大王製紙株式会社元会長への貸付金問題についてはNHKでもトップニュースとして取り上げられるなど、全国的に注目されている。
大企業のトップが100億を超えるような金額を個人的に使い込んだという前代未聞の事件である。
私の場合は、普通の人以上にこの事件に関心がある。
なぜなら、大王製紙は私の生まれ育った愛媛県伊予三島市の企業だからだ。
現在は合併によって四国中央市となってるが、その街で生まれ育ったため、大王製紙の存在は私の世界観の形成に大きな影響を及ぼした。
下記の報告書の文章を読めば概要が分かるが、昭和の高度経済成長期の日本の縮図のような街であった。
私は郊外の実家から市の中心部にある高校に通学していたが、高校では製紙工場独特のにおいがした。
市の中心部に住んでいる同級生は、においに慣れてしまっていて、大学進学後夏休みに帰省して初めてそのにおいに気づいたというようなこともあった。
大王製紙は環境問題も引き起こしながら、それでも伊予三島市の経済にはなくてはならない存在で、たとえは悪いかもしれないが震災前の原発のような存在だった。
昨日発表された
特別調査委員会の報告書には、この事件が起こる背景が詳細に記述されている。
大王製紙グループの成り立ち
社史によると,大王製紙は,元会長の祖父井川伊勢吉によって,昭和1 8年に企業合同により愛媛県伊予三島市(現四国中央市)に設立され,以 後,太平洋戦争終結の前後にかけて,同人の卓越した経営手腕により新聞 用紙でのシェアーを伸ばし,王子製紙らが支配する紙業界の一角に食い入 るまでになった。しかし,昭和37年,設備投資資金の回収に至る前に資 金繰りに窮し,会社更生法による更生手続を経るに至った。顧問は大学卒 業後,大王製紙に入り父を助けた。その結果,3年で手続は終結し,更生手続で一旦は切り捨てた債権も全額返済するという見事な成果となって結実した。
大王製紙は,顧問の下で更に急成長を遂げる。地元の伊予三島市の開発にも力を注ぎ,築港や埋め立てによる工業団地の造成を行った。大王製 紙はそれまで新聞用紙市場で成功してきたが,昭和54年からティッシ ュペーパー「エリエール」の製造販売を開始し,ついでトイレットペー パーにも進出した。昭和61年には,ついにティッシュペーパーでの国内シェアーが1位となった。昭和63年には東証1部に再上場した。
紙製造業は,巨大な設備投資を行いながら,他方では大量の水を必要とする。大王製紙は市場での成功の傍ら製造拠点等を確保する必要があった。 新規の進出には,水利権の確保等様々な問題が生じる。そこで,次々と各地の紙製造会社を買収した。その際,顧問やその親族が主たる株主となり, 大王製紙自体は15%前後の少数株主に止めることが通例であった。この ようにして大王製紙グループが形成されていった。平成12年3月末期から,大王製紙は,他のグループ会社を連結子会社として,連結決算会社と なった。