かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

スノームーンのスピリチュアル

2024-02-25 17:47:13 | 日記

今日は日曜日。日曜日朝のルーティンとして、家を出て100mほど歩いたところにあるコンビニに「毎日新聞」を買い求めに行く。毎日の日曜版は、大きなクロスワードのほか、少しむつかしい数独やスリザーリングなどのパズル類が他紙以上に充実していて、午前中は、このパズルをやりながら過ごすことを楽しみにしている。

そんな些細な楽しみのため、6時過ぎにそのコンビニのドアを開け、いつもどおり新聞コーナーに目をやると。なんと新聞の棚は「空っぽ」!。出てきたいつものスタッフに新聞がまだ届いていないのか尋ねたところ、なんとこのコンビニは今月28日をもって「閉店」し、今週は新聞が来ないとのこと。(ガックリ)

気が付けば、この数年の間に近所のバス通りからスーパーや小売店、飲食店、などが次々消えており、小売業の先端をいくコンビニも立地によっては経営状態がそれほどでもなかったかもしれない。(ここは、駐車場がせまいのがひびいたか。)

さて、同系列のコンビニは約500mほど坂を下ったところにあり、来週からそこまで足を延ばして毎日日曜版を買い求めにいくのか、これを契機に購読を止めるのか・・・どうでもいいことかもしれないが、思案のしどころだ。

こんな話題は、些細なことだが、個人的には気が滅入ることには間違いない。この朝の、サンデーモーニング、サンジャポなど報道番組は、自民党の裏金犯罪問題、ロシア反体制活動家ナワリヌイの獄死(暗殺)、ウクライナの戦況悪化、共和党予備選のトランプの優勢など耳にするのも嫌になるよなニューズばっかり。株高なんて無縁だし、日銀総裁のインフレ発言は、年金生活者がますます取り残されていく予感にがするし・・・・・朝からイヤな話題バッカ。

 

    

    

 

昨夜は、この一年で一番小さな満月が現れるという「スノームーン」の夜で、よく晴れていたのでしばし眺めていた。この世界のイヤなことは、月を見たり星を眺めたりしていれば、少しは慰められる。

ネットから教えてもらったが、「スノームーン」のスピリチュアル的な意味は、

(1)自制心が生まれる

(2)心身のバランスが整う

ことだそうだ。このところの「憂さ」が、酒量の増加、肥満、高血圧など、このところの不調の原因になっているのではないだろうか。昨夜の、スノームーンを契機に、すこし改善を図ろう。明日から。

 

     

 

それにしても、ナワリヌイは美しい青い眼の色をしていたな。あんな自らの命を顧ない鉄の意志を持った活動家はいなかったようだ。プーチンは、彼を恐れたのだろう。それにしてもプーチンといい、ネタニヤフといい、トランプといい、不条理な男たちが威勢を張るイヤな時代になったもんだ・・・心身の不調は治まりそうにないか。

月よりの使者「月光仮面」はまだ来ないのか、スノームーンに聞けばよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ツツピーたちを聴く日も近いか

2024-02-24 17:32:10 | 日記

スプリングエフェメラルたちが目を覚ます早春の森を歩いていて、シジュウカラやヤマガラさんたち、オイラがツツピー属と呼んでいるカラの仲間たちの高らかな囀りがあちこちから聴こえてくるときほど気分が高揚することはない。「ああ、ことしも春がきたんだなぁ」と。

二月もすでに後半だ。これから1週間は、いわゆる「寒の戻り」状態で予報は最高でも10℃を超えないが、三月に入って少し暖かな日がやってくると、今年もそういった高揚する場面が訪れるだろう。そうだ、そんな日にはウグイスさんもたどたどしい初鳴きを聴かせてくれるだろう。

西公園を歩いていたらそのシジュウカラさんの小グループがスズメさんの小グループが混在して、雪の混じった草むらを盛んに飛び歩いて何かをつついて探しているようだった。しばらく観察していても分からなかった。

