かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

一週おきの山 ~ 満月と新月を旅して

2020-08-29 14:15:02 | 日記

てっきり盆明けのころには日本国内に「再緊急事態宣言」が発令されて、またもやStay Homeが叫ばれ始めているのかと動物的予感をめぐらしていたのだが、どういうわけか何にも起こらず、却ってGo To Toravelキャンペーンに東京を入れる入れないの不思議な議論が交わされている昨今、アベサンまで敵前逃亡で退却、「コロナとの闘い」は、誰が防衛軍隊長なのかさえ分からない混とんとしたニッポンの令和2年8月があっという間に終わろうとしている。

 

されば、高齢者・高血圧・高血糖(精密検査中)と感染重症化リスクが高いカテゴリーに属する三高の身でありながら、ままよ、命ある限り山旅に出かけようではないか。なんの法的、倫理的制約も受けず、ただ自己責任があるだけの自由国ニッポン。

 

8月第一週の立山は、満月が迎えてくれた。立山山頂権現さまのお社より月光菩薩さまが光の輪を輝かせ、立山を水源とする浄土沢の流れが輝きだしたころにはあまりの神々しさと美しさに心を奪われた。

「この世が浄土だ・・・・」

 

      

 

家に帰って1週間、その浄土の星や花の写真を整理して、盆明けの翌週、今度は奥日光に出かけたら満月からちょうど2週間、月齢は新月期を迎え、漆黒の森に天の川銀河が燦然と輝いていた。

「この世も浄土だが、あちらの世界も美しい・・」

    

 

 

家に帰って1週間、あちら世界の整理を行い、来週はどこに出かけようか考えていたら、9月2日は、もう満月ではないか。沖縄では、旧盆だ。昨年は、御嶽山上で火山犠牲者らと酒を酌み交わしたな。

「そうか、こうやって1週間おきに出かけていれば、真ん丸お月様と輝く天の川の瑠璃光世界に旅できるんだ。秋までこの調子でいこうか。」

 

と、あちこちの地図を広げているが、来週10日間天気予報で晴天の場所は相当狭められてきたし、台風9号がやってきた・・・どうなるか、月光菩薩さまの浄土世界はいずこ。

 

 

 

 

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湯元スキー場在住の200頭のシカさんたち

2020-08-27 10:32:46 | 日記

奥白根を登り終えて、湯元スキー場に降りてきた夕刻に驚いたこと、何と広大な斜面のあちこちにシカのファミリーが、三々五々スキー場の草を食んでいた。写真を撮り損ねたが、200頭前後はいただろうか。

リーダーが警戒音を上げると、ファミリーがいっせいにこちらに視線を向けたが、大方は、すぐに逃げるのでもなく、こちらが大声で反応しても、しばらくは警戒をしていたが、また何事もなかったように草を食み始めた。この場所は、彼らの夕食会場としての大広間だったのか。

 

奥白根の山上では、大きな針葉樹の樹皮がヒトの背丈以上の高さまで無残にはがされていたのを何度も目撃して、はじめクマの爪立のせいかなとも思ったが、きれいに剥がされていたで、これはシカたちが冬場に食材が不足してので食べたのだろうと分かった。木の皮を上手に剥いで、かたい樹皮の内側の柔らかいところだけ上手に食べたようで、樹皮そのものは開いた花弁のように残されていた。翌日歩いた戦場ヶ原では、あちこちに木の幹に金属ネットが貼られていたが、このようなシカの食害から樹木を守るためのものだったと理解した。。

さらに、奥白根の山上を歩いて、この季節にしては高山植物の種類が少ないことが気になっていた。ハンゴウソウやマルバダケブキが群落をなしていたが、あるいは、それ以外おおくの植物がかつて繁茂していたのかもしれない。湯元スキー場で保護されていたヤナギランは、「かつてはスキー場に繁茂していた」と説明表示されていたが、この草もシカたちの食材としてお腹に消えていったものではないだろうか。

