かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

窓を開けても27度の石垣島の朝

2017-11-30 04:54:05 | 日記

首の周りがじっとり汗ばんで目が覚めたのは風邪のせいかなと思ったが、室内の温度計は、27度、湿度は70%。明日から師走だというのにである。ちなみに、旧宅のある仙台は、最低気温3度、最高9度との予報。

今この世界から、あの世界へ飛び込むのはかなり勇気のいることだと思うが。あと10日後には、伊豆半島に赴くことになり、内地の今の季節に想像力を働かせなくてはならない。Yahoo天気に伊豆の松崎町の設定を済ませたが、仙台よりずうっと暖かいのだが、それでも、本日は最低11度、最高17度、石垣島の何年に一度かの厳冬期の気温である。(土日は、最低5度とある。)

冬のトレイル大会は、2週間前の秩父である程度体得したが、登れば汗ばみ、下れば冷えて、止まれば震える。完走となるとこの繰り返しを14時間体感することになるのだが、昨年、関門のため足止めされた仁科峠から先は、カヤトの原っぱを北風を浴びながら下り基調となるみたいなので、冷えながらの下りなのであろう。風を浴びれば、雨具兼ウインドヤッケのトレントフライヤーを羽織っての足取りだろうが、体温を上げるため早足となって、結果として時間内完踏の好結果をもたらしてくれるといいが。

まあ、とにもかくにも、今度の目標は、仁科峠を越えて、晴れの富士山を仰ぎ、できるだけ収容バスのお世話にならず、長い時間、午後の富士のシルエットを視野に入れて、伊豆半島のやわらかい土の感触を楽しむこと、につきる。もう、記録だポイントだ、の世界は、オイラにとって無縁となりつつあるのだから。

さて、今朝はライトをもって少し走ってみようか、左ひざの塩梅はどうだか・・

 


昨日の夕べの11日の月

アーモンドムーンだ。    クレーター・コペルニクスが鮮明だ!

NAHAマラソン翌日の12月4日は、本年最も近いスーパームーンだとか。晴れるといいな。





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トライアスロン卒業大会は、来年の西表島にしようぜ!

2017-11-29 04:41:27 | 日記

夜の室温は、窓を開けていても28度。本日の最高気温は、29度を越えていたとかや。風邪も大事にはならない予感。週末の那覇は、曇り時々雨、最高24度の予報。昨年ほどではないが、むしむしとしたレースとなろう。とにかく、調整ランに徹し、各私設エイドを楽しんで、5時間でゴール。ユースのシャワーは午後3時制限なので、すぐにシャワーを浴び、昨年は無料だった生ビールを数杯いただいて、宿泊先に荷を置いたら、次の懇親会会場に移動しよう。

石トラの愛称の石垣島トライアスロンは、来年4月、STY合宿の前週に開催されるが、この大会をもってトライアスロンも卒業と考えていたが、何でも、来月の17日、初となる西表島77kのトライアスロンが開催されることを、今になって知った。大好きなミドル。大好きな西表島。その上、計測も記録も制限時間もないという、超おおらかなウチナー仕様の大会で、じっくり懇親会もあるのだという。こんな大会を夢見ていた。

来年も開催されれば、この大会を思い出の卒業大会にしようと決意した。やってくれるかな、来年も。

 

https://triathlon-lumina.com/triathlon/entryform/entry_top.html?id=2017121701

 

西表島・浦内川  

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ずうっと雲だらけの石垣島

2017-11-28 06:32:01 | 日記

風邪を引いてしまった。体がだるいのか、風邪薬を飲まなかったのに、目が覚めたら、午前6時を過ぎていた。いつもどおり午前3時の目覚ましチャイムは携帯から聴こえていたのだが、また眠りに入ったようだ。室温が26度と暖かいのだが、夜半、また雨が降っていたようだ。この数週間余りベランダの植物たちに、水をやっていない。ときおりベランダにしぶく雨風によって、植物たちは生かされているようだ。

