かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ブナの新芽をみんなが食べていた

2021-10-31 14:14:26 | 日記

東北だけの放送だろうが、今朝のNHK総合で、白神山地の「峰走り」(春に燃えだしたブナの新緑が日ごとに山上に向かうこと)を特集していたのを興味深く視聴した。

そのブナの新芽だが、マヒワのような野鳥だけではなく、ニホンザルやツキノワグマたちの大事な食材となっていて、木登り上手のクマさんたちは、無尽蔵ともいえる白神山地のブナの新芽を美味しそうに咀嚼していた。

ブナは、何年に一度か、これも無尽蔵ともいえるブナの実を実らせて、これはクルミにも似た美味と脂肪分を動物たちに提供することは知っていたが、毎年必ず芽生える新芽までブナがクマたちに提供していることは、恥ずかしながら分かっていなかった。

新緑の季節は、地上にも次から次に草が萌え出て、クマも食材には困らないのだろうが、木登りしてまでブナの新芽を食べているのであって、よほどおいしくて栄養に富んでいるのだろう。来春、オイラも摘み取って食べてみて、問題なさそうなら、おひたしにしたり油いためにしたりしてみようか。割と行けるのかもしれない。

この番組では、クマがあの有毒といわれるミズバショウの葉も食材としていたが、あるいは、サトイモ科のミズバショウの毒素は根の方にあって、葉っぱの先っちょだけ上手にかじっていたので、毒分が少ないところを上手にいただいていたのかもしれない。

ブナの森からは、もっともっと生き物たちの「共助」を学ばなければならない。

        

NHK超絶景ハンター#白神山地


深田日本百名山登頂の思い出   42 四阿山(あずまやさん・2354米)

日本百名山を集中的に登っていた2007年、小石の記録から7月1日に登っている。この山の登山口への道は暗くなっていたので車を走らせていたオイラは迷った。平ヶ岳登山の記録で誤解していたが、沖縄から帰った2006年以降は、オイラはマイカーを持ち合わせていなかったので、レンタカーを利用していた。

何とか辿り着いた菅平の登山口でテントを張り、翌朝まだ暗いうちに根子岳(2207m)経由で頂上をめざし、中四阿、小四阿を周回している。多分、午前中には戻っているのだろう。小石の記録では、その日のうちに霧ヶ峰の車山に登頂しているので、急いでいたのだろう。

レンゲツツジの点在する菅平から根子岳の登りでは、薄明から日の出まで、ひっきりなしにカッコウの鳴き声を聞いていたし、ときおり姿も見つけて、カッコウとの登山を楽しんだ。15年たっても、いまだその時の光景と初夏の高原を気持ちよく登っていたことをよく覚えているのは、カッコウさんのせいだろう。

ただ、山頂でもよく晴れていたと記憶しているが、その日の山岳展望がどうだったのか、まったくと言って頭に残っていないのは残念。それほど、忙しく百名山ハントをしていたのだろう。その余裕のなさには、重ねて残念。

    

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真面目すぎる日本人の登山文化か

2021-10-30 18:05:38 | 日記

今朝の石丸謙二郎の山カフェに登場していたカナダ在住山岳ガイド谷剛士さんのお話を興味深く聴いた。

日本とカナダのガイドをやっていて山にやってくるヒトビトの登山文化が違うのだという。

日本人が山に登ってくるのは、山頂を目指すため。目的の山に来たらほとんどが山頂を目指さなければとピークハントに真面目なんだとか。

ところが、カナダ人は、山に来たら山頂を目指すヒトもあれば、草原に寝っ転がって帰るヒトや、絵を描いて帰るヒトなど様々で、ピークハントに真面目ではないユルユルなのだととのこと。カナダ人に限らず、いわゆる西洋人の登山文化なのだろう。多様な個性で、同調意識というものもない。

たしかに、オイラも人生の大部分を顧みれば、深田百名山登頂に代表されるように、今日はあの山、明日はあの山に登ろうと計画し、計画の達成は成功、不達成は失敗、という価値観で生きてきた。今度の夏油温泉だって、1日目は牛形山山頂を目指し、2日目は橋が架かっていれば経塚山などとした構想で出かけ、1日目に雨が降って登れないと「ああ、損した」という感覚にとらわれていた。真面目すぎる日本人の登山文化にどっぷり漬かっていたんだ。

今回も雨が止んだ翌日に横岳という計画外の山頂をめざし、それはそれで山頂からの風景を楽しんできたが、あるいは、天気が悪いときでも、ブナの森に傘をさして出かけ、雨の森の音を楽しむことだってできたのかもしれないし、宿の窓から見える雨に濡れて濃さを増した山肌のスケッチを楽しむこともできた。

