金沢の観光スポットレポート(No.1903)
◇金沢城公園「三十間長屋公開」(ユーチューブ連動解説版)
〇金沢城公園概況
金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)
に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、
天正11年(1583)加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。
慶長7年(1602)に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府へ
の遠慮から再建されなかった。
金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端
に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。
〇三十間長屋概要
金沢城跡本丸附壇にある三十間長屋は、幅3間、長さ36.5間余の2階建の土蔵で、屋根は南面入母屋造り、鉛瓦葺、白壁の腰に海鼠瓦を貼って石垣の上に建つのは、石川門と同様であり、二階の腰にも鉛瓦葺の庇を付けている。
■写真は
背面には出窓を3ヶ所設けているが、中央の出窓は基礎石積みの上にのり、屋根は入母屋造り。両脇の出窓は、石川門の出窓と同じ唐破風の屋根にしている。
安政5年(1858に再建されたもので、もとは軍備倉の堅固な造りで、千飯が貯えられていたというが、後に鉄砲蔵とも呼んだらしい。現存する金沢城の遺構は石川門ならび、貴重な建造物である。 昭和32年(1957)国の重要文化財に指定された。
■写真は二階
■写真は一階中央階段と張出し(左側)
■写真は張出しからの玉泉院丸
■写真は背面の唐破風の石落しと張出し
〇背面石垣は、切り石積みで「金場取り残し積」亀甲石。(中央右)
■写真は玉泉院側の石垣
(つづく)
□ユーチューブ金沢城公園「三十間長屋公開」