昨日、夕暮れ時の宇和島湾と日没時の宇和島城を
紹介致しましたが、本日は昼間に昨日と同じ場所に
宇和島湾と宇和島城の写真を撮りに行きましたので紹介致します。
本日も33℃を超える厳しい猛暑でした。
今日は愛媛県宇和島市の湾と宇和島城とノウゼンカズラの花を紹介致します。
宇和島湾と小高い山の上の宇和島城
昨日の夕暮れ時の「宇和島湾」
市内宇和津彦神社から見る「宇和島城」
昨日の日没時の宇和津彦神社から見た「宇和島城」
道辺に咲いている「ノウゼンカズラの花」
昨日、夕暮れ時の宇和島湾と日没時の宇和島城を
紹介致しましたが、本日は昼間に昨日と同じ場所に
宇和島湾と宇和島城の写真を撮りに行きましたので紹介致します。
本日も33℃を超える厳しい猛暑でした。
今日は愛媛県宇和島市の湾と宇和島城とノウゼンカズラの花を紹介致します。
宇和島湾と小高い山の上の宇和島城
昨日の夕暮れ時の「宇和島湾」
市内宇和津彦神社から見る「宇和島城」
昨日の日没時の宇和津彦神社から見た「宇和島城」
道辺に咲いている「ノウゼンカズラの花」
聖書にはイサクが、神エホバの祝福によって非常に裕福になると、人々がねたみを持ち、井戸に土を詰め、嫌がらせをしたことが記されています。それでもイサクは移動しながら井戸を掘りました。その後、王アビメレクや地域の長たちが、イサクにはエホバが共におられる、ことを認めている言葉が次のように記されています。
「その後、王アビメレクがゲラルからイサクの所にやって来た。相談役のアフザトと軍隊の長フィコルが一緒だった。イサクは彼らに言った。「あなた方は私を嫌って出て行かせたのに、どうして私の所に来たのですか」。彼らは言った、「私たちは、エホバがあなた(イサク)と共におられることがはっきり分かりました。それでこう言おうということになりました。「私たちは誓いを交わし、私たちと契約を結んでください。私たちがあなたに危害を加えなかったように、あなたも私たちに何も悪いことはしないと約束してください。私たちは、あなたによくしてあげて安全に出ていかせたのではないでしょうか。あなた(イサク)はエホバに祝福された方です」」。イサクは御馳走を用意し、彼らは食べて(ぶどう酒を)飲んだ。翌朝、一同は早く起き、誓いの言葉を交わした。彼らはイサクに送り出され、穏やかに去って行った。
その日、召し使いたちがいイサクの所に来て、掘った井戸について報告して言った。「水が出ました!」。それでその井戸はシプアと名付けられた。その町が今もベエル・シエバと言われているのは、そのためである。
エサウは40歳の時、べト人べエリの娘ユディと、べト人エロンの娘バセマトを妻とした。この女性たちはイサクとリベカを非常に悩ませた」(創世26:26~35)。
上の聖句に記されている通り、イサクは他の人に譲歩し、慎み深い生活態度を取っていたため、王アビメレク、相談役、軍隊の長が、イサクに対して「エホバがあなたと共にいる」と言っています。イサクの温和で利他的な生き方は、エホバが共にいて、傍で支えて祝福してくださったのです。さらに、イサクは訪ねて来た彼らにご馳走をし、ぶどう酒を快く飲ませ、寛大な心を表しています。こうしたイサクの態度に私たちも見倣うことが出来るでしょう。
イサクの長男エサウは40歳の時に2人の妻を迎え、イサクと妻のリベカを悩ませたことが記されています。
次に高齢になったイサクの家族に生じた出来事を聖書は記録していますので、次回に紹介致します。
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道辺に咲いている「ノウゼンカズラの花」
宇和島市の市街の東の少し奥の小高い所まで登ると
宇和島湾と市街の一部と宇和島城が見えます。
そのため夕暮れ時の愛媛県宇和島湾の写真を撮りに行きました。
うっすらとした夕焼け空の宇和島湾の写真と
日没時の宇和島城の写真を撮ってきました。
今日は夕暮れ時の愛媛県宇和島市の湾とムクゲの花を紹介致します。
