今日のいきもの
アサギマダラの越冬幼虫です。 夏の間本州で過ごしたアサギマダラは秋になると気温の低下とともに冬の間も比較的暖かい南の島々を目指して移動して行きます。南へ下って行く途中でメスは食草を見つけて卵を産んで行きますが、晩秋に孵化した幼虫は寒い冬の間に食草のキジョランの葉を少しづつ食べて春までに成長してゆきます。桜の咲くころには蛹となり気候のよいゴールデンウイークのころに蝶となって再び北を目指します。アサギマダラはこのような珍しい不思議な生態の蝶です。
新しい年を迎えたと思ったらもう1月も残り僅かになりました。わたくし寒さに負けずいたって元気に過ごしていましたが、正月以来ブログではしばらくのご無沙汰でした。そろそろ皆様から忘れらりているかもしれないなあと思いながら蓋を開けています。
正月初めから比較的暖かい日が続き、寒に入っても寒らしくない日が続いていました。暖かい日が続くことはそれはそれで嬉しいことです。みかんの木達も私以上に喜んでいたと思います。暖かいと言っても1月2月は真冬です、いつまでも暖かい日が続くわけはなく11日にはこの冬一番の寒気がやって来ました。比較的温暖な安下庄の町でも氷点下になる日が4日間続きました。その反動か次の週には昼間の気温が15℃になるような暖かい日が4・5日ありました。畑仕事では汗をかいて家に帰ると下着まで着かえることがありました。そんな日も長くは続かず22日からは今月二度目の寒波がやって来ました。この寒さはかなり厳しかったようです。樹上に実を付けて冬を越す柑橘を我が家ではいろいろ作っています。最低気温が-3℃を下回る日がありましたので果実に凍害が出ている所もありそうです。柑橘類はもともと南方系の植物ですから寒さには弱いものです。みかんたちは寒さが嫌い、でも私は子供のころから寒さが好きでした。氷が張り、雪が降り、ツララが下がるとその日の朝はなぜかウキウキしたものです。暖かい地方に暮らしているからこそ寒さにあこがれていたのかもしれません。北国で暮らす人たちにたいして、そんな気持ちは申し訳ないと思います。
そして冬至からひと月余りが過ぎました。朝日の出るのはさほど速くなったとは感じませんが、夕方の日暮れはかなり遅くなりました。6時まで畑で仕事ができるようになりました。太陽が北に戻って来つつあるのを感じるこの頃です。昨年の暮れには遅い時間に顔を出す朝日を写真に撮っていました。朝日や夕陽の写真を撮っていると太陽はどこから昇って来るか、夕日はどこに沈むのかということがとても気になります。東から昇り西に沈むのは当たり前のことですが太陽が顔を出す場所や沈む場所はそれを見る人に大きな感動や影響を与えます。水平線から昇る朝日とか砂漠の地平線に沈む夕日などは実際見たことはありませんがいいだろうなと思います。そんな所にいたら地球と自分が一体になれるのではなかろうかと想像します。水平線から昇る太陽は見たことがありませんが、昔釣りをしていたころは夜明け前の暗いうちに港を出て海の上で夜が明けることはよくありました。残念なことに瀬戸内海では水平線を見ることはできません。そして感動的な夜明けの中にいてもその頃は写真の趣味はありませんでしたので思い出としてかすかに残っているだけです。当時そんな素晴らしい夜明けを多くの人に見せてあげたいと思いましたが、そんな時間帯はほとんどの人はきっとまだお布団の中にいて夢の中ですから体験することはあり得ないことです。当時私が写真をやっていたら感動の何分の一かはお伝えできたかもしれません。そんなこともありましたが、今はカメラで自然やいきものの一瞬を画像ら収めることを唯一の楽しみとしています。今日はアサギマダラの越冬幼虫の観察と調査に行きましたが、帰りに夕日がきれいだったので30分ばかり眺めていました。雲はありましたが地平線に近い空がよく晴れていたので西の九州がよく見えました。九州の山々に日が沈むのはめったに見ることができません。ラッキーでした。
アサギマダラの調査が終わったころには日が西に傾いていました。でも夕日にはまだ少し早い時間です。
若いころの私はよくこんな風に船を走らせていました。夜明け前の薄明かりの中だったり、満天の星の下の暗闇の中を波の音だけを聴きながら走ったことも度々ありました。
瀬戸内海の島々の間から九州が見えます。そしてここは西へ東へと往来する貨物船の航路です。国道を大型トラックが走っているようなものです。
雲の向こうにいた太陽が雲の下に出てきました。
大分県の国東半島の山々がくっきりと見えてきました。
沈む直前の太陽は大きく見えます。そしてよく見ると今日の夕日は九州の山に沈みますが最も低い所に沈むように見えました。
山の端に隠れる太陽の動きは何と早いことか
私たちはこれから夜を迎えますが、地球の反対側の人たちはいま朝を迎えようとしているのですね。