かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

秋のそら 秋のくも 秋のいろ

2022-09-27 14:58:07 | 日記

夜明け、南西の空を見上げると、茜色に染まった朝焼け。「ああ、秋だ」「ひつじぐも?」

くもの姿は、高度の高い順から、「巻雲」⇒「巻積雲」⇒「巻層雲」⇒「高積雲」⇒「高層雲」に分類されるというが、秋の代名詞の「鱗雲・うろこぐも」や「鰯雲・いわしぐも」は、高さ5千以上の「巻積雲」だ。

今見えている「高積雲」分類される「羊雲・ひつじぐも」は、もっと低い位置、2千くらい。

今朝のTVで、空に人差し指をかざして、指に雲が隠れれば「巻積雲」、指の大きさをはみでれば「高積雲」と教えられた。「羊雲」は、たしかに指に隠れない。

なぜか「鱗雲」、「鰯雲」、「鯖雲」のいわゆる「魚系」は、「高い空」と同じように秋の季語となっているが、「羊雲」はどの季節の季語を探しても見つからなかった。

「朝見えていた雲は、秋の雲ではなかったのか、第一印象は秋だったのに、である。」

「このところ空を見る機会が減って来たな・・・感受性とやらが・・・・減退・・・」

大気層が澄んできた。首が痛くなるくらい、空を見上げよう。何かが降りてくるかもしれない。

 

    

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秋のうつしき生きものたち 2

2022-09-23 12:14:15 | 日記

     

野草園の一角に、キンポウゲ科サラシナショウマの白い穂が風にそよいでいた。

「今頃咲いているんだ。」

この春、食べ物としていただく、あたらしい山菜の仲間として、

① ユキノシタ科トリアシショウマ(鳥足升麻)

② バラ科ヤマブキショウマ(山吹升麻)

の若芽に出会ったが、この

③キンポウゲ科サラシナショウマ(更科升麻)

とあわせて、花の違いをしっかり覚えたただろうか。みな、微妙に花の時期を異にするものだから、よく比較もできないまま、あっというまに1年が過ぎようとしている。

「だいいち、升麻という言葉の意味だって分からんだろう。」

と天の声が聴こえたので、図鑑の解説を読むと、「升麻」は、その根茎を解熱、発汗、解毒に効用があると漢方で用いられた植物で、本家はこのサラシナショオウマをいうのらしい。

それぞれ分類は異なるが、みな静かな深山に生育し、地味ながら白い房のような花をつけて、葉の様子も3出複葉で似通っている共通点が多いことから「升麻」の名がつけられたのだろう。残念ながら、このサラシナは口に入れていないが、薬用になるならないにかかわらず、みな日本人が山菜として食べてきたようだった。

食べることだけ興味を持って、花の違いや生態を良く調べてこなかったことを悔いる。

「食するばかりでなく、もっと、知り合った植物たちによりそいたい。」

「また、来年があるさ。」

「どんどん、年老いていく・・。」

 


世界中の人が、あの女王の身に着けていた宝冠や宝石類の大きさや豊富さや輝きに目を奪われただろうが、「賢治信者」たるものは、こころのうちにいつも「注文の多い料理店・序」を経典のように復唱し、野に出向くべきであろう。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、にじや月あかりからもらってきたのです。・・・                         (青空文庫から拝借・新字新仮名)

 

 

野草園2022.9.21(賢治祭の日に)

キク科ナンブアザミ

 

 

キク科フジバカマ

 

 

フウロソウ科アサマフウロ

 

 

キキョウ科サワギキョウ

 

 

ハマウツボ科ナンバンギセル

 

 

ユリ科タチシオデの実

 

 

スイカズラ科カンボクの実

 

 

シソ科キバナアキギリ

 

 

ユキノシタ科キレンゲショウマ

キレンゲショウマの花芯(ダイソーマクロレンズ)

 

 

野草園のハギたち

 

 

ブナ科クヌギの実

 

 

クマツヅラ科クサギの実

 

 

マメ科キササゲの花

 

 

フウロソウ科ゲンノショウコ

 

 

ミソハギ科ミソハギ  盆に添える精霊花(ショウリョウバナ) 母と賢治さんに捧げる

 

 

ヒガンバナ科ヒガンバナ  彼岸に添える曼殊沙華 賢治さんと母に捧げる

 

 

イネ科ススキの花

 

