>小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。
事実誤認、名誉回復を主張しているのに、上告を許さず、逃げているように見える。
産経記者 阿比留瑠比氏ブログ(2008年3月29日)より
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/526561/
同じく
■沖縄公文書に見る渡嘉敷島集団自決の実相 2007/12/18 18:53 産経iza
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/426052/
事実誤認、名誉回復を主張しているのに、上告を許さず、逃げているように見える。
沖縄集団自決訴訟 大江健三郎さん側の勝訴確定 最高裁 2011.4.22 13:01
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/trl11042213010001-n1.htm
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。
原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。
争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。
1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/trl11042213010001-n1.htm
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。
原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。
争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。
1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた。
産経記者 阿比留瑠比氏ブログ(2008年3月29日)より
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/526561/
沖縄集団自決訴訟・昨年12月の照屋氏との一問一答 2008/03/29 09:56 iza」阿比留瑠比
前エントリでも書いたことですが、昨日は私にとって残念の判決が二つありました。一つは沖縄集団自決訴訟で作家の大江健三郎氏らが勝訴した件であり、もう一つはKSD事件をめぐる最高裁判決で、一時は参院のドンとまで呼ばれた村上正邦氏の実刑が確定したことです。今朝、村上氏に電話して「残念でした」と伝えたところ、さすがに気落ちした様子で「国家権力にはかなわん」と語っていました。
私は、よく耳にする「権力」とは、一体何であるのかとときどき考えます。特に、ジャーナリズムについては「反権力であるべきだ」という言い方がされ、確かにそれは一理はあるのですが、そもそもマスコミ自体が権力化している中で、ときに空しく響く言葉でもあります。新聞社のトップが、実質的に首相を誕生させたり、ときには大部数をかさに着て政治家を脅かしたりしているわけですから。また、メディアが自作自演する「空気」が、世の中の動きを方向付けていくこともあるのだし…。
それはともかく、昨日は、軍命令は集団自決した住民に援護法を適用するために創作されたと証言した照屋昇雄氏について、昨年書いた記事を紹介しました。そこで、本日は、昨年12月17日に照屋氏に対して取材した際の一問一答を掲載しようと思います。このインタビューは、主に「沖縄の言論」に対するもので、直接今回の裁判にかかわるものではなかったことと、テープはとっておらず、私がその場でメモをとった範囲なので全文とはいかないことをあらかじめお断りしておきます。
《
私 沖縄タイムスは照屋さんのことを「捏造」証言の元職員と書いたが、沖縄タイムスから取材はあったのか
照屋氏 とんでもない。私には聞きにきません。あの記事は、どこからか、「照屋さんの話は捏造だと書いた記事がある」と聞いた。その後、いろいろと分かったが、裁判で被告側が出してきた私の証言が捏造だとする証拠文書はどんなものか。職名がなく、伏せられているし、全部庶務係となっている。あんな書類の作り方はないんです。被告が出してきた書類の方が捏造ではないかとの疑問がある。
私 沖縄タイムスはその後、訂正やお詫びはしたのか
照屋氏 やりませんよ。新聞は記事でウソを言って頭からやりこめる。私は援護課、社会福祉事務所…と異動しましたが、当時そこに在籍した人に聞けば、私が分からない人なんていないでしょう。私は主任(旧軍人軍属資格審査員)をしていたのだから、知らない人はいない。逆に、沖縄タイムスが、私の話は捏造だという記事で出してきたKの証言が捏造です。彼は高校卒業後、謄写版刷りのアルバイトをしていました。それがね、私たちが極秘で行った問題(※集団自決を軍命令だったことにして援護法適用を申請すること)を耳にしていた、ということがおかしい。局長ほか数名しか知らんのに。
私 ちょっとその間の経緯を説明してもらえますか