撮って来た動画でも分からなかったが。何かをくわえた静止画が1枚あったので拡大してみたが、何やら草の芽のような物をくわえていた。それでもよく分からなかった。この時季、まだシジュウカラさんの大好物だという昆虫の幼虫類は出てきていないだろうから、柔らかな草の芽を頬張って代用しているのだろう。皆丸々太って食べ物の少ない冬をしのいできた風には見えない。(まてよ、スズメやシジュウカラをみていても痩せた奴なんていないよな。しかし、元気だよな。)

 

 

     

     

      足みたいなのがぶら下がっているけど、虫じゃないよね。「ねえ、何食べてんの?」  

 

 

     

 

 

国際センターのマンサクは、いま花盛り。マンサクは、寒の戻りにあっても開花をためらうことはないようだ。でも、羽虫たちはまだ凍えているだろうに。

    

 

    

 

    

 

 

 

 

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雪枝輝いて、小鳥たちも元気

2024-02-22 17:14:08 | 日記

昨夜から、また雪が降り出して今日の昼頃まで降り続いていた。

やや水分を含んだ春の雪であるから、周囲の梅、桜、銀杏といった春を待つ枝という枝に四、五センチほどの雪が積もった。

雪枝(ゆきえだ)という言葉はないだろうが、黒い冬の枝に雪が付着する光景はなんとも清々しく凛とした気分にさせてくれる。

昨日の朝は、しっかり姿を見せていた梅の枝の蕾たちもすっかり雪に閉ざされてしまった。花やつぼみが呼吸しているわけではないだろうが、さぞや息苦しだろうなぁ、なんて同情したくなる。

まあ、それよりもスズメなど野鳥たちはどうしているのだろう。彼らにしてみれば、たかが10センチ程度での積雪でも重い雪がわずかなエサを閉ざしてしまい、さぞや一日の糧を確保するのは大変だろう、だなんて勝手な心配をしてしまう。

そんな気持ちで昨日の梅の木を見ていたら、突然二羽の小鳥が枝の雪を振り払うように飛び出してきて、隣の銀杏に飛び移った。

スズメたちかなと望遠レンズを向けたら、あざやかなウグイス色のメジロさんではないか。つがいのメジロさんたちは、ウメに積もった重い雪をかき分けて、わずかに咲いていた花やつぼみを啄ばんで蜜を確保しようとしていたに違いない。

心配ご無用、野生の小鳥たちはそんなヤワな生命力の持ち主ではないよ、とでも言いたげであった。

それでもスズメたちはどうしているのだろう、とベランダに少しお目に玄米をまいていたら、十数羽の集団が「ありがとう!」とでも言いたげに飛んできた。ところが、どこで見張っていたのか4羽ほどのヒヨドリさんたちがすかさずやって来て、スズメたちを追い払い、お米をすばやく啄んでどこかに飛び去って行った。

1羽程度のヒヨドリなら、スズメたちも集団の力でお米を奪うこともできるが、3倍ほど大きなヒヨドリが四羽では、すぐに追い返されていた。

夕刻、雪がだいぶ落ちた銀杏の木にスズメたちがなにかおしゃべりしながらとまっていた。無洗米の「つやひめ」がちょうど20グラムほど余っていたので、またベランダにまいたら、はじめは白米を警戒していたようだったが、しばらく目を離していたら、いつの間にかなくなっていた。

雪枝のみんな元気。

 

 

 

     

       きのうの梅の枝

 

     

      桜の枝にもびっしりと白い雪

 

     

         メジロさんの喉元の濃い黄色が雪に映える 

 

     

 

     

 

 

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降るほどにふくらんでいく梅の花

2024-02-21 15:30:12 | 日記

朝から雪が降っている。ぼた雪というほど粒は大きくないが、天上から落ちてくる速度が速いので水分を多く含んだ春の雪だ。

おとつい梅の開花宣言が報じられた。当地方の平年開会日より十日はやいのだという。近くの庭の梅の花もおとつい一輪、二輪とほころんだのを確認したが、つぼみたちは大きくふくらんで今にも開花しそうな気配だったが、この朝からの重たい雪が、このツボミたちに容赦なく降り積もっていて辛いだろう。

でもしっかり観察すると、つぼみたちは何やら体温のような熱があるように枝という枝からくりくりとしたほの赤い顔をのぞかせてなにやら元気そうではないか。もう彼らもこの雪はつぼみを凍らせるほどの冷たい雪ではないことは知っているようだ。

