宮城蔵王の「蔵王古道」を歩いてきた。
古道といえば、吉田口、精進口、船津口、須山口、村山口と五本すべて歩いた富士を思い出す。前年まですべて歩ききることができたのも、コロナ禍で山を閉じられた今年の状況を考えると、何者かが手を差し伸べてくれたと信じたい。麓から登る冨士の古道、ご利益はいまだ認められないが、いずれも味わい深く、自然と向き合える静かなみちであった。
明治政府の廃仏毀釈の命によって、修験道を中心とした山岳宗教が廃れるまで、ひとびとは、救いや安寧をもとめて山頂に神仏を祀り、ろくな装備ももたずに、麓から長時間歩いて登った。代表的なのは富士だが、白山、御嶽、乗鞍、大峰、月山など、霊山と崇められた山岳には、麓から登るそのような登拝道があった。
近代化とともに、自動車社会がやってきて、スカイラインなどの美名で自動車道が山岳地帯に伸び、ひとびとは楽な方楽な方へと流れた。その結果、登拝道は、次第に草に覆われ、風雨で浸食崩壊し、廃れ、忘れ去られた。
宮城蔵王の蔵王古道は、麓の遠刈田温泉にある刈田峰神社里宮(標高約300m)から刈田岳(1757.8m)山頂に立つ刈田峰神社奥宮に到る標高差約1450m、距離にして約13kmの道。この道も、刈田岳山頂直下まで伸びる蔵王エコーラインという観光道路のお陰で、標高約1200mの賽の河原付近までは廃道化していたものと推定されるが、地元の有志により、復元、整備されているとのこと。(昭文社の山と高原地図2019年版では、標高880mの峩々温泉分岐から登山道表示がなされているが、国土地理院2万5千図(平成28年~29年発行)には、徒歩道表示がない。)
恥ずかしながら、この道を知ったのは大阪のアウトドア団体のウォーキング企画情報などからで、4,5年前のこと。昨年、沖縄から帰って、早く歩きたいと思っていたが、このコロナ禍の収まりで、やっと県内移動は自由になったことから、まずはこの道を選んだ。
白石からの一番バスが遠刈田に着くのが8時過ぎということから、刈田岳頂上までは行けなかったが、賽の河原付近まで辿った古道は、ところどころエコーラインをまたぎ、バイクや自動車の音が気になるところもあったが、起伏が緩やかで、ブナやミズナラといった落葉広葉樹林の青葉が美しく、柔らかで、登山者にやさしい道であった。
地元の団体が「蔵王古道」と書いた木札を要所要所に掲げ、赤テープもところどころに結ばれていたので、安心安全、いざとなればいつでもエコーラインにエスケープできるので、道迷いの心配もなし。まさに、高齢化した単独登山者にはうってつけの登山道といえよう。
数年前だったら、トレランスタイルの軽装で、山頂往復は、いともたやすかっただろうが、いまや、肩にカメラを担ぎ、右手にストック、左手に双眼鏡といういでたちなのであり、今回は、途中下山でも満足であった。
これからは何度かこの道のお世話になり、あるいは山頂の避難小屋に仮眠しながら、星空を撮ったり、ご来迎(ブロッケン)に手を合わせながらいにしえの信仰のありかも探って見よう。併せて、数十万年の間、あちこちで噴火を繰り返したというこの山の成り立ちや森の生成、植物分布なども調べてみようか。観光道路やスキー場開発でズタズタにされていることを主な原因とし、若き日々は、あまりまじめに向き合わなかった蔵王という山だが、観光道から一歩外れれば、豊かな自然は脈々と引き継がれているのであり、老いて、この山域を見直し、信仰の山ともしていこうか。
6月になれば、隣県山形を歩くことも許されよう。宝沢(ほうざわ)という集落から蔵王信仰の道が山頂に伸びていると聞く。今度は、そちらの古道を歩いてみよう。山形側には蔵王温泉、宮城側には遠刈田温泉。下山後に、いい温泉も待っていてくれる。近くに、いい山、あるじゃないの。「新しい生活様式」に適う山。
古道にあった、蔵王権現の石碑。いつ、どなたが運び埋めたのか
ミズナラの巨木を仰いで
澄川の向こうに、雪形をいただいた馬の背