金沢の観光スポットレポート(No.1895)
◇金沢の秋2020 尾山神社①
〇尾山神社の概況
慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成。神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。
明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。
明治35年別格官幣社に昇格。御祭神:前田利家、まつ。このふたりにあやかって「文武両道」「必勝」や「夫婦円満」「子宝安産」のご利益がある。
■写真は神門
■写真は境内図
〇封国祭
「百万石行列」と同じ日に行われているお祭りがあります。「封国祭」といい、「封国」とは前田利家公が豊臣秀吉から、この国、つまり加賀の地を治めるようにと封じられたことであり、利家が(天正11年(1583)年6月14日に金沢城に入城したことに因み、明治時代にこの祭りが始められた。長い間その当日に行わが、梅雨と重なり天候が定まり難いため、百万石行列が6月第一土曜日に移行したことに便乗し、封国祭も同じ日に振り替えた。
■写真は2016年金沢百万石まつりの利家
〇尾山神社神門
神門は神社の正門として、明治8年(1875)に建てられた。西洋の建築を正式に学んでいない日本の大工が、見よう見まねで洋風を取り入れて造った建造物を擬洋風建築(ぎようふうけんちく)と言い、この神門もそのうちの一つですが、この門はそこに中国風のデザインが加わる異様な形で、当時は「竜宮城を思わせる」「文明開化の西洋かぶれ」などと言われたようだ。
門は三層に別れていて、一層目は石室石を外壁に使った三連アーチですが、骨組みは完全な木造。二、三層目は壁を銅板で覆い、金谷御殿に廻されていた高欄を貰い受けており、三層目は四面を5色の上質ギヤマンで張り、更に窓以外を銅板で覆っています。最上部にはギヤマン(江戸時代のガラス製品。ここでは五色のガラス板)がはめ込まれている。
また、屋根の上の避雷針は、日本最古のもの。神門を設計したのは津田吉之助。昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定された。
〇神門欄間
中央に大瓶束を配し、左右に「鶴と大和松」をあしらっています。頭貫上は、蟇股に加賀梅鉢紋と火災封じの願いを込めた波の彫刻をあしらっている。また、桁上は、中央に大瓶束、その両脇に2頭の龍と雲の彫刻をあしらっています。
■写真は神門中央と右蘭間
〇神門大扉
大扉には、唐草模様(優曇華)の中央に前田家の紋章 加賀梅鉢紋です。そして外枠になる十字型の意匠が、デフォルメされて神門の随所に配されている。
■写真は神門大扉
〇神門中央の丸石
神門の中央に敷かれた黒い大きな丸石は、かつて兼六園にあった燈籠の笠だそうで、何故ここに敷かれたかと言うと、ある時、燈籠が倒れて人を殺めたため、罰として人に踏まれる処に置かれたと伝えられている。
■写真は丸石
■写真は二階への階段(右左2カ所ある)
■写真は拝殿側より
(つづく)