早晩、TPP交渉への参加表明がなされそうな雲行きになってきました。そのようなおり、本日の朝日新聞西部本社に「農業の強化策 規制改革を、忘れるな」と題する社説が掲載されておりました。この短文の社説の中に「農地の集約化を進める」というフレーズが二度も登場します。この集約化とは一体何を意味するのでしょうか。素直に解釈すれば、現在てんでんバラバラに散在する農地を一箇所に集めて(同一所有者・管理者)効率化を図る必要がある。そのためには農地法等々の規制緩和が必要であるといったことになるのでしょう。
そもそも集約農業とは、世界大百科事典 第2版によれば「土地利用の集約度の高い農業をいう。集約度とは一定の土地に対する投下費用の大きさのことで、土地の面積当たりの農業経営費でみる。労働比重の高いものを労働集約的農業、物財比の高いものを資本集約的農業という。」(引用中一部省略・変更)とあります。つまり、労力や資本を集中投下し、単位面積当たりの生産性を向上させるといったことを指しています。
従って、社説の農地の集約化と集約農業の集約とは違った意味となります。朝日新聞ともあろうものが、まさか誤用されているとは思いませんが、紛らわしい用語を用いることは如何なものかと思います。例えば、大規模・集約化農業とよく用いられておりますが、この場合の集約化を社説のような意味に捉えていらっしゃることが多いと思われます。
この際、言葉の意味を細々と議論しても意味がありません。
大規模化については「TPPについて(3)-経営規模拡大で対抗できるか?」や「農業ことはじめ(9)-兼業農家について」で述べておりますので、よろしければご参照ください。
さて、社説の意味での農地の集約化についてですが、これもさほどの効果は無いのではないかと思われます。集約化できる農地は既に集約化されていると思われます。平野部の農地は、農業基盤整備事業等々でかなりの部分が集約化されていると思われます。私が生まれた筑後平野は、確か1980年代だったと思いますが用水路や農道等の整備がなされるとともに農地も一箇所に集められました。また干拓事業などのように新規の農地造成がなされる場合には、そもそもが集約化が行われております。ですから、現在の優良農地といわれているものは、既に集約化が行われているといえるのではないでしょうか。
ですから、何らかの理由で集約化したくてもできない農地が取り残されているといえるのではないでしょうか。例えば、私が住んでいる山麓部や山間部の農地ですが、集約化したところで大した意味はありません。何故ならば一枚の田んぼの面積を広げることが不可能だからです。傾斜地に田んぼがある場合には、当然ながら高低差が生じます。10アールの田んぼで1m程度の高低差が生じます。田んぼの面積が広ければ広いほど高低差が大きくなります。隣の田んぼとの高低差が大きくなってしまいます。これを集約化すると大規模な土木工事が必要になります。そこまでして何故に集約化が必要なのかといった疑問が生じます。もし実行しても誰もがその費用負担に耐えられないと思います。「灌漑施設の管理作業」で書いておりますように、不要となった整備事業の負担金の支払や管理作業に追われております。
正直いって私にとってTPPはどうでも良いことです。私は私の守備範囲を最善を尽くして守るだけです。外野席から「あーしろ、こうしろ」と言われたくありません。ましてや補助金やってんだからと言われるくらいなら、こちらから返上いたします。自分の身は自分で守りますので、どーぞお構いなく願いたいものです。特に、集約化の名の下に、せっかく土壌改良してきた農地をアッチのと取替えろなんて、御免被ります。
農地にしがみついているといわれようとも、独善的だといわれようとも「ならぬものはならぬのです。」 これは銭金の問題ではないのです。それくらい自分の農地に愛着を持っている者がいるということをご理解いただきたいと思います。
<参考> 「農地の集約化と生産性向上の限界」「自然農について」