志賀高原の秋の深みの中で喘いだ1日の終わりに、ヤフーニュースで田部井淳子さんの死を知った。闘病のなかでも、明るさと希望を語り、行動しつづけた福島弁の抜け切れないお母さんに、「天晴れ」と快哉の拍手を送りたい。東京への行きかえりの飛行機で読んだ浅田次郎さんの「つばさよつばさ」で人生の長さについて語られていた。大方はもう忘れたが、経験値の大きいほど、つまり年を重ねれば重ねるほど、物事が分かりきってきて、さしたる感動のないまま時を費やし、単調な日常生活を送ることによって昨日もおとといも同じような感覚が、今年も去年も同じようなことと感じることによって、年をとるほど人生の時間が早く進む感覚にとらわれるのではないか・・・そんなことは、浅田さん一言も言っていないが、そのような「ニュアンス」のようなことを語っていた。
さすれば、田部井さんの人生は真逆。世界中の山と「格闘し」、さらに世界中の山をあこがれ、加えて、環境問題や被災地の子供応援登山など、やってみたいことを、もちろん自分の大好きな山に関してではあるが、提案し、実現に向けて行動していく姿勢。ああ、何と田部井さん人生を長く長く感じたことだろう。いや、短く感じなかったことであろう。まだまだ人生の奥には未知の奥行きがエンエンと続くと思いながら生きていたのだと思う。そんな田部井さんにうらやましくも思うと同時に、オイラもそんなに長くはないのだから田部井さんに少しでも学ばなければと思う。
次元は違うと思うのだが、志賀高原エクストリームは、ビリから3番目ながらも15時間で長い1日を完走することができた。ほんとに1日という時間、55kという空間がこんなにも長く、エンエンと続くものだという意識のまま1日を送ることができた。充実という言葉は、陳腐なのだろうが、そのような日々を、毎日、毎日続けることができたのなら、「永遠の奥行き」が垣間見えるのだろう。
参加しないヒトは「バカ」と思うかもしれないが、人生の短さ囚われビトの処方箋だと思ってください。
秋の彩りの一こま。こんな未知を歩き、こんな色彩にめぐり逢えた。
コルンゴルトのバイオリン協奏曲で瞬きのように過ぎてゆく濃密な季節を感じ入ろう。1楽章でいいから聴いて眠ろう。
https://youtu.be/whj_cZ_hRFk