植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢の秋2020 尾山神社③

2020-10-11 04:18:37 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1897)

◇金沢の秋2020 尾山神社③

○尾山神社 前田利家公銅像

加賀百万石を治めた利家の姿は凛々しく、天空に向けて槍を突き上げる若き姿は勇
ましい。利家は織田信長に仕え、生涯40近い戦に参戦した槍の名手で「槍の又左」という異名を持った。袋状の布を背負い、馬で駆けるとそれが風で膨らみ、背後からの流れ矢を防ぐ赤い武具「母衣(ほろ)」を纏った赤母衣衆で、ある程度の武将にならないと母衣は付けられなかった。

この銅像は、大河ドラマ『利家とまつ』の放映記念に造られたもの。利家は後に豊臣秀吉に服属し、柴田勝家に代わって北陸最大の大名となり、金沢城を居城とした。五大老として徳川家康と比肩する実力の持ち主でしたが、秀吉の死後、その8ヶ月後に利家も病死している。利家の死が豊臣氏の滅亡に決定的となる一因だったとも言われている。

■写真は前田利家公銅像



〇お松の方像

利家の正室で、学問や武芸をたしなむ才色兼備の女性だったと伝えられている。実母が利家の母の姉に当たり、利家とは従兄関係でもあり、利家亡き後、芳春院と号した。2男9女を産み、往時でも11人の実子がいるのは珍しかったようだ。

利家の危機を何度も救い、家康が天下をとってからは自らが人質となり、前田家のために奔走し続けた。長男利長が秀吉の死から江戸幕府成立に至る難局を苦渋の政治的な判断によって乗り越えて、加賀藩の礎を築いた背景には、お松の方の支えがあったと言っても過言ではない。

■写真はお松の方像



○金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)

境内では至る所に利家を記念する彫刻や置物を目にすることができる。利家が末森城の戦いで着用したとされる全身金箔押しの甲冑のうち、兜のみを複製したものです。甲冑の正式名称は「金小札白糸素懸威胴丸具足」と言い、実物は前田家が所蔵してる。霊力を持つと考えられていた「鯰の尾」をデザインしており、金沢市の特産品である金箔が施され、名前の通り「鯰の尾」のように縦長の形をした兜。

■写真は金鯰尾兜



〇摂社 金谷神社

二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主、当主と正室(夫人)
をお祀りしている。







■写真は金谷神社



〇尾山神社本殿玉垣

尾山神社の玉垣は、全国でも珍しい「れんがの玉垣」で、鼠多門の完成に合わせ
耐震改修された。玉垣は本殿の両脇と背面を「コ」の字で囲んでいる。れんがは、長い辺だけが表に出る段と、短い辺だけの段を一段お気に積む「イギリス積み」。
玉垣は煉瓦造になっており、加賀梅鉢紋の透かしになっている。







■写真は玉垣の窓から見た本殿の奥と左の内側玉垣





■写真は本殿玉垣



■写真はれんが積の種類

(つづく)


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