イザヤを通して神エホバが予告した通りに、ごう慢なバビロンの都は必ず倒壊します。ごう慢なバビロンは「エホバの日」という、激痛を伴う清算の日、つまり神エホバの裁きの日を迎えます。裁き主である神エホバは、罪深いバビロンの住民に当然の裁きを下されます。イザヤを通しこう予言されています。
「見よ、エホバの日が来ようとしている。それは憤怒と燃える怒りを伴う残酷なものであり、その地は驚きの的とし、その地(バビロン)の罪人たちをそこから滅ぼし尽くすためである」(イザヤ13:9)。
ごう慢で罪深いバビロンの将来の見通しは陰鬱であり、あたかも太陽や月や星がすべて光を失ったかのようです。イザヤは次のように描写しています。「天の星もケシルの星座もその光を放たず、太陽はその出て行くときに実際に暗くなり、月もその光を輝かせない」(イザヤ13:10)。
この誇り高くごう慢なバビロンの都がそのような陰鬱な状況に陥るのは何故でしょうか。神エホバはイザヤを通して次のように言われました。
「わたし(エホバ)は産出的な地にそれ(バビロン)自身の悪を、邪悪な者たちに彼ら自身のとがを必ず帰させる。そして、わたし(エホバ)はせん越な者たちの誇りを実際に絶やし、圧制者(バビロン)のごう慢を卑しめる」(イザヤ13:11)。
神エホバの憤りは、バビロンが神エホバの民に加えた残虐行為に対する処罰として注ぎ出されるのです。バビロニア人の悪のゆえに、その全土の民は苦しみます。これらの誇り高くごう慢な圧制者たちは、公然と神エホバに挑むことは、もはやありません。神エホバは圧政的なバビロンのごう慢な態度を卑しめられるからです。
神エホバは、イザヤを通し、「わたし(エホバ)は死すべき人間を精錬された金よりも、地の人をオフィルの金よりもまれなものとする」と言われました(イザヤ13:12)。
このごう慢なバビロンの都の人口は激減し、荒れ果てた所となるのです。神エホバはイザヤを通してこう続けられました。「それゆえ、わたし(エホバ)は天を動揺させ、地は万軍のエホバの憤怒により、その燃える怒りの日により、そのある場所から激動する」(イザヤ13:13)。
ごう慢なバビロンの「天」、つまりその無数の男神や女神は動揺させられ、いざという時にごう慢なバビロンを助けることが出来ません。「地」、つまりバビロニア帝国は激動されて放り出され、滅亡した帝国一つとして歴史にとどめられるのみとなります。イザヤは次のように述べました。
「彼ら(バビロン)は追われるガゼルのように、自分たちを集めてくれる者のいない羊の群れのように、各々自分の民に向かう。各々自分の地に逃げて行くのである」(イザヤ13:14)。外国人で味方であった者たちも皆バビロンを捨てて逃げ、征服者である世界強国と新たな関係を築こうとします。遂にバビロンは征服された都市の激痛を経験します。それはぜ全盛期のバビロンが他の非常に多くの国々に味あわせた、イザヤが述べた次の苦しみです。
「見つけられる者はみな刺し通され、一度に集め捕らえられた者はみな剣によって倒れる。彼らの子供たちさえ、彼らの目の前で打ち砕かれる。彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される」(イザヤ13:15,16)。イザヤの言葉通り、ごう慢なバビロンは卑しめられれる結果になりました。
あなたも、ごう慢な精神ではなく、イエスに見倣い謙遜で従順な人々のお一人であれば幸いです(フィリピ2:5~8)。
童心に 帰り眺める チューリップ 今日の一句
かかり付けの医院の「ラナンキュラス」