照屋氏 確か、昭和26年に本土で特措法ができ、27年に南西諸島にもカネを出そうとなった。その処遇規定の中に、取り扱い要綱があり、22項目があった。戦死した者、スパイ嫌疑でやられた者、部隊から脱走したとされたが、実は脱走ではなくて突撃したもの、道案内…。その中で、集団自決という問題が出てきた。また、軍務に服せない16歳未満の取り扱いの問題と。
渡嘉敷、座間味の集団自決が問題になり、私らはこの人たちを法律の中に適用するかしないかが大変だった。適用範囲にはめ込むのに苦労した。適用するしないの調査が僕の仕事だった。最初は認められなかったが、次第次第に拡大され、責任ある上司の「命令」があれば適用できるとなった。それが問題でね。私も昭和29年か30年ごろ、一週間渡嘉敷に泊まって調査した。
戦時は島民は究極の人間の心理状態にあった。あんな小さな島を千数百隻の船が囲み、1万2、3000人の住民を3万人の米軍が包囲した。それは精神状態は異常になる。赤松隊長はそれを落ち着けようとして、敵の姿が見えないところに住民を誘導している。
私は調査で、住民一人ひとりから「(自決の件は)お父さんがやったのか、お母さんが死のうと言ったのか、隊長が命令したのか」といちいち聞いた。沖縄には死んだらお墓で一緒に、という文化があるしね。本当に隊長の命令があったのか尋ねたが、そう答えた人は一人もいない。これは断言するよ。
私 照屋さんは、赤松隊長は立派な人だと言っていますね
照屋氏 十字架を背負うというのは、彼の行為のことだと思うよ。実は渡嘉敷の村長は私の友人だった。彼とも話し合い、「隊長が命令したという一言があれば、8000人~9000人の島民が全部、援護金をとれる」ということになった。だから、赤松隊長は神様なんだ。それで村長が赤松隊長から一筆もらった。昭和31年1月15日の閣議に出さないといけないから持ってこいと厚生省からは言われていた。間に合ってよかったねと、村長と二人でお祝いしたよ。
私 そうした照屋さんの経験を地元紙は取材し、話も聞きにこないと
照屋氏 (大江氏の沖縄ノートが引用した)沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」は、本土に対する「沖縄をほったらかしにして…」という感情もあって、悪いやつらが流言飛語で流したことがもとになったんじゃないか。あの本の著者の一人はサイパン帰りで、サイパンで見た話とミックスしたのではないかと思う。その「鉄の暴風」を盗作して話を大きくした大江氏は、裁判でかけて罰するべきだと思うよ。沖縄タイムスは、自分たちの本(の正当性)を守るために、沖縄県民100万人以上に、今も誤解を与え続けているのだと思う。》
…直接関係はありませんが、最初に書いた村上氏が平成16年の年末に送ってきた挨拶文には、次のように書いてありました。
《今年から控訴審が始まりました。去る十月の公判では、KSD元理事長の古関忠男氏が「一審では不本意ながら、事実を曲げて、虚偽の証言を行いました。このままでは死んでも死にきれません。真実は一つです」と、検事調書と一審での証言を根底から覆す証言を致しました。ようやく真実の光が差し込んできたと感じております》
しかし、この古関氏の証言はなぜか裁判では重視されず、村上氏は検察が当初に描いた絵図通りに実刑に服することになりました。司法には司法の論理があるのでしょうが、あまりに分かりにくく、かつ納得がいかないことが多いとつくづく感じます。私は警視庁を担当していた時代、ある証券会社の顧問におさまっていた元検事に名刺を渡したところ、「産経のあの記事(証券会社の飛ばし事件を報道)はなんだ」と手ごと名刺をはたき落とされたことがありますが、その後、記事が正しかったことが証明されました。まあ、法の番人なんて、マスコミがろくでもないのと同じくらい、ろくでもないのかも知れませんが…
前エントリでも書いたことですが、昨日は私にとって残念の判決が二つありました。一つは沖縄集団自決訴訟で作家の大江健三郎氏らが勝訴した件であり、もう一つはKSD事件をめぐる最高裁判決で、一時は参院のドンとまで呼ばれた村上正邦氏の実刑が確定したことです。今朝、村上氏に電話して「残念でした」と伝えたところ、さすがに気落ちした様子で「国家権力にはかなわん」と語っていました。
私は、よく耳にする「権力」とは、一体何であるのかとときどき考えます。特に、ジャーナリズムについては「反権力であるべきだ」という言い方がされ、確かにそれは一理はあるのですが、そもそもマスコミ自体が権力化している中で、ときに空しく響く言葉でもあります。新聞社のトップが、実質的に首相を誕生させたり、ときには大部数をかさに着て政治家を脅かしたりしているわけですから。また、メディアが自作自演する「空気」が、世の中の動きを方向付けていくこともあるのだし…。
それはともかく、昨日は、軍命令は集団自決した住民に援護法を適用するために創作されたと証言した照屋昇雄氏について、昨年書いた記事を紹介しました。そこで、本日は、昨年12月17日に照屋氏に対して取材した際の一問一答を掲載しようと思います。このインタビューは、主に「沖縄の言論」に対するもので、直接今回の裁判にかかわるものではなかったことと、テープはとっておらず、私がその場でメモをとった範囲なので全文とはいかないことをあらかじめお断りしておきます。
《
私 沖縄タイムスは照屋さんのことを「捏造」証言の元職員と書いたが、沖縄タイムスから取材はあったのか
