植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

2020-02-21 04:49:01 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1751)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



41)金昌山興徳寺(こうとくじ)

宗派:高野山真言宗
由緒:
興徳寺は日蓮宗の寺院で、もともと羽咋郡滝谷妙成寺の末寺で、正保元年(1644)
秀閑日受が宝達山に建てた寺が起こりと伝えられている。慶安4年(1651)金沢に出て三宝寺に借地して草庵を結び、延宝12年(1674)に現在地に移る。本堂は切り妻の大屋根に、本堂の向拝とその左側に鬼子母神の向拝がある。
住所:金沢市寺町5丁目12-16



■写真は興徳寺



42)倶利伽羅山宝集寺(ほうしゅうじ)

宗派:高野山真言宗
由緒: 
河北郡倶利伽羅山の長楽寺の僧弘誉を開山とした。僧惲獄の時、承応元年(1652)、加賀藩士・津田伊織盛尚が堀川讃岐町(堀川町)に創立して、その母の位牌所としたが、正徳四年(1714)、今の地に移った。不動明王、歓喜天、毘沙門天、千手観音を祀る。
加賀藩十代藩主・前田重教の頃より、前田家の祈願寺となる。本尊は不動明王。大仏さまの六角堂として有名である。加賀藩十二代藩主・前田斉広の産母貞林院の発願により建立した。(看板より)
住所:金沢市寺町1-6-39





■写真は宝集寺



43)天祥山桂岩寺(けいがんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
天祥山と号し、曹洞宗に属する。 寛永19年(1642)、伝馬町(現・片町、中央道、長町)に創建。享保14年(1729)大火のため焼失、翌年、現在地に再建された。 文化6年(1809)、海運天麟和尚が五百体羅漢安置を発願し、二百余体を勧進したが、志し半ばにして文化11年(1814)、示寂した。後師兄二十世・円戒和尚が志しを嗣ぎ百六〇体を勧進し、文政6年(1823)示寂。二十一世・欄牛和尚が文政8年(1825)に残りの尊像を勧進教化、三月十八日に完成し法要を営んだ。後の昭和37年4月29日、小学生の火遊びから本堂と五百羅漢等を焼失したが、それより復興を発願し、昭和62年11月1日、完成奉賛法要を営んだ。正面に安置の御本尊は、華厳の釈迦といい、華厳経を説いている姿と言われている。頭には宝冠を頂き、頸には衆の宝珠や瓔珞を付け荘厳されているので、観音様と間違えられることも多い。(看板より)
住所:金沢市寺町1丁目6-46





■写真は桂岩寺



44)闕野神社(がけのじんじゃ)

祭神:応神天皇
由緒:
当社は初め能美郡安宅浦に勧請し、後現在地に移転す。加賀守富樫氏の崇敬ありしといい伝う。天正12年(1583)創立と思われる。明治5年(1872)11月村社に列格、大正7(1918)年3月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
住所:金沢市十一屋町3-32





■写真は闕野神社

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◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

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◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)



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