2019/5/5 箴言30章7~9節「自分のもので満足」はじめての教理問答99~100
神様が下さった、大切な戒めをまとめた「十戒」を、ひとつひとつ心に留めていますが、今日は第八の戒め「盗んではならない」を見ていきます。
問101 第八の戒めはどういうものですか?
答 第八の戒めは、「盗んではならない」です(出エジプト20:15)。
問102 第八の戒めは、あなたになにを教えていますか?
答 ほかのひとの物を、奪ってはならないということを教えています。
盗むことは悪いと思わない人はそうそういないでしょう。けれども、日本では今でも、万引きや強盗、窃盗犯は毎年65万件以上報告されています。空き巣、ひったくり、強盗、すり、自転車泥棒、様々な詐欺、そして、法律的には問題のない方法でだれかのものを奪い取ること、犯罪には問えないけれども、神様の前には「盗み」であるものも含めたら、どれほど沢山の盗みがこの世界にあるか、知れません。そして私たちも、人のものを盗ったり、皆がしていることだからとズルをしたり、誤魔化したりしている事はあるのではないでしょうか。
また世界を見回したときに、日本やアメリカのような豊かな国は、貧しい国よりも強いので、その国の食べ物を買い上げてしまいます。
もう何年も前に、日本でお米が足りなくなりそうになって、日本は世界の国々からたくさんのお米を買いました。一番安いのがタイの国のお米で、日本はタイからたくさんのお米を買い上げました。そうするとどうなると思いますか? タイの米が足りなくなりました。それでも日本では「タイ米はぱさぱさしているから嫌だ」と人気がなく、大量に捨てられたのです。これも一つの盗みでしょう。
また、日本で売るためにアジアの貧しい国で広いバナナ農園やチョコレート農園などが作られて、子どもたちまで安い賃金で働かされて、貧しく、やせている事実もあります。
そんな国から日本に働きに来た外国人が、ひどい安い賃金で働かされている。ほとんど騙されて日本に働きに来て、体をボロボロにされている人身売買という悲惨な現実が徳島でもあります。これも「盗み」です。
「盗んではならない」の事例として聖書が挙げる第一は「誘拐」です。誘拐は、殺人と同じ大罪とされています。その人を殺さなくても、その人をさらったり閉じ込めたりすることは、大きな罪です。それは誘拐に限りません。人を殺さなくても、その人のものを自分のものにする。人を自分のために利用しようとする。人身売買や搾取は、モノだけではなく、誰かの人生そのものを奪うことです。そして、神は、「誰のことも奪ってはならない。誰からも盗んではならない」。そう仰るのです。そうして、今日の箴言の言葉は、私たちを守ってくれる、とてもすばらしい言葉です。
箴言三〇7二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。
8むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。
9私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。
これは箴言でたった一つだけ出て来る「祈り」なのですが、その願いは、
「空しい事と偽りの言葉を遠ざけてください」
「貧しさも富も私に与えず、私に定められた分の食物で私を養ってください」
の二つでした。そしてその理由に貧しすぎると、盗みをしたくなって、それは神の御名を汚すことになってしまうから、と言います。でも、反対に富んでお金持ちになればいいかというと、そうではありません。満腹していると、神様を忘れてしまう。神様よりもお金や物に頼ってしまう。では貧しい方がいいかというと、貧しすぎても盗みかねない。だから、貧しさも富みも私に与えないで、ちょうど良い加減の私に定められた分で、私を養ってください、というのです。これは、私たちにも役立つ祈りです。何かが欲しくなったり、自分がとても損をしている思いがして、腹が立ったり、人のものを盗りたくなったりする前に、
「貧しさも富も私に与えず、ただ私に定められた分の食物で、私を養ってください」。
そう祈るのです。そうして「神が今下さっている分で、十分だ、満足だ」。そう思える心は、盗む必要がありません。
私たち一人一人が、盗まれてはならない、誰かの好き勝手に奪われてはならない存在です。誰も売り物ではなく、誰を売り物にしてもなりません。でもこの世界は盗んだり、奪ったり、人を閉じ込めたりが今もなされています。自分がされたら困るし怒るだろうに、人から取り上げることは平気でなされてしまう。強い国が貧しい国から奪っている。そういう社会を、神様は深く悲しみ、嘆いて、
「盗んではならない」
と仰っているのでしょう。実際、旧約聖書の中心になるイスラエル人は、かつてエジプトで奴隷でした。エジプトの国で盗まれ、人として扱われず、人生を奪われていました。しかし、神はそのイスラエル人を解放してくださいました。盗むか盗まれるか、奪うか奪われるか、で生きていた生き方から、救い出してくださいました。盗まれていた人を取り戻してくださいました。そうして、あなたがたも誰からも盗まない生き方をせよ、むしろ、奪うか奪われるかで殺伐としている世界に、橋わたしをしなさい、と招いてくださっています。ただ「盗みが悪い」というだけでなく、自分も他の人も、外国人も、貧しい人も、どんな人も、盗まれたり良いように扱われたり、安い賃金で売られたりしてはならない、大事な人だからです。どの人も大事に扱われ、売り物扱いされることのない世界を神様が造ろうとされているからです。盗まれて、本当に深く傷ついた人たちが、癒やされて、大切にされて、喜んで自分の人生を生きていく。そういう世界を語っておられます。
この招きに答えて、生きている人が沢山います。
戦争で資源を奪い合う世界の各地に行って、傷ついた人たちを助けている人。
安定した暮らしをなげうったマザー・テレサ。
オルガンの才能を生かしてたっぷり稼いだお金を注ぎ込んで、アフリカで医療活動をしたシュバイツァー。
そうした働きを支援する教会があります。この礼拝の献金の一部も、長老教会を通して、世界の支援に一部が使われます。それぞれの生活や買い物で、搾取をなくそうとしている企業を応援できます。この中から、将来、そんな仕事をして、世界に出て行く人もいたら素晴らしいことだと思います。イエス様が下さるのは、盗んではならないという戒めだけではなく、盗まなくても喜べる満たされた心、そして、世界で一番貧しい人たちにも仕えて、一緒に笑顔を取り戻していく働きです。
人身取引の撲滅を目指す「ノット・フォー・セール・ジャパン」のHPです。
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