かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

それでも春は来る

2020-02-29 07:13:25 | 日記

コロナ対策は、とうとう大規模イベント、遊興施設自粛と小中高の休校にまで及んできたが、ヒトがいっぱい集まっている大学入試や大学はどうなんだ、お父さんお母さん、お兄さんお姉さんの職場はどうなんだ、夜の街のあの賑わいはどうなんだ(大阪で実感)・・ウイルス感染対策の徹底というなら、社会活動すべてを、いったん停止させ様子を見るしか方法はないようだが、どうもそんな気はないらしい。(できっこない。)流行の折れ線グラフの山を低くかつピークを遅らせて、時間稼ぎしながら、効果的治療方法や医薬品、医療施設の確保を狙いとしているようだが、経済活動にあんまり影響のない子供を優先するのは分かるが、大規模イベント、施設や教育現場にも大勢の働くヒトたちがいるのであり、このヒトたちの生活のことも考えてほしい。

こういう時にかぎって、年金生活者かつ引きこもり愛好者が、世間のお役に立っていると実感するが、買い物や図書館などで、見えないウィルスとの出会いは生じるのであり、全くの無菌生活というのは、ありえない話だ。今後どうなるのだろう。(雑菌だらけ?)の図書館もまもなく閉鎖か。

とにもかくにも、みゆきさんの言葉を思い出し、感染者ばかりでなくヒトの痛みを思いやりながら、自己防衛の毎日を過ごし、陰ながら、こころのどこかに観音様に祈りつつ、平癒を待つしかあるまい。

関西の三日間、大阪城公園、奈良公園の東大寺戒壇院、二月堂、三月堂、国立博物館、京都の醍醐寺を歩いては、早春の花を愛でて、仏たちに手を合わせた。奈良と京都で、いったい幾体の仏さまたちに出会ったのだろう。戒壇院の四天王様たち、三月堂(法華堂)の不空羂索観音様と四天王様たち、博物館の毘沙門天様たち、醍醐寺の五大明王様たち、みなが厳しいまなざしで虚空を見つめていた。ぜひとも、この外敵たちを和解させ、あるいは足裏の邪鬼のように、封じ込めてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北帰行2019  4.13 新潟県村上駅から山形県湯の浜温泉へ

 

加茂水族館

〇 湯野浜の 波 汲みいれし 水槽に 微塵の海月 夢見る故郷

湯野浜も日没

〇  日の入りは 18:13(いちはちいちさん) 北上の 終わりの浜の ワンカップ冷っこ

 

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観音の力  中島みゆき ラスト・ツァー

2020-02-28 14:39:32 | 日記

中島みゆきさんが、最後のツァー(地方公演)と位置付けた「中島みゆき2020 ラスト・ツァー 結果オーライ」の2月大阪公演は、中一日の休演を挟んでの3日間行われる予定であったが、初日に開催されたところで、その後の2公演はコロナウィルスによる国の自粛要請を受けて中止となった。3月の愛知での2公演も中止となっている。公演中止は、1月の東京からはじまって、6月の東京で終わる全24公演のうち、8公演目まで開催ところで突然アナウンスされたのである。今の状況からすると、あるいは6月までのすべての公演が困難となる可能性もある。

オイラは、その大阪公演の初日に参加することができた。たしか、水・金・土曜日の3日間のうち水曜日が倍率が低いからだろうとの理由から、第一希望に応募して運よく当たったので、大阪まで出かけたのである。大阪を選んだ理由は、飛行機のマイルがたまっていたので、「タダで」大阪に行きつくことができること、年に一度は奈良や京都の「古寺巡礼」や「観仏三昧」を行いたいこと、なのである。

大阪に出かける前から、コンサート開始時刻まで、みゆきさんのオフィシャルサイトを何べんも開いては、「中止になっていないか」と恐る恐る確認した。幸いに水曜日の公演は、「開催します。コロナの関係で来れない方にはチケット代金を返金します。」とのことだったので、ホッとして会場の席に着くことができた。

今にして思えば、当日午後、政府からコンサート等の自粛要請が出たばかりであり、大阪ドームで予定されていたEXILEの公演が開園3時間前に突然中止されてもおり、みゆきさんのコンサートも中止にされてもよかったが、「なにかしらかの不可思議なちから」が当夜に働いたものと信じざるを得ない。というよりも、そう信じることにする。

ただし、その後の中止によって、楽しみをしていた他のヒトビトや、オイラのせいで抽選に外れたヒト、もしかしたらその後の中止公演に当たっていた「別のオイラ」の落胆を思うと、おのれの幸運ばかり他言してはいいのかと、喜んでばかりもいられない。

公演の後半で、みゆきさんがこのように語ったように記憶している。(正確ではないだろうが)