そんなまじめすぎないユルユルの山歩きをしていけば、成功・失敗という話にはならないのだろう。

だが、昨年の立山や日光では、山頂をめざさない日、湿原散策の日などもあらかじめ計画していたので、あるいはオイラのこころにもすこしづつそのような異文化のユルユル精神が芽生えているのかもしれない。もっと育もうオリジナルで多様な山の過ごし方を。

     

ブナ黄金王国のスライドショーをつくってみた。山頂めざさず三脚を使用すればもっと鮮やかなブナたちを映せただろうに。手持ちだとピントが甘くなりすぎ。


深田日本百名山登頂の思い出    41 草津白根山(くさつしらねさん・2171米)

草津白根山を代表する観光スポット「湯釜」には、昭和53年(1978年)ころ最初の職場の慰安旅行で行っているので、長いこと草津白根山は登頂済みと考えていたが、最高峰本白根山(2174m)の探勝歩道の最高点?が山頂ということを知って、残り百名山を集中的に登っていた2007年6月30日(山頂付近の小石から判明)にその歩道を通って三角点まで行ってきている。

山容があいまいでダラダラした歩道を歩いており、いわゆる達成感というものはなかったが、火山性の砂礫地に美しいコマクサのピンクが点在していて心が慰められた思い出がある。

今日まで知らなかったが、深田さんの文章にもある通り、ふもとの万座温泉は年間営業で一番高いところ(1746m)にある温泉街ということだ。いまさらながら地図を見るとこの山域に芳ヶ平という広大な湿原地帯がある。草津から登って芳ヶ平に立ち寄り、湯釜方面まで歩き万座温泉へ下る名湯をはさんだ静かな旅もまたいいのだろう。高層湿原と世に聞こえた名湯には、山歩きを交えて立ち寄ってみたいし、味気なく登ってきた草津白根の価値をあらためて見出したい。

なお、現在この前の噴火により本白根山探勝歩道は立ち入り禁止となっている。2007年に歩けて良かったとつくづく思う。

       

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山あいの湯治場の灯を消さないで

2021-10-29 17:27:33 | 日記

黄金のブナ王国の谷あいにひっそりと建っている昭和の、それもずいぶん前の昭和の残像のような湯治宿の自炊棟、その古びた木造の建物を名残惜しく立ち去る。もともと、この自炊棟の建物は、平屋も入れて四棟ほど建てられていて、往時は近隣の農民たちで、さぞや賑わいも見せていただろうが、今は、オイラが三晩泊まらせていただいた二階建ての一棟だけの営業となっていて、カギなんてもちろんない襖で仕切られただけの十部屋程度の区画に、オイラも含めて四組五名程度が宿泊していたにすぎない。

食事つきの本館については、ある程度の賑わい(それでも二、三十人程度か)を見せていたが、自炊棟は時おり台所の立ち話が聞こえるばかりで、ひっそりと静かなものである。

築何年になるのだろうか、オイラの泊まった部屋は入り口の襖戸に隙間が生じて、ストーブを消すとひんやりした空気が廊下から流れ込んで、寝ていたオイラの顔をなでた。カメムシもどこかから侵入してきて、覚えているだけで五回ほどテッシュで捕まえては窓の外に追い出した。階段のじゅうたんは埃が目立ち、人手がなくて掃除が行き届かないのだろうと思った。ホウキや掃除機が近くに置いてあれば客がやるだろうにと思った。宿賃が安いので、台所と同じくセルフサービスでいいではないか。

この建物も、あと何年もつのだろうか、ほかの三棟と同じ運命を迎える日は、それほど遠くないのかもしれない。

この宿が管理する湯は七つで、夏油川沿いに設けられた露天風呂は4カ所。酒のせいで深夜に目覚めたり、未明に体を目覚めさせたい時には内湯で時間を過ごし、陽が登れば瀬音と野鳥の時鳴きを聴きながら、露天にゆっくりと体を沈め、秋山の色合いを愛でる。とても熱い露天もあり、ほてって石床に上がれば、冷たい秋風が心地よい。

遠い昔から、日本のヒトたちは、こうした作法によって四季を感じ、時の移ろいとわが人生の来し方行く末を頭に描いたのだろう。

食事つきなんて何日も泊まれない。安い宿賃で連泊しながら心身をリフレッシュし、見知らぬ者ともこころが通じて、あれこれと話題が飛び交うのが自炊棟のいいところ。

焼石連峰へのルートに架かる夏油川の歩道橋は2014年に積雪のため崩落してからは、いまだ再建されていないが、来年中には工事が再開されるという。

オイラは元気なうちに、この宿をまた何度か訪れたい。今度は、ブナの新緑がまぶしい山菜の季節にやってきて台所で天ぷらやおひたしにして楽しもう。たくさん採れたときには同宿者におすそ分しよう。