シカの増加が、山の風景そのものを変えようとしているのか。シカに罪はないのだが、ヤナギランの咲き匂う草原を歩きたかった。

スキー場で、たまたま目にした数で「あれだけ」だったので、この山域に暮らすシカの数は一体どれだけなのだろう。山のあちこちでシカの鳴くのを聴いたし、観光地化し、大勢のヒトで行きかう龍頭の滝の近くの草むらでも、まるで奈良公園のシカよろしく、まったく警戒しないで草を食むヤツもいた。、戦場ヶ原一帯を取り囲むようにシカ防御ネットが張り巡らされていたが、もう環境省の税金によるシカ防御ネットでは限界だろう。トランプの国境の壁みたいなもので、金をかけても根本原因解消とはならない。

増え続けるシカを抑えることはできない段階に来ているようだ。今の世は、完全に生物界のバランスを欠いたフェーズに至っているようだ。

歩きながら、ふと思った。「本州には、オオカミやヒグマのような天敵がいないので、増え続けているのだろうが、どうしてマタギに代表される猟師が捕まえるなどして、日本のヒトはシカを「積極的に」食べてこなかったのだろう。クマよりも絶対捕まえやすくて、おいしいだろうに・・・シシナベ(ボタン鍋)やクマナベは聞くが、シカナベ(モミジ鍋)はあまり聞かない。」

この、伝統的食文化の問題は、「賢治の鹿踊りのはじまりなど参考にこれから調べてみることにして」、ならば現代において、ジビエ文化を興隆させることも目途として、地域の自治体がシカの捕獲を押し進め、シカの個体数をコントロールすればいいのに。(シカに罪はないが、オイラは賢治のようなベジタリアンではない。)

そういう疑問を抱きながら、奥日光の森を歩き続けた。

 

     

       おまえに罪はないし、お前を見てもよだれが出ないのだが・・・分かってくれ

 

 

 

家に帰って、山村に暮らす気鋭の若者たちが、少なからず果敢にもジビエ文化の盛り上げに参戦していることがわかったが、「ああ、これだ」という文化の発展に重大な阻害要因があることが分かった。

・・・・・・・・福島第一原発・・・。

栃木県の放射能汚染調査

 

捕獲肉の出荷が制限され、自家消費の制限があったのか・・・ 。ゲンパツというやつはどこまで罪深い存在なのか。ますます、罪のないシカやシシは増え続け、山岳の植相風景は変わっていくのだろう。そして、これからも永く日本のヒトの食文化に「シカ」はないのだろう。

(ツキノワグマやニホンザルの人里跋扈は、ちょっと次元が異なるのだろうが、どこかでつながっているのだろう研究しよう。彼らに罪はないのだが。)

 

 

 

                       

                      奥日光高山1667.5m山頂の木立からちょっとだけ顔をのぞかせた奥白根山

 

 

 

 

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奥日光散歩 ~ 湯元から龍頭の滝

2020-08-25 16:10:16 | 日記

奥日光の山を登ったのは、男体山と女峰山、そして奥白根山が2回だけで、男体・女峰の子供たち、大真名子山(2375m)、小真名子山(2323m)、そして(異母兄弟か)太郎山(2367m)の山々にはいまだ登っていない。

いずれも、標高が高く、大真名子は関東5位、太郎は6位、小真名子はわずかに東北1位の燧ケ岳(2356m)に及ばぬが、男体ファミリー皆「ただものではない」のである。みな火山のなごりゆえ、円錐のてっぺんはさぞかし眺めがいいのだろう。登る価値あり。

50代の元気な時だったら、志津小屋などに一泊して2日もあれば、子供たちのてっぺんに登ってしまったのだろうが、今はそんな力はないか。

実は今回、奥白根を登った翌日に太郎を「征服」しようかなとももくろんでいたが、前日の13時間行動で、あえなく却下。二日間奥日光の散策路の「自然観察」に切り替えた。(シルバー向きとは言わせない)