「 このような状況になると、ヒトを押しのけても、自分だけ生き延びようとするヒトも現れます。

  一方、自分はいいからと遠慮し、利益を他人に譲ることばかり考えて、自分が犠牲なってしまうような

  人も現れます。どうか皆さま、他の人のことも思いやりながら、与えられた命を大切してください。

  また元気でお会いしましょう。」

目頭が熱くなった。現代の観音様だと思った。

コンサート最初に歌った唄、「一期一会」で、出会いの不可思議さを教えられた。

コンサートラストに歌った唄、「誕生」で、生きる貴さと喜びをあらためて教えられた。

アンコールを締めくくった唄、「はじめまして」で、かけがえのない時間ということを教えられ、

帰途についた。

 「  はじめまして 明日

    はじめまして 明日

    あんたと 一度つきあわせてよ (^^♪  」

Sokoさんの素晴らしい弾き語りcover発見(Youtube)

 

フェスティバルホールをあとにする結果オーライのヒトビト

昼間立ち寄った奈良公園の国立博物館も、翌日から休館となった。自分の意思ではどうにもならない、きっと、何かの力が働いている。結果は、 all right だ。


中島みゆき 2020ラスト・ツァー結果オーライで、みゆきさんが歌った唄

① 一期一会               ~ I  Love You 答えてくれ / 十二単~Singles4~(2007)

② アザミ嬢のララバイ          ~ 私の声が聞こえますか /Shingles /元気ですか(1976)

③ 悪女                 ~ 寒水魚 / Shingles / 大吟醸 (1982) 

④ 浅い眠り               ~ EAST ASIA / ShinglesⅡ (1992)

⑤ 糸                  ~ EAST ASIA / 大銀幕 / Shingles2000 / 元気ですか(1992)

⑥ ローリング              ~ 中島みゆき (1988)

⑦ 流星                 ~ LOVE 0R NOTHING(1994)

⑧ 最後の女神              ~ 大吟醸 / SinglesⅡ(1994)

⑨ 齢寿天任せ(よわいことぶきそらまかせ) ~  CONTRALTO (2020)

(休憩)

⑩ 離郷の歌               ~ CONTRALTO (2020)

⑪ この世に二人だけ           ~ 予感 / いまのきもち (1983)

⑫ ナイトキャップ・スペシャル      ~ 恋文 (2003)

⑬ 宙船 (そらふね)          ~ ララバイSINGER (2006)

⑭ あたいの夏休み            ~ 36.5℃ / Singles (1986)

⑮ 麦の唄                ~ 問題集 / 前途 (2014)

⑯ 永遠に嘘をついてくれ         ~ パラダイス・カフェ(1996)

⑰ 慕情                 ~ 相聞(2017)

⑱ 誕生                 ~ EAST ASIA / SinglesⅡ / 大吟醸 (1992)

【Encore】  

⑲ 人生の素人              ~ 相聞 (2017)

⑳ 土用波                ~ 中島みゆき / いまのきもち (1988)

㉑ はじめまして             ~ はじめまして / いまのきもち (1984)

45年間という地層の断面を見る思いだったが、浅い眠り・ローリング・流星・宙船(そらふね)・あたいの夏休み・永遠に嘘をついてくれ・土用波、そして、はじめまして と、サビにパンチを効かせた、元気をいだたく応援歌がちりばめられていたようだ。みゆきさんは、フォークシンガーというよりロックンローラーだ。

 


帰りの飛行機の窓から、南アルプスの白い高峰。右から聖、赤石、荒川三山か、心が洗われた!

今年は、行くぜよ!

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雪割草咲く日本海

2020-02-25 00:17:16 | 日記

気象庁の桜開花予想。今年は、平年より10日も早い地域が多いとか。3月半ばには、関東で開花し、月末には、仙台でも咲き始める。

であれば、カタクリやニリンソウ、キクザキイチゲといった早春の愛すべき山野草も早くも開花してくるのだろう。昨年の北帰行では、柏崎大崎の雪割草の里というスポットで開園最終日に立ち寄って、まだ少し咲いているという雪割草に十数年ぶりに再会し、感慨ひとしおだった。太平洋側には咲いていないキンポウゲ科の可憐な一族。オオミスミソウやスハマソウといったこれらの仲間に名付けられた「雪割草」、なんと素敵な呼称なのだろう。

昨年撮った画像の一部を見て、マクロレンズをもって、また新潟に出かけたくなった。3月の声を聞き、開花の知らせが届くようになったら、こころが躍るのだろうが、例の「疫病」ブーム何とか治まってほしい。