橋が再建されたときには、この宿に前泊してから経塚山経由で焼石連峰に向かい、山中の避難小屋に一、二泊してまたこの宿に戻る。花の時期になったら、こんな計画もいいのだろう。

そんなたのしい夢を描いている間に、当旅館のホームページに「長年親しまれました自炊部は老朽化により今年で宿泊予約を休止します。」と告知されるのが心配。

自炊棟のある湯治宿は、言ってみれば文化遺産だ。農民の皆さんには忘れられたのかもしれないが、全国の登山愛好家、釣りびと、山菜マニアは、山小屋の素泊まり価格より低廉であって、お湯もふんだんに浴びられるこうした宿にもっと目を向けるべきではないだろうか。であれば、宿主は休業をしばらく思い留めるのかもしれない。

文化遺産の灯は灯し続けていてほしい。

       


深田日本百名山登頂の思い出  40 赤城山(あかぎさん・1828米)

赤城山には申し訳ないと思っている。2004年か5年ころ、ただただ百名山の一座をゲットしようという気持ちだけで、前泊した前橋市内から山上湖の大沼(おの)までバスに乗って、わずか2時間ばかりの歩きで最高峰黒檜山(くろびやま)山頂にいたり、大した感慨もなくそのまま次の皇海山に登るため、わたらせ渓谷鉄道の駅のある方向へいそがしく下っているからだ。赤城山の魅力をほとんど体験しないまま通過している。ただただ山に申し訳ないし、深田さんの言っていた「大きなプレイグランドでの逍遥」を味わっていない。

残った人生、行きたい山や行きたい山域がそれほど山のようにあり、オイラが今後赤城山に足を伸ばす機会はほとんどないのだろう。ただただ、申し訳ないと思っている。あとは、北陸新幹線などに乗った機会に高崎あたりから見えてくる「他に例を見ないようなのびのびとすそ野を引いた稜線」を脳裏にしっかりと刻んでいこう。

        

      

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ようこそ黄金王国へ

2021-10-28 01:26:29 | 日記
夏油三山のうち、駒形山は一昨年登っているし、経塚山への入り口の夏油川渡渉は昨日の雨のため増水しているため不安だし、であれば牛形山と考えていたが、夏油温泉から牛形山への登山道は、一部の道路崩壊のため立ち入り禁止となっていた。
ならば、昭文社「山と高原地図」に「美しいブナの巨木の森」と表記されている丸子峠への道を選択。その先の横岳まで足をのばそう、と薄日の差した未知の森に足を踏み入れる。道標は何十年も整備されず廃れていて、赤布もほとんどなかつたが、道は明瞭で峠から先は刈り払われた形跡もあり心配ない。鷺ケ森山から牛形山までも道はしっかりしていそうなので、牛形山から鷺ケ森の時計回りの周回、立入禁止が解除された来年以降の課題としたい。


よく読めない道標
クマにかじられた横岳の標識

それよりもなによりも「山と高原地図」の案内にある通り、丸子峠にかけたブナの森は見事で、いままさに黄金の王国という風情で、次第に雲がかかって暗くなってきたのにもかかわらず、この森だけは明るさを留めていた。オイラは、黄金色に染まった大木の前で何度も立ち止まっては、シャツターを何度も押した。




が、ブナたちのスケール感と個性に満ちた堂々とした風格の一部さえも取り込めてはいないのだろう。横岳の東側は、夏油スキー場開発によってブナたちの多くの仲間が伐採の憂き目にあったと想像する。スキー場から先、夏油温泉までの道路は、まもなく冬期通行止めのとなることからあきらかなように、山峡の険しさと雪深さが、この森を開発から守ってきたとも言える。横岳山頂から見渡すかぎり、夏油三山と焼石連峰の森は、ヒトの手から免れたブナの王国とみた。色づきの悪いこの年の秋でさえ、輝くことをわすれてはいないようだ。






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ケロリン桶をかぶって雨の露天をしのぐ

2021-10-26 17:51:36 | 日記
一日中雨で湯治宿の停滞を余儀なくされた。文字どおり露天や内湯を出たり入ったりで時間を過ごした。
この宿の名物湯は、熱すぎて身体にお湯をかけるのが精一杯の露天だが、雨と朝の冷えで余裕で入れたが、屋根のないのが難点。降りしきる雨の冷たさは湯船に身体を沈めればいいが、ハゲはじめた後頭部だけは防御不能だったので、すかさず近くにあった、「ケロリン桶」をヘルメットのようにかぶって冷たさをしのいだ。なぜだか分からんが、古い温泉の風呂桶は、古い日本人ならだれでも知っている古い頭痛薬(今でもあるのかな?)
黄色いケロリンのプラスチック風呂桶なのだが、今日は頭痛ではなく「頭冷え」を癒してくれた。





夕方には晴れた。紅葉が色を増したようだ。明日に期待。






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