前回の一連の記事で、友人が入居している施設をまた訪問したことを、最後に綴りましたが、
その際、皆様にちょっとご心配をかけるような文を、終わりに書き加えてしまいました。
帰宅後の夜遅く、夫が救急車で病院に搬送されたことです。
しばらくお休みするにも関わらず、含みのある文章のままで終え、大変失礼いたしました。
相変わらず私の日記は長文ですが、多少でも短く、と心がけるため、最近は続編を設け、途中で打ち切ることが多くなっています。
夫介護で多忙な日日ゆえ、尻切れトンボの日記に度々なりますこと、お許しくださいませ。
8月30日の退院日。
介護タクシーで戻ってきた夫ですが、介添えに男手がもう一人必要とのことで、高1の孫息子R君が
手伝いに来てくれました。
夫が寝ているベッドは、レンタルです。
出かけるとき、旦那さまに、
「困った事が起きたら、すぐ携帯に連絡してね。
戻るのに、三十分もかからないところにいるから」
と告げて家を後にした私です。
久しぶりの友人との会食で心は弾み、期待通りの楽しいひと時を持つことができました。
帰りは、最寄り駅前まで友人に送ってもらった私。
その後、スーパーで食材を買い、薬局で夫用の医療品を数点購入し、
「今から帰るからね」
と電話を入れました。
ところが、険しい旦那さまの言葉が跳ね返ってきました。
「早く帰ってきてくれ~」と。
感情的な声で、まだ余韻に浸っていた楽しい気分が、吹っ飛んでしまいました。
タクシーに乗り、慌てて帰宅。
二階の寝室に上がると、旦那さまがソファーに横になっていました。
その姿はいつもと変わりありませんでしたが、腹部に目をやると、血が大量に流れたらしき血痕が。
パジャマのみならず、ソファー、絨毯も至る所、赤く染まっていました。
8月30日、放射線治療と抗がん剤治療を終え、三週間ぶりに我が家に戻ってきたときの夕食です。
その数日後に、また緊急事態が発生しました。
このようなことは、過去にも数度ありましたから、さほど驚かなかった私です。
恐らく腹部から挿入したドレーンが毛細血管に当たり、傷がついたのでしょう。
落ち着いて処置し、そのあと病院に電話をかけるかどうか決めようと思いました。。
その日は、友人が車で迎えに来てくれるのを外で待っている間も、顔に汗が噴き出すほどの異常な暑さでした。
猛暑の中、久しぶりの外出で、かなり疲れていた私です。
その体を鞭打って、夫の介護と血痕の後始末、夕食の準備をしなければなりません。
私のストレスは、まさにマックス状態になりました。
でも手伝ってくれる人は誰もいないので、一人で頑張りぬくしかありませんでした。
まずは、旦那さまの体の状態に、いつもと変わったところがないか、丁寧に見廻しました。
ドレーンの挿入口からの出血がほとんどですが、人工肛門のパウチを取り付けたところからも、珍しく出血しています。
何だか次第に不安になってきました。
何はともあれ、やはり病院に電話をかけましょう。
夫の介護方針をいろいろ検討して下さっている看護師さんに、まず最初に連絡しました。
我が家の訪問看護士さんとも、情報交換をしてくださっている方です。
その看護師さんは、「明日訪問看護師さんが見えるなら、その時まで様子見でもいいかもしれない」とおっしゃいました。
同様な状況に、既に数回見舞われたことがある夫。
今まではそのたびに救急車で病院に駆けつけていました。
しかし、この日は疲れ切っていた我が身。
夜も更けて病院に出かけるのは、とても厳しい事だったのですが。
通常は到底無理なことでも、、このような時は馬鹿力が出る私です。
この蓄積疲労が、のちに思わぬ出来事となって、私を襲うことになるのですけれどね。
私は、無理をしてでも病院に出かける覚悟ができていましたが、旦那さまはひどく嫌がりました。
まるで子供が駄々をこねるようでした。
「病院に行くのは嫌だ!嫌だ!」と半分泣きべそをかくが如くの反発です。
どうしたものかと、私は戸惑いながら、旦那さまの血で汚れた体を清拭し始めました。
するとYさんが言いました。
「寒いから、エアコンんを止めてくれ」と。
そのうちに体が小刻みに震え始めたのです。
熱を測ると39.8分もあるではありませんか。
これは大変!
