14日、午後より新幹線で東京へ
東京駅地下の貸し会議室で日本リハビリテーション医学会の編集委員会が開かれるためだ。
今年から編集委員会の委員に任命されてしまった。
これから2ヶ月に1回は東京へ出てこなくてはならない。
しかもその間に、たくさんの投稿論文に目を通してまとめなければならないという。
これがすべてボランティアで行われるのである。
会議中、電話があり、後でかけ直してみると大学の学外連携の方からであった。
1月に文部科学省に申請していた研究所の助成が採択されなかったという知らせであった。
ついていないときには悪い知らせが続く。
土曜日にも仕事があるので、夜行寝台で帰途についたが、不採択の衝撃となれない寝台で全く眠れない。
おまけに途中で人身事故のためしばらく列車が止まってしまった。
15日、午後より九州延岡から来られた委員と合流して岡山市内で高梁学園中核センター会議が開かれた。
本来ならここで研究所助成採択の発表となり盛り上がるはずが、不採択の報告となってしまった。
何ともいたたまれない状況であった。
しかし、こんなことでへこたれていては前には進めない。
不採択の原因を追及して、来年もう一度トライする。だめなら再来年またトライする。
来週には科研費の結果も返ってくるが、さてどうなることか。
東京駅地下の貸し会議室で日本リハビリテーション医学会の編集委員会が開かれるためだ。
今年から編集委員会の委員に任命されてしまった。
これから2ヶ月に1回は東京へ出てこなくてはならない。
しかもその間に、たくさんの投稿論文に目を通してまとめなければならないという。
これがすべてボランティアで行われるのである。
会議中、電話があり、後でかけ直してみると大学の学外連携の方からであった。
1月に文部科学省に申請していた研究所の助成が採択されなかったという知らせであった。
ついていないときには悪い知らせが続く。
土曜日にも仕事があるので、夜行寝台で帰途についたが、不採択の衝撃となれない寝台で全く眠れない。
おまけに途中で人身事故のためしばらく列車が止まってしまった。
15日、午後より九州延岡から来られた委員と合流して岡山市内で高梁学園中核センター会議が開かれた。
本来ならここで研究所助成採択の発表となり盛り上がるはずが、不採択の報告となってしまった。
何ともいたたまれない状況であった。
しかし、こんなことでへこたれていては前には進めない。
不採択の原因を追及して、来年もう一度トライする。だめなら再来年またトライする。
来週には科研費の結果も返ってくるが、さてどうなることか。