金沢の観光スポットレポート(No.1755)
日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。
◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺
○寺町寺院群概要
寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット
57)興冨山本因寺(ほんいんじ)
宗派:法華経
由緒:
元和元年(1615)、京都本能寺第十二世伏見宮日承の弟子・真浄院日得を開山に迎え創立、横山康玄乳母の菩提所となる。その後、横山家の懇願により今の寺地を拝領した。北条氏直の重臣であった松田家や関家(関流剣術・関重秀)加賀藩初代御茶堂頭の市井友仙等の菩提所でもある。現在の建物は、延享元年(江戸中期)に再建されたものである。(看板より)
住所:金沢市寺町5丁目2-15
■写真は本因寺
58)鶴雲山長久寺(ちょうきゅうじ)
宗派:曹洞宗
由緒:
長記によれば、慶長13年(1608)創建。高畠石見守定吉の後室長久院(生前は長寿院)のために栖覚寺を郊外にあたる大豆田高畠氏の下邸に建てたが、その化粧料300石を寺領として寄進し、その15年後長久寺と改めた。
宝永12年(1635)には泉寺町(現寺町)の玉泉寺前に転じ明暦元年(1655)寺封を増して50石とし、覚源寺の遺址である現在地に移って長久寺を建立したとある。
当寺は、前田利春の三女で、前田利家の妹津世の菩提寺である。境内には芭蕉の「秋涼し 手毎にけむや 瓜茄子」句碑がある。また樹齢400年近くになる金沢市保存林の銀木犀があり9月には開花する。(看板より)
高畠石見守御夫婦の肖像画が市の文化財。
住所:金沢市寺町5-2-20
□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)
□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。・オテラート)
■写真は長久寺
59)妙榮山高岸寺(こうがんじ)
宗派:日蓮宗
由緒:
当寺は、もと加賀国白山にあり白山城主で前田家家臣の高畠石見守の菩提寺として建立された。 天正十五年(1587)の創建で、開山は石見守弟、和泉堺の成就寺十一世妙覚院日饒上人である。はじめは石見守下屋敷にあり、のち寛永十三年(1636)、現在地に移る。高畠家は、加賀藩初代藩主・前田利家の正室まつの方の実家であり、石見守の奥方は利家の妹、津世である。 茶屋「犀枩軒」の額は、三代藩主・前田利常の命名で十三代斉泰の揮毫である。 墓所には、真田氏、織田氏、前田家ゆかりの書道家二木氏、易学者鶴見氏、久谷焼絵付の祖である後藤才次郎、藤尾の局、内藤家の墓などがある。(看板より)
住所:金沢市寺町5-2-25
■写真は高岸寺
60)正栄山妙典寺(みょうてんじ)
宗派:日蓮宗
由緒:
天正十三年(1585)、仏蔵院日敬が越中高岡で創建。神保氏張の室が開基となった。 慶長十四年(1609)、三輪長好が加賀藩三代藩主・前田利常に請うて、金沢河原町に移り、元和二年(1616)、現在地に転じた。 宝暦九年(1759)に焼失したが、後に再建された。 当寺にある釜師宮崎彦九郎義一の「鋳造三具足」は、金沢市の指定文化財である。(看板より)
住所:金沢市寺町5-2-33
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■写真は妙典寺
a href="https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/8434a19b673b529d80cd5a99f263812b">◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社
◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺
◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺
◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺
◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺
◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺
(つづく)