一日目は、湯ノ湖から龍頭の滝まで歩いてバスで昼には帰る。

二日目は、バスで龍頭の滝まで行って高い山に登って湯元まで歩いて帰る。いずれも6時間程度ののんびりコースを楽しんだ。(やっぱ、シルバー向きだよな。)

登る山があっていいように、山々を眺めながらゆっくり歩く道もあっていい。湯元と中禅寺湖のあいだの奥日光には、標高1500m前後に、さまざまな歩道が整備されている。昨年までなら、外国語も飛び交って騒がしかったろうが、「来年くらいまで」は静かな「自然観察」用の道を歩けそうだ。次回は、花だけではなく、虫や小鳥たちともじっくり向き合えばいい。

 

・・・・・・男体の子供らを訪問する機会は、あたためておこう。

 

 

 

 

 

     

 小田代ヶ原展望台より男体山ファミリー 

 左から太郎、小真名子と大真名子の間にお母さん女峰が科をを見せて、一番右にお父さんの男体山

 

 

スライドショー

 

 

吉松隆を奏でる田部京子さんの音を楽しみながら歩こう(マリンスノーさんのYoutubeから)

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ふたたびの山・奥白根

2020-08-24 15:42:08 | 日記

家にあった昭文社・山と高原地図「日光」は2004年版だから、たぶん、2004年に石垣島に住んでいた時に男体山と奥白根山を登るために購入した時のだろう。

記憶が薄れたが、当時は深田百名山歩きも年中行事のように行っていたので、海で遊んでいればいいのに、飛行機に乗ってのこのこやってきたのだろう。ダイビング用の大型キャリアバックに登山だのキャンプ用品だのを詰め込んで、前夜中禅寺湖温泉の民宿に泊まり、翌朝は荷物を預かってもらい、二荒山神社中宮から男体山ピストン、降りてきてバスで湯元のキャンプ場へ移動し、翌日に奥白根にもピストンしたのだろう。とにかく元気だった。マラソンにトライアスロン、トレランまではじめて「疲れ知らずだった」50代前半。(シゲシゲと回顧)

当時は、山と高原地図のコースタイムの7・8掛けはアタリマエで、花も昆虫も山岳展望もあまり眼中になく、ただただ馬車馬のごとく歩いていたのかもしれない。

そして16年後の2020年、再び日光湯元のキャンプ地から奥白根山を登ってきたが、途中弥陀が池から五色沼に降りて、コースを大きく迂回し、やれ花だ展望だと休み休みした結果とはいえ、7~8時間のコースを13時間かけて、日の暮れる寸前にテントに戻った。行きは大勢に追い越され、帰りは誰も見かけなかった。われながら、体力低下は甚だしいと自覚した次第である。

しかしながら、奥白根に関しては、16年前の記憶はほとんど失われていて、山頂のごつごつとした岩肌ばかりしか思い出に浮かばなかったのはどうしてなのだろう。スキー場から外山鞍部までの急坂もいやな急坂だったという記憶がないし、前白根から山頂までの長いアップダウンも、「外輪ルートは、こんなにきつかったか?」と驚くほどだったのである。

「ガスっていて展望もなかったか、花も、樹木も、鳥も昆虫も、山岳展望も何一つ記録しないせいですごしたその当時の行動の結果だ・・」と考えてはみたが、前白根に立ってみて、五色沼の美しさや、奥白根の威容はよみがえってきたので、天気のせいではなく、記録のないことはその通りだが、百名山の実績ばかりに囚われて、頂上を踏んだら達成しましたとばかり、山をじっくり噛みしめないまま下ったことが原因ではないかとの結論に達した。

それに、今回の13時間のように山で苦労したら記憶にも残ろうが、当時の体力では、ものの6,7時間で往復できただろうから、山での滞在時間も、記憶の薄さの原因となっていよう。

いずれにしても、関東一の標高と幾たびもの火山を繰り返したと思われる複雑な地形は、そんなイチゲンで終わる山ではなかったと自覚した。湯元から、菅沼、丸沼登山口方向にバスも走っていることも分かったし、前白根から「白根隠山・2410m」への魅力的な展望ルートもあることも分かった。