 

リンドウ科オヤマリンドウ エゾリンドウとの区別がよくわからんので、オイラは、エゾオヤマノリンドウと呼んでいる。

 

 

秋の、宝石のような花や実を眺めていると、それぞれの物語が生まれそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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秋のうつくしき生きものたち1

2022-09-22 12:38:23 | 日記

少し晴れたので、7月末以来となる野草園を歩く。朝の寒さにやられたのか、もう首筋や足元をなやます蚊の仲間は気にならない。もう、ツクツクたちセミ一門の声も途絶えた。鳥たちも騒がず、都市の一角の緑地は、あくまでも静かだ。冷たい風を受けると、なんだかさみしい。

萩まつりの期間だというが、もう盛りを過ぎているのだらろうか。公園自体が萩色に燃えていない。ミヤギノハギを中心としたうす桃色と大好きな白萩が、この時期秋風に鮮やかな彩色を揺らしているはずだが、全体にややくすんでいる。

「取り立てて、萩を見に来たわけでもないので・・」とうそぶく。ことしは、アジサイの盛りも見逃した。

 

うつくしい生き物を発見した。山ウドの大きな葉の上に、同じ緑色でじっと動かない生きもの。葉を食べるのでもなく、翅をふるわせて鳴くのでもなく、天敵を恐れるのでもなく、ただただひたすらじっと動かず時を過ごしている翅の付いた足の何とも細く、後ろ足がとても長い生き物。明らかにバッタの仲間だが、すぐに名前が出てこなかった。(家に帰って調べると、キリギリス科ツユムシ亜科アシグロツユムシ♂♀不明、と分かった。)

姿かたちといい、ふるまいといい、オイラはこのようないきものが好きだ。かみさまは、なんと美しい姿をこのいきものに与えたのだろう。霜が降りる頃には、もうこの世にいないのだという。昆虫にまぶたはないので、眠っているのか、眼を開いて待機しているのか、何を考えているのか分からないが、昼間こうして、葉の色に染まった体で体を休め、天敵をやり過ごし、暗くなったら次の世代への命のリレーに頑張るつもりなのだろうか。

 

    

    

ツユクサの蜜を吸ううチャバネセセリ

マツムシソウの蜜を吸うヒョウモンチョウの仲間

ゲンノショウコに寄って来たハナアブの仲間

ツユムシとおなじこの秋だけのいのちたちに会うことができた。みんなにガンバレといいたい。

 

    

 

    

 

    

 

 

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賢治祭の日に

2022-09-21 10:26:59 | 日記

「寒いっ」という言葉が思わずもれる。台風14号が去った、昨日の午後から。台風一過は、南からの温かい空気を運んでくるという既成概念は覆された。北西から冷たい空気の一団がやってきた。当地の、今朝の最低気温は13℃とか。1000m以上の高所では、にわかに紅葉が進んでいるだろう。はやくも月末から来月中に向けて、東北の山々は錦秋の時を向かえる。さて、今秋の赤や黄の彩度はいかがか。出かけてみようぜ。

本日、9月21日は賢治さんの命日。普通、文人の忌日は「〇〇忌」という言い方をされるが、賢治さんは、「賢治祭」という愛称で、花巻市民の年中行事となっていて、あちこちでさまざまな催しが行われている。その方がいい。亡くなる二日前の9月19日夜に詠んだとされる絶筆二首のうち「方十里稗貫のみかも 稲熟れてみ祭三日 そらはれわたる」のように、まさに「忌む」というよりは、「祝祭」という感覚の方が、賢治さんの偉業に対してふさわしいような気がする。賢治さんの生涯は、まさに黄金色の収穫祭である。

おととしだったろうか、コロナ禍の初期段階で「賢治祭」の主要行事が中止されているなか、いまや北上川の水底に沈みかけてなかなか現れないというイギリス海岸を浮き立たせようと、上流の数カ所のダムの放水を止まるなどの調整をする試みがあるというので、勇んで出かけた。その日は、結局往時のイギリス海岸を踏むことはかなわなかったが、北上沿いを歩いて桜町の賢治詩碑を訪ねて、いい秋の日を送った。

今年は台風14号の影響で、このイギリス海岸の催しは中止となっている。よほどの渇水期でないとこの先実現不可能であると考えられるが、オイラの目の黒いうちにもう一度あのイギリス海岸を目にして、できるなら、またあの柔らかな泥岩の河床に立って賢治さんや花巻農高の子供たちを偲びたいと思っている。

また、命日に先立って、あの歌「み祭り三日」と賢治さんが歌った花巻市鳥谷崎神社の祭事「花巻まつり」の祭りの神輿も見てみたい。2年ほどコロナで中止されていたようだが、今年は9月9日、10日と2日に短縮されたが催されたようだ。

「賢治さんの没年が1933年なので、来年は「没後90年」なのではないか。来年9月は、「花巻まつり」、「賢治祭」、「イギリス海岸出現チャレンジ」に出かけ、オイラの「賢治アニバーサリーイヤー」にしていこうか。

ことしは、まだ賢治ゆかりの場所に行ってないのはさみしいが、イ―ハトヴ学会からの知らせで、来月末に奥州市で賢治の生涯を描いた映画が初上映されるというので、さっそくチケットぴあでチケットを購入した。せっかくだから、一ノ関、水沢、そのあたりの賢治さんゆかりの場所をあわせて訪ねてみようか。「経埋ムベキ山」も残っている。

 


 

賢治さんの命日に花や生き物たちを捧げよう

カライトソウにアキアカネ(乳頭・田代平)

ゴジュウカラさん(乳頭)

エゾオウヤマノリンドウ(乳頭・田代平)

キツリフネ(富士山麓・富士吉田)

フサフジウツギの蜜を吸うヒョウモンの仲間(富士山麓・富士吉田)

 

 

 

 

 

 

 

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御坂峠の太宰治碑をたずねて

2022-09-17 20:27:49 | 日記

太宰治の「富嶽百景」の舞台となった天下茶屋の建つ山梨県の御坂峠には、太宰治の「富士には月見草がよく似合う」の文学碑が建っている。

旧御坂トンネルに向かって左、御坂峠への登山道への階段を10数段ほど登り、少し平坦になった富士の良く見えるところにその石碑が建てられているのだが、トンネル入り口や天下茶屋には何等案内板らしきものがないので、太宰に興味のないヒトは知らずに通り過ぎるのだろう。

オイラも、ネットの情報がなければ、危うく見過ごすところであった。

その碑であるが、なりは立派だが、訪れる人も少ないのか、天下茶屋さんや山梨県の公園整備課(そんなところがあるか不明だが)もあまり整備、維持に関心がないのか、苔むしていて、風化も進み、「富士には・・」の刻印も、よく読み取れないというありさまだった。

 

     

この太宰碑も、全国にある芭蕉句碑などと同じように時の堆積物に埋められつつあるのだろうか。

碑の裏面(碑陰というのだそうだ)に、この碑の建立の発起人代表だという井伏鱒二さんの銘文が刻まれている。よく読めなかったので、写真を撮ってきて「解読」すると次のような言葉が記されている。


 

     

惜しむべき作家太宰君の碑の為に記す

太宰君は昭和十三年秋 偶々この山上風趣の爽快に接し 乃ち 峠の草亭に仮寓して創作に専念

厳冬に至って坂を下り  甲府に僑居を求めて 傑作富嶽百景を脱稿

碑面に刻む筆跡は その自筆稿本より得た

昭和二十八年

井伏鱒二


草亭の「草」など、一部解読困難な文字があるが、概ねこのような内容である。表は、太宰くんの自筆だというが、風化が進んで読みにくいのが哀れでもある。(井伏さんは、天下茶屋を目の前にして草亭などという言葉を用いるのだろうか、まちがったら堪忍)

「なんだ、太宰くん ここから望む富士って なかなかいいじゃないか、とくに雲が切れてちらりと姿を見せ、すぐまた掻き消えるなんてなんて、諸行無常、もののあわれ、いいのではないのか・・」

   

と 言い残して階段を下りた。もう二度と、ここに立つことはないだろうと思いながら・・。

 

 

天下茶屋の周りや、そこに至る道端には、月見草(マツヨイグサの仲間)が全く見られなかったのが残念無念。

だが、道すがら、ヤマハギのうす桃色と、クサボタンのうす紫のつぼみたちが、富士に喜ぶようにつぎつぎと花を咲かせていた。あのとき、バスの中で老婆が「あら、萩」とつぶやいたら、「富士には萩がよく似合う」となったのではないだろうか。

 

   

   

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