これから1週間雪は降らないだろうが、気温は平年並みとそれほど暖かくはならない。平年より十日も早く開花した梅たちは、ゆっくり開花しながら、長く咲いて楽しませてくれればいいが。

ウメの開花宣言は、この地方の他の植物たちの早い開花のシグナルとなるのか。雪が融け次第、森に観察に出かけよう。

 

 

 

 

           

 

 

この冬の雪不足により、当地方ではすでに二三のスキー場が営業を終了しており、今日の雪をみて悔しい思いをしているかもしれない。今同じような状況が続けば、季節のスキー場は成り立たないのかもしれない。面白山のように放置され、さび付いたリフト や廃墟と化し崩れゆくスキー小屋をみるのは辛い。       

 

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スピカつながりで2002年春にタイムスリップ

2024-02-20 21:27:40 | 日記

昨日今日と、NHKの再放送されたものであるが、小澤征爾さんが指揮をした「2002年ウィーンフィルニューイヤーコンサート」と、同じく2002年の前期朝ドラ「さくら」を視聴した。

朝ドラ「さくら」だが、以前このブログで記したこともあるが、オイラはこの朝ドラをこよなく愛している。2002年だから、オイラが宮古島に在住していた時期に放映されたもので、オープニング映像に現れる北アルプス穂高・笠ヶ岳・乗鞍岳の展望都市・飛騨高山や飛騨古川がたまらなく「なつかしいやまと」であったこともあるし、また、脚本の田淵久美子さんの絶妙なコメディータッチなラブロマンスにも当時はかなりハマっていたのを告白せざるを得ない。ヒロインのさくら役・高野志穂さんも、桂木先生役の小澤征悦さんも役柄にぴったりで、お二人に好感をもって欠かさず見ていたし、周囲の配役陣も絶妙な演技をこなしていた。

この愛すべき朝ドラ「さくら」再放送もいよいよ残すところ10回ばかりの佳境に近づいてきたが、今日の145回の放送終了時に流れた森公美子さんが歌う「桜景」(おうけい?)という歌の歌詞に驚いた。

この歌の出だしのフレーズが「春の兆し スピカ」だった。オイラもスピカをみると春の兆しを感じていたので、この歌にスピカが出てきたことに驚いたのである。

録画した番組を再生して、いそいで歌詞をメモして撮影したスピカの写真に書き写した。

 

     

あわせて、この歌に流れた映像の笠ヶ岳の立派さにも驚いた。

高山方面から眺めた笠ヶ岳がこんなに立派だったのか、と。

 

      

                     バックに笠ヶ岳

 

話は一方に移るが、先日亡くなられた小澤征爾さんの「2002年ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」、あの伝説のクライバーのニューイヤーコンサートにも匹敵するような観客のこころをとらえたような熱を帯びた演奏会だったようだが、恒例となっているアンコール「ラデツキー行進曲」の映像に、なんと小澤征爾さんの家族が映し出されていた。奥様と長女小澤征良さんと長男小澤征悦さんが観客席中央前方に仲良く座って拍手しているではないか。小澤征悦さんといえば、朝ドラさくらの「桂木先生」だ!

 

     

2002年1月「桂木先生」がウィーンにいて、実は彼の親父が世界的なマエストロであって、彼が4月から飛騨高山の私立高校体育教師として過ごしていた。なんてそのマエストロが逝った2024年に生きているボクタチは、どのようにこの映像を結びつけていいのだろう。

 

この24時間のうち、スピカつながりで、2002年の春のウィーンと飛騨にタイムスリップし楽しい夢を見させていただいた。

わが身の宮古島時代も思い出し、また、マエストロだけではなく、朝ドラ「さくら」の配役陣でも、あれから22年という歳月をへて、スピカをはじめ夜空の星になったヒトビト(津島恵子さん、小林亜星さん、中村メイコさん、奥村公延さん、佐々木すみ江さん、内藤武敏さん、斎藤洋介さん、そしてナレーターの大滝秀治さん)たちのことを思うと、時の残酷さ、無常観ばかり募り目が熱くなっってしまう。(嗚呼)

 

 

  

 

  

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