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東京「昭和な」百物語<その7> 上板橋2

2015-06-13 15:12:16 | 東京「昔むかしの」百物語
上板橋に住まっていたのは、およそ4年間だったろうか。以前にも書いたが、典型的なハモニカ長屋に住んでいた。6畳一間にキッチンのついた(水盤はあったが、水はトイレの横にあった井戸水だった)、風呂もトイレもない(トイレは共同のボッチャントイレ、風呂は近くの共同浴場に通っていた)部屋が片側にずらりとおよそ6部屋くらい並び、廊下を挟んで反対側には4畳半で同じ条件の部屋が、8部屋くらい並んでいて、加藤家は、6畳と4畳半を一部屋ずつ借りていた。
廊下は一直線に表から裏に筒抜け状態で、いま思えば本当になんとも言いようのない佇まいだった。
余談だが、ボクはこの廊下を端から端まで勢いをつけて走り、出入り口を抜けたとたんに空へ飛び立つという夢を、ほとんど週1ペースで見ていた記憶がある。あの浮遊感は今でも忘れない。さすがに30歳を過ぎてからは見ていない。

ここでの暮らしは、皆さんが想像するくらいには楽しかった。月に一度は停電したし、雨の季節には部屋の壁をナメクジが這い回り、夜になると彼らの歩いた軌跡がキラキラと輝いていた。台風の時はそりゃもうワクワクした。雨戸を閉めて上から父がバッテンに材木を打ち付けるのを、自分もやりたいと思いながら、みていた。

風呂は近所に共同浴場があって、一風呂浴びて外に出ると紙芝居屋のおじさんが一席打っていた。あの頃の紙芝居屋のおじさんは、まさに一席打つ、という表現が適切な、プロ、語りのプロだった。きっと役者になりたかったとか、弁士になりたかったというような過去がある人たちだったのかもしれないな。
その紙芝居の出し物の中で、いまだに忘れられない話がある。「笑い虫」という、今でいえばホラー物。良い家に入った女中さん(この言葉は差別的な用語だと言われてきたが、とうとう意味の分かる人もほとんどいなくなってしまったから、ニュアンスとして使う)が、夜な夜な廊下を笑いながら歩くという、なんと言うこともないのだが、そこはかとなく怖い話だった。家の主人に格別の恨みでもあったのだろう、その理由は覚えていないが、確か主人は恐れおののいていたように思う。紙芝居だから絵があるわけだが、その女中さんの絵はオカメ&ひょっとこのオカメさんのようだった。
そのせいか、ボクはオカメさんのお面をみると背筋に冷たいものが走る。それはいまでも。オカメさんが紙芝居で見せたあの笑顔の裏に潜む、誰にということもない怨念のありようが、いまでも怖いのだ。
ソースせんべいを5円で買って、手に力が入りせんべえが割れるほど、ちょっと怖い紙芝居を見ていた子供時代、というわけだ。
断っておくと、この時代、まだどの家庭にもTVはない。あるのはラジオ。NHKで夕方放送していた「新諸国物語」が楽しみだった時代。ボクが聞いていたのは「笛吹き童子」「紅クジャク」「オテナの塔」あたり。「紅孔雀」は中村錦之助主演で映画にもなったはずだ。ボクは観たもの。
「ヤン坊ニン坊トン坊」という番組もあった。黒柳徹子さんが末っ子のトン坊の声を担当していた。