金沢の観光スポットレポート その1152(No.1607)
◇金沢の夏2019-8 前田家墓地
〇前田家墓地の歴史
藩祖前田利家の実兄利久がこの地の山頂近くに葬られたのが、野田山墓地の始まりとされています。利家以降、歴代藩主とその正室(せいしつ)のほんんどは野田山に葬られました。前田家墓所の周囲には家臣の墓が造られ、のちには町人の墓も立ち並ぶようになり、現在の野田山墓地へと続いています。
明治維新を迎えると野田山墓地の管理は金沢市に引き継がれ、現在は加賀藩主前田家墓所は成巽閣が、戦没者墓地は石川県が管理をしています。
前田利家公の長兄利久公から家督を継いだため一番高いところにある。利長公の正室玉泉院(信長四女)はぼ同じ高さにあり、利長公(二代藩主)その下に、利家公(藩祖)、芳春院(おまつ)がある。
■写真は前田家墓地地図
■写真は利久公の墓
■写真は玉泉院(信長四女)の墓
前田家の墓はいずれも土を高く盛り上げた土饅頭(どまんじゅう)形式で、特に藩主とその正室の墓は四角形の土檀(どだん)を階段状に重ねた特徴的な外観をしており、一見すると古墳時代の方墳によく似たものとなっている。
墓の周囲には溝を廻らせて外界と墓域を区画しており、大きさも、利家墓で一辺約19メートル、他の藩主墓でも一辺約16メートルと、他藩では類を見ない大規模なものとなっている。
■写真は利家の墓
■写真は利家正室(まつ)の墓
■写真は利長公の墓
■写真は利家四女豪姫(ごうひめ)の墓
■写真は入り口
◇前田家野田山墓地体験レポート(その1)
◇前田家野田山墓地体験レポート(その2完)
(前田家墓地 完)