聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

問9 「神がすべてのものを無から造り」」ヘブル書十一3

2014-07-26 20:40:27 | ウェストミンスター小教理問答講解

2014/06/29 「神がすべてのものを無から造り」」ヘブル書十一章三節
ウェストミンスター小教理問答9

 神様は世界に対するご計画(「聖定」)を、創造と摂理との御業によって実行されます。今日と次回、問9と10では、創造のみわざについて教えられています。

 問9 創造(そうぞう)のみわざとは、何(なに)ですか。
 答 創造(そうぞう)のみわざとは、神(かみ)がすべてのものを無(む)から、彼(かれ)の力(ちから)あることばにより、六日間(むいかかん)で、すべて極(きわ)めて良(よ)く造(つく)られたことです。

 聖書は文字通り、「創世記」(世界を創造された記録)から始まっていますから、キリスト教の土台にあるのは、

 神が天と地を創造された。

という宣言です。今日の第9問では、その天地創造に関して、いくつかのポイントが挙げられています。「すべてのものを」「無から」「彼の力あることばにより」「六日間で」「すべて極めて良く」造られた、と聖書の教えをまとめています。

 この反対は何でしょうか。神様が造られた、とは言っても、「すべて」ではなく、最初のものだけ、と言う人もいます。世界の創造神話では、神様が造られる前には、グチャグチャな世界だけがあって、それを材料にして、神様が世界を造られたとか、造っているうちに予定外のものになってしまった、などという話があるようです。それは、無からの創造ではないし、神様よりも世界の方が大きく、永遠であるという考えです。聖書はそうではない、と言います。神様は世界のすべてを無からお造りになりました。それは、私たちの創造を越えています。時間も空間も含めた世界が出来る前、永遠におられた神様をイメージすることは出来ません。けれども、その想像を絶する神様が、ご自身しかおられないところから、万物をお造りになった、と受け入れるのです。また、神様が世界のすべてをお造りになったから、すべてのものが存在しているのであって、その後の進化とか偶然で出来たものなどはありません。すでにあったものを、アレンジしたり、変化させたりして、発展させることはあっても、複雑なものがひとりでに出来たのではない、と信じます。

 また、聖書は神がその言葉によって世界を創造されたと言います。

創世記一3神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。

 神様を信じない人には、「そんな馬鹿なことは信じられない」という人も多いでしょう。宇宙の存在そのものが不思議なのですが、それを神様がすべて支配しておられることなど信じられない、と難癖をつけるのです。読みましたヘブル書一一章には、

 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

とありました。この世界が、神の言葉で造られた、ということを悟り、受け入れることは、信仰によらなければ出来ません。神様がその御言葉で世界を支えておられることは、神様を宇宙よりも大きな方としてあがめるからこそ信じられるのです。そして、その神様の御言葉が今も私たちに聖書において語られていて、この御言葉が信じて従うべき言葉なのだ、と私たちは信じます。言い換えると、私たちはここで、神様が世界を創造されたという過去の事実を信じるだけではなく、その神様の言葉への信頼をも告白するのです。

 それから「六日間で」とあります。これも、創世記の一章には、六日間掛けて、と書かれていることを受けています。ただ、その「一日」が、今で言う24時間の一日なのかは議論が分かれます。これは、人間が見たことではなく、神様が後から教えて下さったのですから、そういう表現をされたのであって、科学的に24時間、とは言い切れないこともあります。けれども、「六日間で世界が出来たわけがない」という意味ではないことに注意して下さい。神様は、一瞬で世界を創造することも出来るお方です。世界が自然に誕生して、一五〇億年もかけてゆっくり今の状態になったのだ、という科学の説は、これからまた変わるかもしれません。ですから、そっちの方が正しい、ということではありませんし、ゆっくり、自然に、偶然に、今の世界になってきた、と信じるのでもないのです。神様が世界を六日間でお造りになったと言われているのが、実はもっと長い期間であったのだとしても、それは神様の完全なご計画通りになされたことです。

 最後に、「極めて良く造られた」とあります。これも、聖書以外の神話ですと、神々が世界を造っているうちに、余計なことがいろいろ起きてきて、神様さえお手上げの世界になってしまう、というパターンが多いようです。世界は良いものではなく、欠陥品として、そこから現在の問題や苦しみを説明しようとするのです。この世界を見る時、これが良いものだと言い切ることが難しいのでしょう。けれども、聖書は言います。神様が世界をご覧になった時、それは非常に良かった。すばらしい世界、美しい世界。価値ある世界として造られたのです。ですからパウロは言います。

Ⅰテモテ四4神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

 イエス様も仰います。

マタイ七15外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。

 食べ物や結婚、食欲や性欲、そうしたものを避けた方がきよく生きられる、と考える思想は聖書にはありません。

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