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東京「昭和な」百物語<その14>閑話休題「2.26事件」

2016-10-16 18:34:10 | 東京「昔むかしの」百物語
いまや2.26事件など、歴史の中の一事件としてすら、覚えていない人の方が多いのだろう。

昭和11年の出来事で、立派な昭和の一事件。もちろんボクは生まれてはいないけれど、よく考えたらボクの生まれる「たった」13年前の出来事だということに、改めて驚くわけだ。

ざっくりいうと、所謂戦前の皇道派と統制派の主導権争い(本当はそれほどの争いをしていたわけではなく、軍主導の皇道派に対するアンチテーゼが統制派の実態のような……)の果てに、北一輝や西田税等の民間煽動家にたきつけられた形で、皇道派青年将校が企てたクーデターが2.26事件だが、(このあたりの理解とニュアンスはそれぞれに異なるだろうが……)映画やドラマで再現されることも、今の世相下では最早ありえないといってもいいかもしれない。

そうした歴史に埋没しかけている一事件だが、僕には結構身近な歴史的案件で、時々ふと思い出すことがある。

何の前触れもなく思い出すのだが、今日もなぜか思い出した。

その理由は、以前にもどこかで書いたかもしれないが、ボクの母が2.26事件の時に間近にいたという事実による。

ボクの母は、旧姓を田中茂子といい、昭和11年当時勧銀でタイピストをしていた。後にタイピストとして海を渡り、ボルネオの陸軍前線基地で過ごすなどしたハイカラなおふくろだった。

その彼女が2.26事件当時のことを時々話してくれたのだ。

当日は雪が降っていたこと。出社するとなにやら勧銀も不穏な空気に包まれたこと。なにが起きたかわからないまま、仕事にならず、当時家族と住んでいた中野まで雪の中を歩いて帰ったことなどを聞かされた。途中多くの将校が行きかう姿を見たらしい。

当時の勧銀がどこにあったかは聞き漏らして定かでないが、大手町とか内幸町とかの辺りだったのではないだろうか。

2.26事件は、総理官邸、蔵相私邸、教育総監私邸、侍従長官邸などを中心とした10数カ所を舞台に1400名に上る皇道派青年将校が一斉に蹶起し要人の暗殺を謀ったもので、多くは午前6時前には決着がついていた。その後、新聞社などの報道機関を抑えにかかり、蹶起は一応の成功を収めたかに見えたが、頼みの天皇陛下は激怒し「賊軍」とみなした。

そして急速に事態は収束に向かい、29日には「討伐命令」が下り、クーデターは終焉した。

こうした歴史は、今や日本という国家においては全く意味のない歴史といっていいのかもしれない。軍部のクーデターなどという言葉を、リアルに受け止めることのできる日本人など、もはやほとんどいないだろう。だが日本は確かにそうした歴史を刻んだ国家ではある。

ここで2.26事件を取り上げる意味は皆無だ。ただ目の前に母の写真があって、急に母の話を思い出したに過ぎない。