旅行二日目の朝を迎え、早朝目を覚ました私。
昨日の疲労は消え、体調は悪くありません。
カーテンを開けると、瀬戸内の島々が点在する、静かな海が広がっています。
陽がかすかに差し、空は朝焼けでほのかに染まっていました。
旅情を掻き立ててくれるには、十分な景色です。
今日はホテル専用の桟橋から船に乗り、世界遺産の宮島に渡ります。
自ずと心は弾みましたが、頼れる人は誰もいない一人旅。
いろいろな不安が心をよぎります。
観光に時間を取られ過ぎ、万一最終の船に乗り遅れると、島ゆえホテルに戻れず大変なことに。
<時間厳守>と、心に刻みつけました。
宮島のホテルに宿泊することも検討しましたが、一人泊が可能な所は一か所だけ。
それでは、私の希望通りにはいきません。
荷物を運ぶ手間も省けるため、プリンスホテルに戻る選択をした私です。
片道乗船時間は25分足らずで、時間もかかりませんから。
朝六時過ぎに、早々と最上階のスカイラウンジでビュッフェの朝食を済ませました。
人影もまばらなホールの窓からの景色は、客室の眺望より、はるかに素晴らしいものでした。
多島美の穏やかな瀬戸内の海原と朝日が雲間に見え隠れする光景を、お食事をいただきながら見惚れぱなしだった私。
けれど、空の気配から察するに、お天気はあまり良くなさそうです。
心配した通りでした。
いよいよ心躍らせ桟橋に向かうためにホテルを出ると、なんと小雨模様。
雨だなんて、ちょっとショック。
妹の注意を守り、珍しく荷物は小さなポーチバッグとカメラだけの身軽さでしたが。
ホテルに戻り、ビニール傘を貸してもらい、高速船に乗り込んだ私です。
懐かしい宮島に、いよいよ到着です。
朱色の鳥居が最初目に入り、目的地に着いた実感が胸に迫りました。
数十年ぶりの再訪でしたが、過去に幾度、この場所に来たか、とても数え切れないほどです。
小学校入学後、高校を卒業するまで、遠足で十数回は訪れているでしょう。
中高時代は、遠足のみならず、宮島の裏の海辺で、夏休みにキャンプを愉しんだことも数度。
結婚後は、毎夏帰省し、ひと月程度、実家に滞在することが常だった私です。
その時は、幼い子供たちを連れ、母も一緒に、二泊三日の宮島行きを、毎年の恒例にしていました。
シカのいる海辺や、水族館、お山の頂上ではおさる見物に興じたものです。
そんなゆったりした帰省を、一人暮しに甘んじて、文句ひとつ言わず許してくれた旦那さまでした。
また文章が、テーマから外れてしまいました。
観光のお話に戻しますね。
でも私は、立ち寄った観光名所を、丁寧に説明する記述は苦手のようです。
と言うより、そのような綴り方を余り楽しく思えません。
後で、その作業をしなければならない、と思うだけで、旅行中の気分に何がしかのストレスが。(笑)
困った、不勉強極まりない横着ブロガーです。
その説明は極力簡単に済ませ、私が感じたことのみを書き記す程度にとどめさせていただきますね。
不親切な記述で申し訳ありませんが、お許しください。
海上の優雅な社殿、厳島神社と弥山(みせん)が、世界遺産に早々となったことは、どなたでもご存じでしょう。
平清盛がこの地を選び、厳島神社を造営したことも。
詳しく述べると、推古天皇の時代に創建されたものが、平清盛によって、現在の形になったようです
その周りにも、由緒ある寺院や神社が点在しています。
私にしては珍しく、ガイドブックの案内に忠実に従い、厳島神社を主に、その他の観光スポットも丁寧に見て回りました。
何故かと言うと、夫の四十九日法要後、妹と二人で尾道・倉敷の旅を愉しんだ時の事。
妹の緻密な旅の行程表に感銘を受けたからです。
そのような表までは作りませんでしたが、ガイドブックは読み込み、頭の中では、計画がある程度練られていました。
私にしては、その行程通りに回れた、上出来の一人旅だったのです。
あいにくにも、宮島を散策中はずっと雨。
已む無くこの度は、神が宿るといわれる弥山(みせん)にケーブルで上り、瀬戸内の景観を眼下に見下ろす楽しみは中止に。
雨模様では、おそらく何も見えないでしょうから。
弘法大師の開創以来、山岳信仰の霊峰として崇められてきた弥山。
お天気がよくないため、その山は、うっすらと靄がかかり、幽玄さを一層湛え、神々しくそびえたっていました。
海、山、朱塗りの鳥居と神社のしっとりとした落ち着いた景観。
それらが、私の目に一体となって映り込み、言いようのない感動に打たれた私です
雨でよかったのかもしれない。
悲しみが抜けきらず、涙しがちな私の心には、雨の情景は実にしっくりと馴染みました。
寺院の多い尾道を観光したときも同様な思いになったものですが、宮島は、旦那さまを偲び、冥福を祈るには最適な場所でした。
