普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

老い老い

2015-06-23 20:02:14 | 普通な人々<的>な
老いというのは、誰にでも平等にやってくるものの一つ。
それでも、そのやってくる速度は平等ではない。個体差がある。

老いの迫りくる最初の兆候は、目だ。俗にいう老眼だ。その次が反応速度の低下。そのことになんとなく気が付く頃に、膝が痛くなったりとパーツの衰えに気づくようになる。

そのうち、身体の全体に、例えば皮膚がかゆくなったり、髪の毛が細くなったり、耳が聞こえにくくなったり、食が細くなったり、酒に弱くなったりとさまざまに自覚できることどもが露わになってくる。

車の運転を続けると、身体の右半身に、違和感を覚えるようになる。左はほとんど使わないから、右半身の違和感は意外に顕著だ。

とはいえ、50代の頃はその体の違和感に、慣れる時間がある。別な言い方をすると老いはゆっくりとやってくる。

だが65歳を境に、その足を速める。慣れる暇がなくなるのだ。あそこにも違和感、ここにもそこにも違和感、という感じになってくる。

そしておそらく(まだボクはそこまで至っていないので想像の域を超えないのだが)、70歳を過ぎればそうした違和感さえ違和感でなくなるほどに老いは急ぎ足でやってくるのだろう。

仏陀は悟りに至るきっかけとなる四門遊観で、生老病死を目の当たりにするのだが、人間は平等にその一つ一つを“体感”するのだ。

老いは望むところではあるが、人に迷惑をかけるのが怖い。