昭和二十年代後半の、幼い頃の体験である。断っておくが、霊的な体験ではない。
当時、僕は小泉八雲の住まっていたことで名高い、島根県松江市に住んでいた。松江城の堀端沿いで、小泉八雲の居宅だったところから、四百メートルほど離れた、亀田橋という橋の近くだった。小泉八雲といえば『怪談』である。「耳なし芳一」である。何とはなしに「陰」を感じさせる地域ではあった。
市内の繁華な一角から、松江大橋を渡り、茶町と呼ばれたあたりから県庁を抜け、城山をめぐる細い道を歩くと、やがて亀田橋に出る。
この城山をめぐる細い道は、幼心に強烈な印象で残っている。城山での椎の実採りやどんぐり拾いは楽しかった思い出だ。だが、昼間でも木々に覆われた城山はほの暗く、冬には、道を歩く後ろでぽとりと椿の花が音を立てて落ちる。時折、かさこそと蛇が枯葉に埋もれた道を過ぎる。何の音だか得体の知れない音が、遠近から、季節ごとに聞こえてくるのだ。その音は、怪談に付き物の笛の音よりも恐ろしかった。
そんな中で、僕の記憶に焼きついて離れないのは、ある寒い夜のたった一コマの映像と、その音だ。
僕はまだ三歳くらいだったろう、五右衛門風呂に父に抱かれて入っていた。
風呂場の電気は仄暗く、壁に取り付けられた四〇w程の裸電球だった。その裸電球が、パキンと音を立てて割れた。その瞬間真っ暗になったが、突然雷光が輝き、続いてドンと落雷の音がした。その雷光が、風呂場の窓に映し出したのは、巨大な蛇の影だった。そして落雷の音と同時に、風呂場にボチャンボチャンとなにかが落ちてきた。父は僕を抱いたまま、ぎゃっと叫び声をあげて、風呂場を飛び出した。
五右衛門風呂の中には、数匹の蛇がのた打ち回っていた。
あの蛇の影と、電球の割れるパキンという音は、鮮明なままだ。よく考えると、あまりにも季節外れの落雷で、僕の記憶違いかもしれないが、印象としては、冬に近い秋だったような気がする。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より抜粋>
当時、僕は小泉八雲の住まっていたことで名高い、島根県松江市に住んでいた。松江城の堀端沿いで、小泉八雲の居宅だったところから、四百メートルほど離れた、亀田橋という橋の近くだった。小泉八雲といえば『怪談』である。「耳なし芳一」である。何とはなしに「陰」を感じさせる地域ではあった。
市内の繁華な一角から、松江大橋を渡り、茶町と呼ばれたあたりから県庁を抜け、城山をめぐる細い道を歩くと、やがて亀田橋に出る。
この城山をめぐる細い道は、幼心に強烈な印象で残っている。城山での椎の実採りやどんぐり拾いは楽しかった思い出だ。だが、昼間でも木々に覆われた城山はほの暗く、冬には、道を歩く後ろでぽとりと椿の花が音を立てて落ちる。時折、かさこそと蛇が枯葉に埋もれた道を過ぎる。何の音だか得体の知れない音が、遠近から、季節ごとに聞こえてくるのだ。その音は、怪談に付き物の笛の音よりも恐ろしかった。
そんな中で、僕の記憶に焼きついて離れないのは、ある寒い夜のたった一コマの映像と、その音だ。
僕はまだ三歳くらいだったろう、五右衛門風呂に父に抱かれて入っていた。
風呂場の電気は仄暗く、壁に取り付けられた四〇w程の裸電球だった。その裸電球が、パキンと音を立てて割れた。その瞬間真っ暗になったが、突然雷光が輝き、続いてドンと落雷の音がした。その雷光が、風呂場の窓に映し出したのは、巨大な蛇の影だった。そして落雷の音と同時に、風呂場にボチャンボチャンとなにかが落ちてきた。父は僕を抱いたまま、ぎゃっと叫び声をあげて、風呂場を飛び出した。
五右衛門風呂の中には、数匹の蛇がのた打ち回っていた。
あの蛇の影と、電球の割れるパキンという音は、鮮明なままだ。よく考えると、あまりにも季節外れの落雷で、僕の記憶違いかもしれないが、印象としては、冬に近い秋だったような気がする。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より抜粋>
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