普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

慶応義塾大学湘南キャンパス

2018-05-17 00:52:12 | 普通な生活<的>な
ボクは、早稲田大学Ⅱ文演劇科を中退した。昭和45年のことだ。

昭和42年に入学したが、大学紛争の真っただ中、2年間で種々の授業すべてで正味40数時間しか受けていない。革マルによるロックアウトで授業がなかったのだ。だから進級はテストではなく、すべて論文の提出だった。

従って友人など作りようもなかったが、御当人が覚えているかどうかはともかく、唯一できた友人が山本益博だった。食のエキスパートとして一世を風靡したあの山本益博だ。早稲田に通っていた。

学生の頃は、農民詩人として知られた松永吾一宅に寄宿し、さまざまな文学的エッセンスを吸収していた記憶がある。

やがて卒業論文に書いた落語家「桂文楽の世界」がそのまま書籍化され、演芸評論家として世に出ることになったのだが、食への興味が昂じて食の評論家になった。この分岐点頃までは、よく家に連絡があった。

いわく「加藤の論文を使って教授が授業をしているぞ」とか、「本が出たから読んでくれ」とか……。

彼が卒業し社会人になり、疎遠になってしまった。

そんなことはともかく。

今日は、三田にしかないと思っていた慶応義塾大学の湘南キャンパスに行ってきた。出向いた理由はともかく、そのキャンパスはまるでアメリカ西海岸のLA辺りを思い起こさせる、広大な敷地とモダンな校舎。最近の大学は、かくもイカシタものなのかと、ちょっと驚いてしまった。

ボクの知りうる限りの大学は、都市型のそれで、狭い敷地にゴチャついた、まるで迷路のような建物の連なりだった。東京六大学の明治、立教、法政、東大、慶応、早稲田いずれもその例にもれなかった。

まあ、1960年代の終わりから70年代初頭にかけての印象しか記憶にないのだが。

学生、というより子どもの数が年間100万人を切ってしまった日本で、有名大学といえども学生を確保し教育環境を維持することが困難になってきているわけで、慶応義塾大学湘南キャンパスのような環境整備は必須のものなのかもしれないと、何とはなしに理解した、今日でした。