1.夕暮れ時の宇和島湾。湾の出口を右に行くと吉田湾です。市街の小高い山の上にあるのが宇和島城です。
クレーンが見える場所は造船所です。
2.日没時の宇和島城
日没時でも宇和島城をもう少し鮮明に撮る、技術を持ち合わせていれば良いのですが・・・
3.道辺に咲いている「ムクゲの花」。普通見掛けるムクゲの花と花びらの形が違います。
イサクは、妻リベカが美しいため、自分が殺され、妻リベカが奪われるかもしれないと心配し、地域の人に「私の妹です」と言っていました。そうしたイサクの行動に対し、王アビメレクは、イサクとイサクの妻リベカに手出しをする者は死刑に処す、と王命を出し保護しました。神エホバはイサクを祝福したことを聖書は次のように記しています。
「イサクはその土地(飢饉の土地)で種をまいた。その年の収穫は、まいた物の百倍にもなった。エホバが祝福したからだった。イサクは裕福になり、その後も成功していき、非常に裕福になった。幾つもの羊の群れと牛の群れを持ち、大勢の召し使いを抱えるようになったのである。それでフィリステア人は、彼をねたむようになった。
フィリステア人は、父アブラハムの時代に召使たちが掘った井戸全てに土を詰め、ふさいだ。王アビメレクはイサクに言った。「あなたは私たちよりはるかに強くなりました。私たちの所から出て行ってください」。
それでイサクはそこから移動し、ゲラルの谷宿営を張って住んだ。イサクは父アブラハムの時代に掘られ、アブラハムの死後フィリステア人にふさがれた井戸を掘り直した。そして、それぞれの井戸を、父が付けた名前で呼んだ。
イサクの召し使いたちが谷で井戸を掘ると、きれいな水が出てきた。するとゲラルの羊飼いたちが、「その水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと言い争いを始めた。その井戸はエセクト名付けられた。言い争いがあったからだ。
別の井戸を掘ると、それを巡ってまたも言い争いが起きた。その井戸はシトナと名付けられた。その後イサクはそこから移動して別の井戸を掘った。今度は言い争いが起きなかった。その井戸はレホボトと名付けられた。イサクが言うには、「エホバが広い場所を与え、ここで子孫を増やせるようにしてくださったから」だった。
やがてイサクはそこからベエル・シエバに行った。その夜、エホバがイサクに現れて、こう言った。「私(エホバ)はあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。私(エホバ)はあなたと共にいるからだ。私に仕えたアブラハムのゆえに、あなた(イサク)を祝福し、あなたの子孫を多くする」。それでイサクはそこに祭壇を作ってエホバの名を呼んだ。イサクはそこに天幕を張り、召使たちは井戸を掘った」(創世26:12~25)。
上の聖句に記されている通り、エホバの祝福によって、イサクは多くの資産を有し、非常に裕福 になり、フィリステア人からねたまれるようになりました。そのためイサクが羊や牛や自分たちの生活のための井戸を掘ると、フィリステア人たちを井戸に土を詰め、使えなくする嫌がらせをしました。それでイサクの召し使いたちとフイリステア人の言い争いが生じています。そのためイサクは移動し、新しい井戸を掘ると、言い争いは起きませんでした。イサクは辛抱強くし、移動し羊や牛や家族や召し使いたちの命を守る井戸を掘った行動から、諦めないで行い続けることの重要性を学べます。
そのためエホバが現れ、イサクに「・・・恐れてはならない。私(エホバ)はあなたと共にいる」と励まし祝福されたことが記されています。
このイサクが何度も井戸を掘った行動から、物事がどのように進展するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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