日本列島に、寒波が押し寄せる季節、南西諸島は天気がぐずつく。大陸高気圧のヘリ、末端、にあたり、そのようなことらしいが、今年は、11月の新北風(ミーニシ)は、長く続くようだ。星空も長く仰いでいない、まもなく夜明けのサザンクロスの季節なのだが、IZU TRAILの終わるころ、もう年末を迎えることになるが、冬の星座を仰ぎながら年の瀬を迎えたい。

少しは、朝が焼けたが、またすぐ雲の多い昼となり、


夕方は、上弦の月が煌々としていたのに、また夜中は雨が降り、今朝は暗い雲に覆われている。


めげずに、ジキニン飲んで、職場に自転車通勤しようぜ

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Izu Trail Journey 完走計画

2017-11-27 05:11:50 | 日記

昨年いただいた、Izu Trailの地図を広げながら、来月に迫った大会の完走計画を立てている。

昨年は、43.5キロ地点のA2仁科峠の関門を18秒遅れて、完走できず悔しい思いをした。

前半だけ走った印象だが、とくに32.3キロ地点の二本杉峠から仁科峠までは、快適に柔らかな山道を走られる、極上のコースだ。

後半は、きっと草原の丘を西に午後の富士をまぶしく仰ぎながら、さらに極上のトレールとなるはずだった。

言い訳がましいことは言わないが、関門を地図上の仁科峠だと思い込み、そこから1.5k先に関門があることをを知らないで時計を見ていた。

ここ、午後2時30分の関門である。今度は、C1の八瀬峠からA1のこがね橋までの林道をもっとまじめに下って時間を節約し、A2の仁科峠を2時15分まで出れば勝算がある。あとは、概ね下りで、最後はくだりの舗装道路で、激走できる。

(初のリベンジ大会克服となるか)

この大会、じつは、STYより明るい世界を楽しめて、楽しい大会かなと思っている。

富士に寄り添う最終章、この後、STYまで大会なし。なんとかIZUを完走、完踏したい。

(だが、膝が思わしくない。NAHAもふくめて2週間、膝をいたわろう。)





 

今年は、地図の裏側さんよろしくゴールまで導いてください。

 

 

映画サウンドミュージュックの「すべての山に登ろうが」お気に入りで、大会用に応援ソングとして訳してみた。https://youtu.be/jvDFoF9sfQA

 


Climb Every Mountain

完踏しようぜ



Climb every mountain
Search high and low
Follow every byway
Every path you know

完踏しようぜ

でこぼこ道を踏み分けて

しっかり地図を読んでね

Climb every mountain
Ford every stream
Follow every rainbow
Till you find your dream

完踏しようぜ

小川を跳び越せ

空を見上げて

ゴールを目指そう

A dream that will need
All the love you can give
Everyday of your life 
For as long as you live

命を懸けるなんて

気障じゃないけど

この日のために

昨日があったのさ

Climb every mountain
Ford every stream 
Follow every rainbow
Till you find your dream 

完踏しようぜ

小川を跳び越せ、

空を見上げて

ゴールを目指そう



宮良浜11月26日 チドリの仲間 ムナグロ(冬羽) シロチドリなど多数 


 

 

 

 

 

 

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高き山に登れ

2017-11-26 05:08:55 | 日記

前日の疲れが残っていたようで、海岸線を2時間ばかり歩こうかと思って宮良の浜に下りたが、p900を右手に持っていたものだから、ふいに宮良川の河口に、こないだの「クロツラヘラサギ」くんが居やしないか、探しに。

これから潮が引くのだろうか、まだ食事に訪れる仲間は少なく、チュウサギ君の若いのが、ちらほらとしているくらい。「クロツラヘラサギ」君は、もっと南に渡って行ったのだろうか。絶滅危惧種の彼らは、全世界に3000羽、なんでも台湾には2000羽の越冬地があるそうだが、ひとたび病気が蔓延するとあっという間に大量死することから、返って心配なのだという。

