台風18号の進行図が気になるが、この週末からの山に出かける準備を、そろそろはじめよう。紅葉前線は、10月上旬を境に、本州の高山から麓に一気に下り始めるので、この機を逃すと、高山は一面の雪に閉ざされる。Gショックは、原状回復とはいかないようだが、痛みと腫れは引いてきたので、歩くには支障がないのだろう。「だめなら、降りる。」「君子、危うきに近寄らず。」これが、かぜねこ家の「家訓」なのである。
それにしても、このところ、山に持っていく小物の紛失が続いている。7月のプロトレックは、無事戻ってきたが、5月には、大峰山の山小屋にモンベル製ヘッドランプを忘れた。4月には、石川・大聖寺の深田記念館で買った木製の笛をいつの間にか見当たらなくした。この前の乗鞍岳では愛用していたスント製のコンパスを、下山路でウエストバックから地図を取り出す際に落としたのに気づかなかったようだ。亡くしたのではないが、5月には、関西行きの飛行機搭乗の際に、誤ってビクトリノックス製ナイフを手荷物に入れていたため、没収されてもいる。
亡くしたものは、その都度買足ししているのだが、山用品は、意外と高価なので、負担である。今日は、これから「消費税対策」もあり、スント社製のコンパスとモンベル製のシュラフカバーを買いに行こうと思っているが、併せて、紛失防止用のストラップも買ってこようかと思っている。コンパスやホイッスルは首から下げて、持ち歩こうかと思っているが、ストラップごと、どこかの日帰り温泉のロッカーに忘れることも予想され、そのほうが損失額が大きいとの懸念もある。思えば、この何十年、落としっぱなしだ。年齢というより、質(たち)。
愛用の小物たちであるが、いつまで仲良くしてくれるか・・・・
気の早い話であるが、自由時間を持ちすぎているので、もう、再来年の春先の輪行計画を「昭文社製ライトマップル」を眺めて、考え始めている。そのマップルの四国の図には、徳島→高知→愛媛→香川の順に、「四国八十八カ所」の寺院名が番号順に記載されている。いつかは、八十八を歩いて踏破、と憧れてはいるのだが、「とりあえず」再来年の初春には、折り畳み自転車アカンマ号に同行二人と書き添えて、サイクリング巡礼を試みてみようという気になった。できれば、このルートだけは、公共輸送機関のお世話にならず、走ってみれば、徒歩には及ばないが、「何かしらの御利益(ごりやく)」があるのかもしれない。
八十八を終えた時点で、鉄道やバスのお世話になりながらも、輪行スタイルで、四国の山を訪ねる。百名山の剣山と石鎚山は、和歌山勤務時代の30年前に登っているが、あらためて、これら名山を登るほかに、石鎚山(1982m)とセットで瓶ヶ森(1897m)、伊予富士(1756m)、笹ヶ峰(1860m)、東赤石山(1706m)を登り、剣山(1955m)とセットで三嶺(1894m)を登ろう。これで、四国の三百名山はほとんど登るが、愛媛と高知国境にある三本杭(1226m)だけは、ぽつんと離れているので、割愛するか、八十八の途次に登ってみるかだ。三百名山や、二百名山にはもう興味はないが、三本杭まで登れば、「もう四国は十分登った。」と満足できるのかもしれない。(花の百名山の、東赤石山には、花の時季に登っても見たいが。)
ライトマップルの地図によると石鎚から笹ヶ峰にかけて林道も走っており、4月以降は、石鎚スカイラインに路線バスも走るとか。効率よく、登れるのかもしれない。
で、四国は満足かといえば、忘れていた・・・四万十川、仁淀川、吉野川などの清流の存在を。八十八や三百名山の「ついで」というのもはばかれるが、日本の残された清流にも足をのばさないと・・
活火山は一つもないのだけれど、「巡礼の道」、「山岳」、「清流」というキーワードにより強く引き寄せられる四国という大地。「今後30年以内に80%の確率でやってくる南海トラフ大地震と大津波」と科学者がこぞって警鐘する四国という大地。早めの訪問がいいのかもしれない。