開花情報


北帰行2019 4月15日 新潟県出雲崎 弥彦山

金沢駅から倶利伽羅駅、平家物語由緒の峠を越えて、高岡から滑川へと騒がしい国道を経て、滑川駅から鉄道を使い、直江津の谷浜という小さな漁村に宿泊。翌日、柏崎までさらに輪行し、柏崎駅からから出雲崎、寺泊をへて弥彦山に登り、吉田駅から新潟駅へ。日本海の旅で一番、快適で楽しい旅ができた1日であった。途中、雪割草の里というのぼりを見て、横道。「そうか、新潟には愛すべき雪割草が咲いていたんだ。」w100のクローズでピンボケだらけであったので、早春の佐渡や角田山、改めての再訪を誓った。

 

出雲崎の良寛様 誰が考えたかこの海を見つめているという位置

良寛様とは、これから向き合っていかなければならないのだろう

佐渡の白い山が見えている

今日のゴール 弥彦山が、寺泊の後方に見えてきた

弥彦神社到着

頂上から望む 佐渡

〇 藍の海 沖にひとすじ白塗りて 佐渡の野原に 花匂ふころ 

〇 良寛さま 「天上大風」 凧上げて 大海原と 春を待つかも

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パニクルか、アキラメルか

2020-02-23 16:15:02 | 日記

外は時々吹雪いているが、すぐに融けて積もりそうもない。日曜日の午後は、「きらクラ」と決まっていたが、3月で終わるとのこと。「きまクラ」、「おしゃクラ」の時代からだと、もう何年になるかしらん。とにかく、今のふかわ・遠藤コンビの「きらクラ」だと日曜の午後にやるようになって、いつも散歩でイヤホンしながら聞いていたので、とくに沖縄時代、八重山時代のあたたかな風と光の風景が思い出される。もう8年になるのだという。この8年の散歩道を振り返って、さびしいというより、何かを失うようで、かなしい。今日は特番(4月からの後継番組と発表された「×クラ」)のため、お休み。あと5回なのだというどこで何をしながら聴いているのか。

新型コロナウィルス(COVID-19)の「蔓延」について、今の報道ぶりは、ヒステリックで、新聞は1面、TVはトップで延々と、危機的な伝え方だ。水際作戦に失敗し、市中感染が常態となってきたので、そろそろ「〇〇県で、新たに〇〇人」のニュースは、陳腐化して、あきられるのだろう。

朝の8チャンネルで、橋下徹さんが、“ もう、あわててもしょうがない、撲滅はあきらめて、新型インフルエンザと同等にとらえて、学校を一斉休校するなど蔓延抑制の施策を行い、パニクラナイことが肝要である ”的な主張をしていたが、インフルといえば、アメリカですでに1万4000人が死亡している新型インフルエンザのほうがすごいことになっているので、あらゆるウィルスの防御と免疫力アップの一般的生活習慣を励行していきながら、ジタバタしないほうが、いいのかもしれない。アメリカと違って健康保険があるので、罹ったら治療に行けばいいことなのだが、全国的パニックで医療崩壊し、治療を受けたくても受けれない状況だけが心配だ。

プレジデントオンライン

そのようにアキラメル派に与したいのだが、すこし成り行きを見守りたいので、四国の旅は無期限延期とする。世の中が、かくも騒然としていると気が気ではない。ただし、来週はみゆきさんのラストコンサートなので飛行機に乗って会場まで行かなければならない。これだけは、(場合によっては、あと数週間以内にコンサートも中止になるかもしれないので)行ってこなくてはならない。どこにもマスクは売っていないが、家のものから3枚だけ融通をうけたので、1日1枚着用で出かけよう。

昨年春の北帰行も、北陸の深田久弥さんのところまできた。あと、2,3日で旅も終わりに近づくが、コロナの騒ぎが治まるまで、「そうだ、山を歩こう、山ならばマスクも必要ないし、思いっきりくしゃみをしても、一人歩きなら、どつかれることもない」。とりあえず、人ごみは避けて山を歩き、家にこもって深田さんも読んでいこう。幸い、家の書棚に昭和47年ごろ刊行されていた「山の文学全集」が12巻中、9巻残っている。

① ヒトが込まない、古き良き日本の山

② ヒマラヤ

③ シルクロード

深田さんの愛した山世界を、地図を広げながら読み進めよう。


北帰行 2019  4.10 石川県大聖寺 深田久弥墓参 

あたたかな雨がそぼ降る1日、深田久弥の生誕地で菩提寺でもある加賀市大聖寺を訪れ、お墓参りをし、深田久弥山の文学館で2時間ばかりを過ごした。花が舞う閑静な大聖寺藩十五万石の城下町であった。生まれた町に眠ることができて、深田さんも賢治さんもほっとしているのだろうか。菩提寺の本光寺というお寺が、賢治さんと同系列の法華宗だということも、オイラにとっては、何かの因縁か。

深田さんの菩提寺 本光寺前にて

深田さんの墓碑銘

「 彗岳院釋普宏 (戒名)

  1903年3月12日大聖寺に生れ、1971年3月21日茅ヶ岳に逝く

  読み 歩き 書いた

  妻 志げ子 」

と刻まれているようだ。(合掌)