海岸に見慣れぬ美しいピンクの花が咲いていた。帰って、手持ちの図鑑にもないから、ネットで「海岸に咲くマメ科の花」で検索したら「ハマナタマメ」という植物で、大きな硬い豆ができるのだという。鞘や豆が、有毒とも食べられるとも報告があるので、もっと詳しく調べておこう。アリさんたちが花粉なのだろうか、群がって採取しようとしていた。陽がさえぎられ、風も弱く、暑くも寒くもない海岸で、子孫を形作るため、美しい花を咲かせ、その花粉を他のイキモノに託す、このようなイキモノたちの営為こそ「平和」というのだろうか。

図書館から借りてきた五木寛之さんと立松和平さんの対談集「親鸞と道元」を読んでいて、どうやらオイラは浄土教やキリストに対して誤った固定観念といったものを持っていたようだ。五木さんたちの話の一部を要約すると地獄というものはあの世のことではなく、この世のことであり、親鸞や道元のころは飢えや戦(いくさ)、天災事変が日常化し、地獄絵図はまさに日常のスケッチであった、現代でも、飢餓や戦争は深刻であり、後期高齢者が施設に入れられ、チューブだらけで延命措置を受けている社会は地獄であることには変わりがない。そのような地獄を作り出しているのは、大方が人間であり、仏教である「宿業」である。その、「宿業」を背負いながらどう生きるか。

まあ、ここからが肝心なのだが、親鸞だって死んだあとに浄土に行くとは思っていなくて、生きているうちに浄土を悟る。「死を待たずして、もういっぺん生き直す。」といことだそうだ、だったら、山伏の山駆けや、禅僧の座禅と浄土宗信者の念仏は、手法の違いなのであって、生きて仏になる→いかに生きることが幸せに感じられるか。それを、どう他者にも伝えるか、→という宗教の役割に、差違はない。のではなかろうか。

という、このような拙い日記をYOUTUBEの「メサイア」を聴きながら書いているのだが、聖書のテキストも、現実の苦悩からの脱却を表現しているに過ぎず、誤解を恐れずに言えば、神が誕生する栄光を、高き山に登って大声で他者に伝えよ、とは仏教絵画で、阿弥陀さまが天女らとともに高き山かげから来迎する喜びを今に感じよ、といってるのと同じなのではなかろうか。

盲人たちが見えるようになり、、唖者が歌えるようになり、、聾者が聴こえるようになり、歩けなかったものが飛び跳ねられるようになる奇蹟も、生きている間にもう一度生まれ変わったという精神を表現したものなのだろう。

「メサイア」を聴くたびに、なにかこう幸福の心持が高まっていくのだが、ヘンデルもバッハもあの世がいかに素晴らしいのかを説くために作品を書いたのではなく、この世に何と美しいメロディと響き、そして崇高な言葉があるのかを、オイラたちに教えてくれているのではないか。

荒れ野で呼ぶ声のする。「民よ、高き山に登れ、大きな声で神の栄光を伝えよ」とのテキストに誘われるまでもなく、来春のSTY終了後、オイラの後半生をどう生きるかという問いに対しては、「山に登って、下りたらまた登りたい。」と答える。

山頂でご来光を仰ぎ、万歳するのも、ブロッケン現象にご来迎といってありがたく手を合わせ、誰もいない空に向かって「ヤッホー」と叫ぶ行為も、すべて生き返りのための宗教的行為に属するのだろう。

いささか、自己正当化のための「牽強付会」か。

 

http://www.geocities.co.jp/Hollywood/9240/Composer/messiahtext.htm メサイヤ1部対訳

 

https://youtu.be/ZzgmNPt6GMc  You tube から  ボールド   ロンドン響版で


 

 

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