麓に避暑地を兼ねた温泉隣接のキャンプ地があるので、再びのみならず、三たび、四たびと、この山域に足を運ぶ価値はあるのだろうと、思いを新たにした。雪解けが早そうなので、天気さえよければ、夏休み前の、もう少し早い時期がベストなのかもしれない。

それにしても。このふがいない体力。もう一度ランニングを初めて、階段登りを日課にして、体重を下げて、50代には戻れなくても、山と高原地図「標準タイム」で歩けるだけの体力までにはもどしておこう(と、誓った)。

今の楽しみは、花鳥風月を慈しむための「自然観察」。体力に余裕があれば。標準タイムの倍を使って歩いても何の不安もないのだが、今回のように、13時間かけてフラフラでの帰還では・・・・・いけない。

 

 

 

    

山頂に「白根山」、「日光白根山」とあり、正式名称である「奥白根山」との表記がない不思議。この山は、上州のヒトビトの信仰の山でもあって、上州側からだと堂々と前面に見えるので「奥」とは言いたくないのだろう。

たしかに、交通の便利な観光地「日光」方面からは、山の全容が拝めず、信仰の山男体山の奥の院の風情があるので、奥白根と名がついたのだろう。

今度、上州側から堂々とした山容を望んでみたい。雪の付いているときは、それこそ立派な「白峰」なのだろう。

 

    

前白根の崩れやすい砂礫地に「真っ赤なコマクサ」が「生息」していることは知らなかった。どうしてここだけ、こんな色を残して生きてきたのか。

知らないと踏んずけそうな登山ルートの傍らに健気に咲いており、ちょっとした地殻変動ですぐうずまりそうな急峻な砂礫地帯。環境省の立ち入り禁止のロープも、注意喚起もない。(へたにアナウンスすると採取されるというのか)

何千、何万年の命のリレーに思いを寄せると、目が熱くなる思いだった。もう2、3週間早ければ、もっと美しいのだろう。「真っ赤なコマクサ」ガンバ!

 

 

スライドショー

 

 

 

今日は、ホロヴィツのシューベルトを聴きながら(PianhoroさんのYoutubeから)

 

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奥日光の星空

2020-08-23 15:34:52 | 日記

奥日光湯元からの星空をスライドショーと微速度撮影のスロー再生にまとめてみた。

四晩とも晴れて星空が望めたけれども、一番輝いていたのは初日の夜と翌朝。

「明日は、奥白根登山があるから」

と、湯ノ湖に架かる天の川と星々を映す湖面の絶景を撮れなかったこと、

シャッター時間とISO感度をあらかじめ設定する星空の微速度撮影は、天文用語の「天文薄明」というわ

ずかに明るくなり始める時間帯を外すという鉄則を守り切れず、カメラが敏感に光を察知し、撮影途中から

白く飛んでしまう、という失敗をしてしまったこと、

など反省点が何点かあるが、昼間の行動と夜間の行動で「一挙両得」しようともくろむ魂胆自体が、失敗の

オオモトなのだろう。

今年は、特別に空いていたのだろうが、奥日光の湯元キャンプ地を拠点にしての星空撮影は山や湖沼もあっ

て「お気に入りポイント」に加えよう。

次は、男体山・大真名子・小真名子・女峰・太郎などの日光連山に輝く星空と行きたいところだが、戦場ヶ

原や小田代ヶ原からでないととむつかしいので、「昼間の行動はやめての徹夜」が必要だろ。果たして、こ

れから、その機会があるか・・・・(要は、心身の若さというやつで)

 

 

 

 

 

 

 

 

       

                  湯元キャンプ場から天の川と木星&土星

 

 

スライドショー

 

 

 

キャンプ場からのオリオンと金星の登場

 

 

 

 

湯ノ湖からのオリオン登場

 

 

ビル・エバンスを聴きながら       (Youtube B.Blueさん)

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