癌を患って以来、こんな高熱に見舞われたのは初めてです。
どんなに、旦那さまが嫌がっても、病院行きは決定。
高熱が出ていることを話し、救急車を呼ぶことを納得してもらうために、必死で説得し続けました。
それでも嫌がる旦那さま。
「病院に行くと死んでしまう」
と苛立った言葉が返ってきます。
「免疫力が落ちている体だから、病院へ行かないと、肺炎や敗血症になり、あっという間に命を落としてしまうかもしれないのよ。
救急車呼ぶわね」
と言いながら、私は大慌てで、入院のための備品一式を旅行バッグに詰め込みました。
もちろんその前に病院に連絡も入れました。
長くなりましたので、この続きは、明日の続編とさせていただきます。
追記
この度は、またある方のコメント欄に私の思いを数度綴り、お騒がせし、申し訳ありませんでした。
MさんとKさんには、
「いつまでもいつまでも、いい加減にして下さい」
と言いたい気持で一杯になってしまいました。
全く関係にないことで、私のハンドルネームを露わにしてまで、私たち姉妹を中傷する記事を見て、苛立ちが抑えられなくなってしまった私です。
(その後、その記述は削除されたようです)
今も相変わらず、事実と異なる身勝手な言い分で、私の事が批判され続けていますが。
恐らく、夫の症状が思わしくない時でしたので、神経が過敏になっていたのかもしれません。
冷静になってから、書き込んだことを大変後悔しました。
今反省しきりでおります。
その節は、えありすさまのお言葉に、いかに、私は支えていただいたことでしょう。
改めて、心より厚く御礼申し上げます。
とても私が太刀打ちできるような人たちではありません。
もういい加減、私たち姉妹を中傷するのはやめて下さらないでしょうか。
「頓馬」の言葉が余程ひどい私の言葉として、記憶に刻まれておられるようですね。
幾度も取り上げられ、私を非難しておいでですから。
この言葉は、「こんなに頓馬な受け答えをする可愛い管理人さんを見るのは初めてです」と、私は書きました。
過去に「愚か者の虚言」という、私を批判することだけが目的のブログが立ち上げられました。
広島で被爆した私が風評被害を心配するあまり、その思いを綴ったコメントをKさんのブログのコメント欄に入れさせていただきましたが。
自分のブログに「うんこ」をまき散らした、と激しい言葉で私を非難されました。
「愚か者の虚言」に最初に載った記事です。
原子力に非常に詳しく、理論物理学者の次女婿に質問状を突きつけるような管理人さんでした。
ところが途中から白い花など、植物を多くたとえにして、寓話的比喩的な物言いで私を非難するするようになられました
管理人さんの雰囲気が急に変わり、びっくりした私です。
その時、過去の流れがまるで理解できていないような受け応えを、管理人さんがなさり始めました。
それに対して、私がユーモアを込めて語りかけた言葉に過ぎません。
「こんなに頓馬な受け答えをする可愛い管理人さんを見るのは初めてです」と。
いつもの事ですが、前後の文を省略して私の言葉を取り上げ、自分の都合のいいように変色し、非難なさるMさん達。
お願いですからもう止めて下さい。
一事が万事、この調子で、私はやり切れない思いをし続けてきました。
いつまで、私と姉妹への中傷が続くのでしょう。
その執念と執拗さには驚くばかりです。
この度は、弱い心を抑えられなくなってしまいましたが、今後は今まで通り、平然と無視できる自分でありたいと、強く願っています。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように
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