音読みです。
花期は4月~5月です。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「姉妹愛」と紹介されています。
今日はボタンとチューリップを紹介致します。
庭に咲いている「ボタン」
道辺に咲いている「チューリップ」
この時期になるとあちこちでボタンの花が咲いているのを
見るようになります。
ボタンの花は「立てばシャクヤク、座ればボタン」と、日本女性の
美しい立ち振る舞いに例えられている花です。
ボタンは中国名「牡丹」の和音読みです。
花期は4月~5月です。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「姉妹愛」と紹介されています。
今日はボタンとチューリップを紹介致します。
庭に咲いている「ボタン」
道辺に咲いている「チューリップ」
愛の神エホバは、高ぶる目・ごう慢な者を忌み嫌います(ヨハネ第一4:8.箴言6:17)。それは、ごう慢な者は、自らを賢いものとし、神エホバからの知恵や識別力を学ばず、能力に限界があることをわきまえず、独自の道を歩むからです(箴言3:7.エレミヤ10:23)。一方、謙遜な人は、神エホバからの教えを学び、霊の実・愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは、明確な証拠に基づき、抱く期待、希望が保証されていることです)、温和、自制を培い、生活の中で適用します(ガラテア5:22,23)。
神エホバの預言者イザヤが生きた時代、ユダはバビロンと関わりをもつようになりました。ヒゼキヤ王は重病で倒れますが、回復します。ヒゼキヤ王の回復に対する祝いの言葉を述べるためにバビロンから大使たちがやって来ますが、それには、ヒゼキヤをアッシリアに対する戦いの同盟者として抱き込もうとする隠れた意図があったようです。軽率にもヒゼキヤ王は、自分の財宝すべてをバビロンの大使たちに見せました。そのため、イザヤはヒゼキア王に、王の死後、それらの富はみなバビロンに持ち去られるだろうと告げました(イザヤ39:1~7)。その預言の言葉は、西暦前607年、エルサレムが滅ぼされ、イスラエル国民がバビロンに流刑にされる時に成就しました。しかし、神エホバの選ばれた民は永久にバビロンに流刑にされたままになるわけではありません。神エホバは、民がイスラエル故国に流刑から帰還する道を、ご自分がどのように開くかを予告し、次のように語りました。
「あなた方はむき出しの岩の山の上に旗じるしを揚げよ。彼ら(新興世界強国)に向かって声を上げ、手を振り、彼らが高貴な者たちの入口に入って来るようににせよ」(イザヤ13:2)。
上の聖句の「旗じるし」とは、バビロンを高位の立場からひきずり降ろす、ある新興世界強国のことです。その世界強国は、遥か彼方からも見える「むき出しの岩の山の上に」掲げられます。その新たな新興世界強国はバビロンを襲撃するよう呼び出され、「高貴な者たちの入口」、つまりその大いなる都の城門から押し入り、都を征服します。
次いで神エホバは、イザヤを通し、こう言われます。「わたし(エホバ)は、わたしの神聖にされた者たちに命令を出した。また、わたしの怒りを表明するために、わたしの力ある者たち、わたしのひときわ歓喜している者たちは叫んだ。聴け、山々にいる群衆を、数多い民のようなものを!聴け、多くの王国、集められた諸国の民のどよめきを!万軍のエホバは戦いの軍勢を招集しておられる」(イザヤ13:3,4)。
ごう慢なバビロンを低めるために任命された、これら「神聖にされた者たち」とは誰のことでしょうか。それらは諸国の連合軍、「集められた諸国の民」です。その連合軍は遠方の山地からバビロンを攻めるために下って来ます。「彼らは遠くの地から、天の果てからやって来る」のです(イザヤ13:5)。それらの者たちはどんな意味で神聖にされているのでしょうか。ヘブライ語聖書では、「神聖にされた」とは、「神(エホバ)に用いられるように取分けられた」ことを意味しています。神エホバは、諸国の軍隊を神聖にし、その利己的な野心を利用してご自分の怒りを表明することができます。神エホバはアッシリアをそのように用いたことがあり、バビロンも同じようにお用いになります(イザヤ10:5.エレミヤ25:9)。そして、他の国々を用いてごう慢なバビロンに処罰を下されるのです。
次回に神エホバがごう慢なバビロンの倒壊を予告された内容をお伝え致します。
学童ら 登校の道 桜舞う 今日の一句
道路沿いに咲いている「ボタン」