68歳か、オイラも、もうすぐだ。爪の垢でも、「読み 歩き 書いて」いこう。

 

〇 銀輪に 濡れた花びら のせながら 深田久弥の 街を押しゆく   

〇 大聖寺 駅で調べた菩提寺の 坂のぼりゆく 花も持たずに   

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菩薩の姿

2020-02-22 05:10:09 | 日記

平凡社刊、別冊太陽「宮沢賢治」を借りてきて開いているが、いっぱい賢治のアルバムが載っていて、新たな発見があった。

昨年末の訪問で、大沢温泉に張られていた明治44年とする仏教講習会集合写真に映ってた夏帽の賢治は、少し幼すぎるので、2年ぐらい前の写真(12歳か13歳)ではないかと疑っていたが、別冊太陽に載っていた16歳の写真も「十分幼さをたたえている」ので、大沢温泉の集合写真の賢治は、盛岡中学3年、誕生日直前14歳の8月に撮られた写真に間違いがないと確信した。賢治は、中学はじめのころまでは、背が低く、童顔だったことが分かる。

賢治は、盛岡中学を卒業した18歳のときに島地の編著になる「漢和対照妙法蓮華経」に深く感動し、法華経に傾斜する契機ともなっており、14歳夏の大沢温泉での島地との出会いは運命的なものであろう。

この別冊太陽に載っていた賢治のアルバムで、最も好きになったのは、花巻農学校職員室での1枚である。多分賢治27、8歳、1923年(大正12年ころ)の写真だろう。最愛の妹トシを亡くした1,2年あとだろうが、賢治の生涯を照らして、「春と修羅」や「注文の多い料理店」を世に出したころの一番充実していたころの写真であり、自信に満ちて、溌溂として、やや微笑んで、賢治の生涯のうち最も屈託のない時間を過ごしているようだ。それにどうだろう、他の同僚たちも知的で紳士的ないでたち。当時の教師という職業の風格と知的レベルの高さが感じ取れる貴重な写真だ。

賢治は、法華経に出会った18歳のころから、自らを「修羅」として自覚しながら、詩人、童話作家、教師、農民芸術家、砕石工場技師(セールスマン)とういう職業や活動などを通して、この世に浄土=「春」をもたらす「菩薩の道」をめざししたのだろうが、肺疾患や当時の社会・文化情勢のため、道半ばに倒れたかのようでもある。しかし、「ソウイフモノニワタシハナリタイ」と望みながら、ナカナカナレナイことに煩悶しながら生きることが、すでに「菩薩の道」を歩んでいることにならないだろうか。「永久の未完成それが完成である」なのだ。

幼少期から「晩年」まで賢治の残された賢治の肖像を見るたびに、オイラは「菩薩」の姿を感じるのだが、少し偏愛しすぎだろうか。

 

大沢温泉に張られていた、1911年(明治44年)の島地大等を講師とした仏教講習会集合写真 

誕生日前の14歳

 

 

1913年(大正2)2月 誕生日前の16歳の写真  「別冊太陽」から

 

「別冊太陽」から

 

 


北帰行2019 4月9日、10日 滋賀県長浜市 余呉湖 向源寺 石道寺 鶏足寺

琵琶湖の北端に近い余呉湖の近くにキャンプをし、ようやく桜が開花した余呉湖を周遊し、翌日は、井上靖さんの「星と祭り」や白洲正子さんの著作で紹介されていた向源寺(渡岸寺)や石道寺、足を延ばして鶏足寺(己高閣)の十一面観音様を参拝、己高閣会館のお湯に浸かってさっぱりとし、琵琶湖を遠く眺めてながら、次の旅に向かった。

 

余呉湖

余呉湖

木之本周辺の河畔

 

湖北の民家

向源寺 十一面観音(国宝) 肢体、お顔立ち、宝冠のような十一の菩薩、バランスが整い完璧なお姿だ。

 

石道寺 十一面観音(重文)   「星と祭り」が言うように美人だ。

 

鶏足寺 十一面観音(重文) 飾り気のないお姿で美しい。

 

奈良時代から、庶民に信仰されてきた十一面観音菩薩。頭に十一の顔を持ち、ヒトの行いを諫め、怒り、笑い、慈しむ。観音菩薩様がお姿を変えたのだという。天台系の流れをくむとのことだが、叡山のふもとだからか。戦国時代は、織田、浅井の合戦で織田側の焼き討ちに遭い寺院が消失するなか、近隣の民が、あるいは土に埋め、あるいは水に沈めながら守り抜いてきたのだという。

 

 

〇 みずうみに さくらなのはな またさいて ぼさつのみちの はるけかるかな

   湖水に  桜菜の花 また咲いて 菩薩の道の 遥けかるかな

 

 

 

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