照屋氏 とんでもない。私には聞きにきません。あの記事は、どこからか、「照屋さんの話は捏造だと書いた記事がある」と聞いた。その後、いろいろと分かったが、裁判で被告側が出してきた私の証言が捏造だとする証拠文書はどんなものか。職名がなく、伏せられているし、全部庶務係となっている。あんな書類の作り方はないんです。被告が出してきた書類の方が捏造ではないかとの疑問がある。
私 沖縄タイムスはその後、訂正やお詫びはしたのか
照屋氏 やりませんよ。新聞は記事でウソを言って頭からやりこめる。私は援護課、社会福祉事務所…と異動しましたが、当時そこに在籍した人に聞けば、私が分からない人なんていないでしょう。私は主任(旧軍人軍属資格審査員)をしていたのだから、知らない人はいない。逆に、沖縄タイムスが、私の話は捏造だという記事で出してきたKの証言が捏造です。彼は高校卒業後、謄写版刷りのアルバイトをしていました。それがね、私たちが極秘で行った問題(※集団自決を軍命令だったことにして援護法適用を申請すること)を耳にしていた、ということがおかしい。局長ほか数名しか知らんのに。
私 ちょっとその間の経緯を説明してもらえますか
照屋氏 確か、昭和26年に本土で特措法ができ、27年に南西諸島にもカネを出そうとなった。その処遇規定の中に、取り扱い要綱があり、22項目があった。戦死した者、スパイ嫌疑でやられた者、部隊から脱走したとされたが、実は脱走ではなくて突撃したもの、道案内…。その中で、集団自決という問題が出てきた。また、軍務に服せない16歳未満の取り扱いの問題と。
渡嘉敷、座間味の集団自決が問題になり、私らはこの人たちを法律の中に適用するかしないかが大変だった。適用範囲にはめ込むのに苦労した。適用するしないの調査が僕の仕事だった。最初は認められなかったが、次第次第に拡大され、責任ある上司の「命令」があれば適用できるとなった。それが問題でね。私も昭和29年か30年ごろ、一週間渡嘉敷に泊まって調査した。
戦時は島民は究極の人間の心理状態にあった。あんな小さな島を千数百隻の船が囲み、1万2、3000人の住民を3万人の米軍が包囲した。それは精神状態は異常になる。赤松隊長はそれを落ち着けようとして、敵の姿が見えないところに住民を誘導している。
私は調査で、住民一人ひとりから「(自決の件は)お父さんがやったのか、お母さんが死のうと言ったのか、隊長が命令したのか」といちいち聞いた。沖縄には死んだらお墓で一緒に、という文化があるしね。本当に隊長の命令があったのか尋ねたが、そう答えた人は一人もいない。これは断言するよ。
私 照屋さんは、赤松隊長は立派な人だと言っていますね
照屋氏 十字架を背負うというのは、彼の行為のことだと思うよ。実は渡嘉敷の村長は私の友人だった。彼とも話し合い、「隊長が命令したという一言があれば、8000人~9000人の島民が全部、援護金をとれる」ということになった。だから、赤松隊長は神様なんだ。それで村長が赤松隊長から一筆もらった。昭和31年1月15日の閣議に出さないといけないから持ってこいと厚生省からは言われていた。間に合ってよかったねと、村長と二人でお祝いしたよ。
私 そうした照屋さんの経験を地元紙は取材し、話も聞きにこないと
照屋氏 (大江氏の沖縄ノートが引用した)沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」は、本土に対する「沖縄をほったらかしにして…」という感情もあって、悪いやつらが流言飛語で流したことがもとになったんじゃないか。あの本の著者の一人はサイパン帰りで、サイパンで見た話とミックスしたのではないかと思う。その「鉄の暴風」を盗作して話を大きくした大江氏は、裁判でかけて罰するべきだと思うよ。沖縄タイムスは、自分たちの本(の正当性)を守るために、沖縄県民100万人以上に、今も誤解を与え続けているのだと思う。》
…直接関係はありませんが、最初に書いた村上氏が平成16年の年末に送ってきた挨拶文には、次のように書いてありました。
《今年から控訴審が始まりました。去る十月の公判では、KSD元理事長の古関忠男氏が「一審では不本意ながら、事実を曲げて、虚偽の証言を行いました。このままでは死んでも死にきれません。真実は一つです」と、検事調書と一審での証言を根底から覆す証言を致しました。ようやく真実の光が差し込んできたと感じております》
しかし、この古関氏の証言はなぜか裁判では重視されず、村上氏は検察が当初に描いた絵図通りに実刑に服することになりました。司法には司法の論理があるのでしょうが、あまりに分かりにくく、かつ納得がいかないことが多いとつくづく感じます。私は警視庁を担当していた時代、ある証券会社の顧問におさまっていた元検事に名刺を渡したところ、「産経のあの記事(証券会社の飛ばし事件を報道)はなんだ」と手ごと名刺をはたき落とされたことがありますが、その後、記事が正しかったことが証明されました。まあ、法の番人なんて、マスコミがろくでもないのと同じくらい、ろくでもないのかも知れませんが…
同じく
■沖縄公文書に見る渡嘉敷島集団自決の実相 2007/12/18 18:53 産経iza
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/426052/