厳島神社以外にも、それと関連した古刹や由緒ある建物ををいくつか観て回った私です。
厳島神社~宝物館~大願寺~歴史民族資料館など。。
その度に、賽銭を入れ、手を合わせ、夫の冥福を祈りました。
大願寺(高野山真言宗の古刹)では、思いがけない親切も受けました。
恭しく参拝後、その場を去りかけたとき、お守りなどを販売する店先にいらっしゃる若いお坊さまに声をかけられました。
何事、と近寄ると、「背中に白いものが付いていますよ」と。
言われて羽織った黒のカーデガンを脱いで見ると、どこかでこすったのでしょうか。
目立つほどでもありませんでしたが、確かに白くなり汚れていました。
こんな小さなことでも気にかけ、声をかけてお知らせくださったお坊さまに、感謝溢れる思いがした私です。
心からお礼を言って、その場を去りました。
寂しい私の心が、ほんのり温められたかのよう。
忘れられない思い出の一コマになりました。
お昼食は、厳島神社を出て、徒歩5~6分で辿りつける老舗のお食事処「藤田屋」で、あなごどんぶりをいただきました。
有名処のせいでしょう。
待ち時間も長く、しびれを切らしそうでしたが、その甲斐はありました。
とてもとても美味しくて、お腹いっぱいに。
その後訪れたのは、豊国神社(千畳閣)。
気付かず通り過ぎてしまいそうな場所にありますが、見ごたえ十分です。
秀吉が1587年に建立した大経堂で、857畳もある広さから、千畳閣と呼ばれているそうです。
体力が持つかなと心配になるほどの長い階段を登り切ったところに、そのお寺があります。
大広間の廊下からは、厳島神社の全景と海が一望でき、その眺望は絶句するほどの素晴らしさでした。
カメラの被写体としても申し分なくて・・・・・。
撮影の腕がもう少しよければ、よい写真がたくさん撮れたのですけれどね~
豊国神社の傍に立つ五重塔
千畳閣の廊下から間近かに見た五重塔は、圧巻でした。
ここを見学後に、懐かしさ一杯のもみじ谷公園へ。
中高での遠足の時は、弥山の山登りを終えた後、ここで、母手作りのお弁当で昼食を摂りました。
その後、せせらぎに足を浸けたりして学友と遊びに興じたものです。
秋の紅葉時の美しさ格別です。
この公園からほど近い所に、山の展望台行きのロープウェイの発着場所があります。
今回は先に挙げた理由で、登るのは、残念ながら中止。
そのため、時間はまだ十分有り余っていましたが、私が回りたい観光スポットはほぼクリヤーできた私です。
後残すは、桟橋に向かう帰路に沿ってある町屋通り。
それに並行するように、お土産やさんが軒を連ねる表参道商店街がありますが、そこには関心がなかった私。
記憶が割と鮮明で、新鮮味を感じませんでしたから。
年齢にふさわしく、ひなびたイメージのする町屋通りに惹かれた私です。
予定通り、そこの入り口あたりに辿りつき、カメラを構えてシャッターを押そうとしたところ、反応がなくて。
何と、またまた電池切れでした。
新しい充電器を買い求めたものの、充電に十分な時間をかけなかったようです。
このあたりの注意力の欠如は、悲しいかな年のせい。
まだまだこの後、大きな失敗が待っているのですけれどね。
町屋通りは、期待したほどではなく、古い建物より、立て直された真新しい家のお店の方が多くて。
倉敷のように、歴史ある建物を保存することに、もっと力が入れられなかったものでしょうか。
世界遺産にまでなった観光地ですのに、とても残念に思いました。
但し、私が何となく心惹かれて入った町屋通りの喫茶店は、とても落ち着いた風情で、町屋の趣を十分に感じさせてくれました。
ガイドブックにその店のひと隅が載り、紹介されていることに、後で気が付いた私です。
喫茶の店名は、「ぎゃらりぃ宮郷」。
私にしては、実にスムーズに予定の観光スポットを観終わりました。
予約の乗船時間までには、まだ十分時間があります。
そのため、乗船を一時間ほど早めた私です。
その分を、ホテルで心ゆくまで寛ぎましょう。
昨日は、私の不注意による予定外の浪費を埋めるべく、デパートで購入した酔心の850円の幕の内弁当で夕食を済ませた私でしたが。
今日は、朝から予約しておいた和食処、なだ万での夕食が待っています。
船の車窓から、海を眺めながら、ホテルライフで紡ぐ優雅な時間に期待した私でしたのに・・・・・。
とてつもないドタバタ劇が待っていようとは、みじんも思わなかった私です。
明日はその憐れな出来事も、話題の一つとして取り上げますね。
今日は、いつも以上の長文になってしまいました。
貴重なお時間を割き、最後までお読みくださった皆様に、恐縮の至りです。
有難うございました。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように