青葉の森で生まれ育った野鳥のオオルリは、たとえ秋の訪れとともに遠いインドシナなどの南国に旅をしても、春の訪れとともに何千キロという大飛行の苦難を顧みず、ふるさとの青葉の森におおむねピンポイントで帰ってきて、(これは推測だが)親鳥たちは5年のという短い寿命のうちに同じパートナーと幾度かの子育てを体験し、前年に生まれた子供たちは、新たに縄張りをこさえて新しいパートナーを探すという試練に挑むことになるのだろう。
何かの図鑑で読んだが、オオルリの♂があの鮮やかな青い鳥になるには、1年以上を要すということで、あるいは1歳で恋をするということではないのかもしれないが、いずれにしても5年という天寿の間に、ふるさとで複数回の子育てを行いながら子孫を繁栄させていくのではないだろうか。
子育てのための巣を外敵から守るために、あんなに体を張って警戒・威嚇音を発する姿を見て、ふるさとや家族を命がけで守り抜くという姿勢をウクライナ兵と重ねるのは、やや牽強付会なのかもしれないが、あるいは帰郷と防衛は生物共通に備わった本能なのかもしれない。
青葉の森をふるさととして、誰から教えてもらうのではなく、本能の力でこの森で命をつないでいる仲間は、なにも野鳥だけではないのだろう。
青葉の森の小道を、この季節に歩いていると、チョウの仲間が花の周りを飛び交うのではなく、暗い茂みの周りをなにやら探しものでするかのように忙しく飛び回っているものや、草の上に長いこと留まってじっとして動かないものを目にした。
この黒いアゲハは、ミヤマカラスアゲハと目されるが、写真の「羽状・互生」の細長い葉を規則正しく広げていたが、この樹木の周りを盛んに舞っては、時々葉に止まるという行為を何度か繰り返し、またどこかに飛び去って行った。
この地味な黒色をした中型のチョウは、翅を広げてくれなかったが、翅裏の紋様からクロヒカゲと目されるが、しばらくクマザサの周りを舞っていて、ササの葉って、なんかすべすべした葉の表面なのだが、起用に止まってじっとしていた。
家に帰って、図鑑をひろげてミヤマカラスアゲハさんとクロヒカゲさんの説明を読んでいたら、「ああそうか」と合点がいった。
カラスザンショウはミヤマカラスアゲハさんの「食草」のひとつであって、クマザサはクロヒカゲさんの「食草」のひとつ。「食草」って、そう、成虫となったチョウが卵を産み落とし、孵化したケムシくんやアオムシさんたち幼虫の大事な食べ物を提供してくれる植物たちだ。
「そうか、あのミヤマカラスアゲハさんやクロヒカゲさんたちは、♀のチョウであって、卵を産みつける場所を探したり、あるいはもうその仕事は終わって、彼女たちのふるさとの草の匂いを嗅ぎながら、しずかに余生を送っているのかな」
そんな推定をしてみた。
しかし、図鑑を眺めると、チョウたちの仲間は、見事といっていいほど「食草」が種族ごとに異なり、どこかでいわゆる住み分けをしているようでもあり、それが一定の植物に集中しないことから植物たちの絶滅を防いでもいるし、あわせて一属の子孫を生きながらえさせているなと感じる。チョウというなかまにも人知を超えた知性が感じられる。
カラスザンショウなんかサンショウと同じミカンの仲間だが、この広い森で目たらやたらに生えている植物ではないし、生まれた場所とおなじ個体の草本だけに集中するとその個体は持たないだろうから、また別のミカンの仲間を探さなければならないだろうに、あの小さくか弱そうな生き物にどうしてそんな探知能力が備わっていたのだろう。謎である。
オオルリくんたちの5分の1ほどしか命の時間を与えられず、かつ、その多くの幼虫たちが野鳥たちに命を捧げてくれているチョウのなかまにも敬意を表しなければならない。
青葉の森をふるさとにする愛すべき生きものたちに教えられることは、日に日に増えていくようだが、知れば知ったで謎もまた増えていく。
ダイソーさんの110円マクロレンズで素敵な1枚が撮れました。小さな羽虫に花粉を提供して別の個体に運んでもらおうとするハルジョンさんのこちらも子孫繁栄のための知恵です。
チョウも、ヤチョウも、ハナも、ウクライナのヒトビトも、みんなみんな命を懸命につなごうとしている・・・。