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「浦河べてるの家」滞在記

僕が浦河べてるの家に約1年半滞在した記録を残しておきます。
昨日のニューべてるは金曜ミーティングでした。
苦労人のコーナーで一人が「ある人に謝れと言われてキレられて気分悪いです」と発言した。僕は「それは私のことですか」彼「そうです」となり最終的に僕は怒鳴っていた。
僕はあることで彼に頭に来ていて、それで彼に謝ってもらい彼は謝った。僕は「謝罪を聞きました。許すか許さないかは自分で決めます」と言った。
それが3週間前ぐらいだったと思う。確かに僕の中では終わった事に成ったけれど、彼は終わっていないのだな僕にも落ち度があると彼がその話をするのを聞いて僕は思った。
でもそれなら先にそれを言えばいいだろうと僕は思う。口の利き方の分からない人だなと僕は思った。

彼とのことはそういうことだが、怒鳴った僕が言うのも何だけどその場に居たメンバーは嫌だっただろうなと思う。
僕も済まなかったと思う。でも僕はメンバー内で「昔のことだから時効だ」「あとは当人同士で話せば」とまで出ているのに職員が全然入って来てくれなかった。

その出来事の後に僕の住んでいるグループホームに職員2人とメンバー3人が来てくれて住人のメンバー1人も加わって話し合った。
僕があの時に職員に仲裁に入って欲しかったと言ったら職員は「様子を見ていた。なるべくメンバー内でやって欲しいので。その人のピークに成ったら止めるつもりでいました」と職員は話しました。
それで僕は「どう成ったら僕のピークなのですか?」と聞いたら手を出したら止めるつもりでいたと話しました。
僕はそれを聞いてそんな危険な場に居られないなと思いました。

でも実際の所、僕がその争いの場に居た当事者としてあの時、職員は僕のことを無視していたと感じました。
怒鳴る人には関われないなと思ったか、単に忙しくて面倒なことに係わりたくないなと思ったか僕には分かりませんが。
そして結果的に僕も傷ついたしその場に同席したメンバーも嫌な気持ちに成ったと思う。
すぐ隣のイスに世話焼きおばさん的な職員が座っていたし同じ部屋に何人もの職員が机に向かって何かしていましたが、僕が入ってくれませんか的なことを大声出して言っても振り向きもしませんでした。

べてるの家はそういう所なのだと言われればそれまでだけど、僕が本で読んだべてるの家とは違うと思う。
そもそも僕が1年半前に来た時に僕はべてるの本に載っていた人がほとんど現在居ないことに驚いた。何が有ったのだろうと思った。
そして昨日1人のメンバーが話したのは「本に載っているべてるの家と実際のべてるの家は違う。メンバーはほとんどの人がべてるの本を読んでいない。それでそれなりに暮らして来た。でもそれが悪い事なのではなく、それが実際のべてるの家なのだ」

僕はだったらどうすれば良いのかなと思いました。
今まで僕は実際のべてるの家に居続けようと思い、多くの嫌なことを許して来た。
でもいくら許しても嫌な思いをする。そして許すことで何とか成るかと思うと全然改善していないと僕は思っています。

僕は来月4月9日と11日にニューヨークで僕が生涯追いかけているバンドのライブを観る。
その為の準備にこれからの日々を使おうと思う。
その為、来週には浦河を離れて僕の実家の千葉に戻る。また5月に浦河に戻る予定だけれど、戻るか考えているところです。
そもそも職員の人手が足りないのが根本の問題だと僕は思っているので、今後べてるの家が改善されるかは分からない。
それでも僕は浦河に戻るかそれとも千葉に戻るか考えています。
まあ来月いっぱい考えます。
そういう僕の1年半の浦河べてるの家の滞在でした。
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