10月23日、バスで20分、青葉の森を2時間ばかり歩く。このところの体調不良は、季節の変動か、焼酎の飲みすぎか、まあ、そのどちらでもあるのだろうが、それでもキノコたちの仲間と出会いたいという気持ちで、晴れれば野外に出る。
森の入り口でいきなり、白みを帯びた褐色のナラタケのかたまりとイボイボの黄色い傘が可愛いヌメリスギタケモドキの束生の塊を見つける。歩道からさして歩かない距離なのに誰にも採取されていないのは、いかにキノコたちの生成速度が速いかなのだろう。このキノコたちは昨日の雨の日にひそかに姿を現し、本日その最盛期の姿を偶然オイラの目の前に表し、明日にでもなればもう胞子を放ち役目を終えているのかもしれない。秋の森のキノコの生涯というものはそういうものかもしれない。
とりあえず、塊の3分の1ほどいただいて、あとは来年の再会を企図する。
この日の目的は、先週覚えたウラベニホテイシメジとモミの木の下のアカモミタケだったが、崩れかけ始めのウラベニ1本とその幼菌1本、2本のアカモミをゲットしただけだったが、ナラタケたちの収穫もあり満足して家路につく。
夕食に、おととい採取し冷凍しておいたクリタケに、本日採取したナラタケ、アカモミ、ウラベニを加え、タマネギ、ベーコン、ニンニク、鷹の爪、アジシオ、コショウ、白ワイン、マヨネーズでバター炒めにし、茹でたパスタとからましていただいた。どやつも素晴らしい食感の食材で、洋風でもおいしくいただくことが証明された。
青葉の森にも、今の時期だけ元気な腐生菌が育つことが分かった。身近においしい食材があることを遅きに失したが、学習した。
そういえば来週は、紅葉の岩手の森に湯治とキノコたちとの出会いを求めてこの地を留守にする予定だった。
次にこの可愛い元気者たちに会えるのは来年か。はかないといえばはかないキノコたちとの出会いなのだ。
採ればとったで後処理も大変。あまり欲を出さず少しずつ採取しようね。その日に食べないのは冷凍保存だが、茹でて塩漬けやめんつゆ漬けもやってみよう。
今年の夏、毎週少なくとも1回は訪れようと意気込んでいた泉ヶ岳周辺ではあるが、富士山以来の体調不良や北アルプスだ、大人の休日パスだ、ドジャースのポストシーズンだと騒いでいるあいだに、気づいてみれば、もう10月も後半に入ってしもた。
そんなことで、泉ヶ岳始発のバスに乗ったのは、(このブログの記録によると)あのチチタケと初めて出会った8月22日以来と、もう2か月ぶりであることに驚く。
当初の計画では、まずいつものように泉ヶ岳に登り、秋色に染まった船形連峰を眺めて、後半は秋キノコたちとの出会いを楽しむというものであったが、登りはじめに「チチタケ」の群生を見つけたのでそれの採取にいそしんだのだ。だが、それら「チチタケ」から滲み出してきた白い乳が、黄色に変色したので、持参した図鑑を確認したところ同じ仲間だが「毒」とされていて、乳が辛い「キチチタケ」ではないかと疑念が生じ、実際その乳を少し舐めてみたが、やはり辛かったので、キノコたちには大変申し訳ないが採ったそれらをみなやぶかげに捨てた。(ああ、はずかしい。)
その先の登り口で、平坦に開けた場所があったので、すこし違ったキノコが生えていないか歩いてみたら、なんと朽ちかけた広葉樹の影にあこがれのナメコが生えていたではないか。まだ幼菌から傘の開いたものまで、虫もつかずいい状態で生えていたので、両手に余るほど採取し、ザックに入れていた専用かごに静かに入れた。
この日は、登り初めから、毒であれ憧れであれキノコたちとの付き合いに夢中になり、もう山頂に登る計画をナシにして、秋キノコとの出会いをメインの目的に切り替え、周辺を7キロばかり歩いた。
結果、同じような枯れ木の幹にヌメリスギタケモドキ、ムキタケ、ヤマブシタケ、根元にナラタケ(北海道でボリボリといわれていたオニナラタケか)と出会い、地面の朽ちかけた木の切れ端にに束生したクリタケにも出会うことができた。
すべて枯れ木に生えて森の木の分解をお手伝いする「腐生菌」たちであり、不思議なことに地面に現れるシメジの仲間やイグチの仲間の「菌根菌」は、標高200メートル程度の里山である青葉の森と比べると、ほとんど出ていないというありさまだった。
覚えたばかりのウラベニホテイシメジやサクラシメジ、金タケといわれるアイシメジや銀タケといわれるシモフリシメジは、その影も姿もなかった。地質なのか、標高なのか、季節なのか、その理由は不明だが、やはり同じ山域に週一でも足しげく通うことが、キノコたちを知る要諦なのだと自覚する。
しかし、10月の後半戦の泉ヶ岳界隈、まじめに探そうとすればナメコを代表とするうれしい「腐生菌」たちに出会えることが分かったので、週末また出かけてみよう。山頂付近が色づき始めているので、今度は錦秋に染まった?船形の山々を眺めてからにしようぜ。
ナメコは、一晩水につけて置いたらヌメリが増し、笠に付いたごみが取れやすかった。
大鍋の塩水にナラタケ、クリタケ、ヌメリスギタケモドキ、ムキタケ、白いヤマブシタケを入れ虫やごみの追い出し作戦
大方採取してから、ナメコさんたちを撮影したためさびしい映像となったが、幼菌さんたちはかわいい。
カサのぬめりとツブツブもようですぐに図鑑と同定できたヌメリスギタケモドキさんたち
昨夜の試食では、ナメコよりも食感よかった!
高い梢で食べられずに済んだムキタケさんたち
クリタケさんたち
この秋は、大事な秋にお出かけタイムの大半をドジャースのポストシーズンに奪われたといって過言ではないだろう。というよりも、あの暑い夏の盛りから9月のにかけても、連日ドジャースの放送は午前9時ないし11時スタートだったから、外出ままならず、すっかりテレビっ子(いやジジィ)になり果てていた。
昼のテレビで、志らく師匠も言っていたが「もう、日本野球なんてどうでもよくてドジャースを応援していた」が本音。だって、NHKBSが必ずドジャースの大谷の放送をやってくれるから、必然、野球といえば大谷ドジャースばかり応援したくなっている。この環境のせいで、否が応でも日本人の大半が、それも家で朝からテレビを見られる環境にいる無職の年金生活者の大半は、「野球といえばMLBのドジャースを応援していれば、いい気分させてくれる」状態になるので、家の高齢者は今年はすっかりドジャースファンになったのではないだろうか。
選手一人ひとりの名前と顔を覚えたし、アメリカ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、キューバ、カナダ、日本、国籍も肌の色も関係なく選手たちと一体となることができた。人種差別も、国力の違いも無関係に、今はセレブの仲間で、あごひげやタトゥーに変身したむさい青年たちの、かつて純粋無垢な野球少年だったころのまなざしを想像しながら、一人一人を応援していた。
この間、オリンピックやWBCなど、いつも日本選手ばかり、「君が代」ばかり応援していた自分とは異なる自分が存在することに初めて気づいた。(まあ、大谷という日本人がいるからなのではあるが・・)
あすからワールドシリーズが始まる金曜までやっとつかの間の静かな日常が戻ってくる。つかの間の秋の日々、山に出かけよう。市内の樹々もようやく色づきはじめた。キノコの新しい仲間たちも紅葉の下で地上からかわいい顔をのぞかせて待っているかも・・